そして、飛躍していく | ナノ

遅い朝食に塩味の口付け

リュックサックを背負い、ナマエは道の端でじっと立ち尽くしていた。いつもの帰路にある大きな坂。家から下った場所でぼうっとし始めて早20分。腕に身に着けた時計へ視線を落とすと、約束の時刻を既に過ぎていた。呆れたようにため息を吐いて、再び空を見上げる。先程まで陰っていた雲が流れて、太陽が顔を出してきた。

「やっぱり、早めに来る方が間違ってたわ」

更に待つこと10分。既に30分も待たされて帰りたくなる気持ちをぐっと堪えていると、奥からふらふらとした影が現れだした。あまりにも不安定な影が近づいてきて、ようやく認識できる。自転車が左右へ揺れながら視界の隅にあるゴミ捨て場のゴミに引っ掛かり、転倒した。

どうしてこう器用に、眠りながら自転車を漕げるのだろうか。それで目的地まで来れるのだから不思議であるし、大した痛みを訴えないまま起き上がるのも尋常ではない。もそりと体を起こす男にナマエは近付いた。

「遅刻よ」
「……はよッス」
「謝罪は」
「……すんません」

彼の自転車を起こしてあげる。所々金属部が歪んでいるし、初めて会った時の自転車ですらない。一体何台をたった数か月で無駄にしているのだろうかと嘆息しながら、立ちあがった流川を見上げた。眠そうに目をぱちぱちと瞬き、欠伸を漏らしている。

「まったく。だから、お昼過ぎからにしましょうって言ったのに」
「…朝は、起きた」
「でまた寝たのでしょう?」

こくりと素直に頷く姿に、ナマエは頭を抱えた。
今日、初めて流川から休日にお誘いを頂いたのだ。以前のようなどこかで偶然会って誘われたわけではなく、事前に声を掛けられた。まるで、デートである。これにはナマエも心底驚き、熱があるのではないかと疑ったら嫌そうな顔をされたのは記憶に新しい。しかも午前中からだというのだから更に驚愕した。

「何処へ行くかは決めているの?」
「……」
「だと思ったわ。行きましょう」

この男がそこまで考えられるとは、元より思っていなかった。ナマエは静かに微笑んでリュックサックを背負いなおして、流川の背中を軽く叩く。

「少し、のんびりしましょうか」

 * * *

吹いてくる風が心地よい。改めて自分の住んでいるところへ感謝をした。ナマエは大きく背伸びをして、硬いコンクリートに座る。そして、未だ立ちすくむ流川を見上げた。

「ほら、座って」
「海……釣りでもするんすか」
「ふふ。道具はないので出来ません。やりたかった?」
「興味ねー。つか、何で海なんすか」

ナマエの隣に座った流川が、大きな欠伸をする。じっと、2人で揺れる波を見つめる。喋らない流川と同じように、ナマエもまた口を閉ざしていた。

「眺めているだけで、気持ちいいでしょ。まだ時間はあるんだもの。のんびりしましょう」
「……ナマエセンパイがする時は、この時間?」
「するって何を? ……もしかして釣り?」
「ん」
「これより早いわよ」

短く答えると、流川がすっと視線を逸らす。不思議といつもの彼らしくないような気がして、ナマエは怪訝そうな表情を浮かべた。それでも、続いて漏らした欠伸と、目尻の涙が流川らしさを取り戻して笑ってしまう。

「寝ててもいいよ」
「……寝ねぇ」
「無理しなくて良いのに」
「無理してねー」
「はいはい」
「子ども扱いすんな」

座っていると手が伸ばしやすく、ナマエはふわりとした頭を撫でる。流川の不満そうな顔ですら可愛らしく見えてくるものだから困ったものである。頭をずらして避けようとする流川を執拗に追ってみると、その手首を遂には掴まれた。

「ごめんって」
「絶対ナメてんだろ」
「ふふ」

鋭い瞳を向けてきても、ひょっこりと跳ねている寝ぐせを見つけて笑みが零れてしまう。流川にとっては、未だ年下後輩としか見られていないのだと痛感して面白くなかった。自分の手の内に収まっている細い腕を引き寄せて、余裕そうなナマエに口付けを落とした。こうすれば途端、黙って恥ずかしそうに笑みを浮かべるのを知っているから。

「……もう」

ほら。流川は自分が優位に立った満足感に満たされる。再度口付けると、以前のように拒まれることはなかった。柔らかく重ねて、少し離して角度を変える。柔らかい感触と近付くたびに、鼻を擽る甘い香りが自分を高揚させた。舌を伸ばしナマエの唇を舐めるように触れると、自分よりも小さな体がぴくりと動く。そっと招かれた部屋へと侵入した。

「るか…っ」

流川は性急も舌を絡めた。ざらりとした感触と、他人の唾液の味。本来であれば不快感を覚えるはずなのに、これがとても心地が良い。時折逃げようとする舌を器用に絡めて、唾液ごと吸うと普段聞けない甘い声が飛び出てくる。

「んっ…ぁ」

耳に届くと、背筋に刺激が走るほど甘く、艶やかな声色。舌を絡めれば絡めるほど、互いの唾液の香りが熱を帯びる。止められずに食いついていると、肩を強く押された。渋々ゆっくりと身を離せば、お互いの口元から唾液の糸が伸びる。ぷつんと切れたそれが口の周りにつき、流川は指で拭いながら舌でぺろりと舐めとる。

「あ……」
「……」

凝視してくるナマエの表情が、とても厭らしいものだのだから、流川は塞ぎに顔を近づける。押し当てて、ゆっくりと離し、ナマエの口元を舐めた。再びぴくりと震える体へ手を伸ばして、

ぐぅぅ……

「……」
「……」
「ぷっ」
「……笑うな」
「いや、っふふ…あはは、無理でしょ!」

流川の腹が、限界を迎えた。艶やかな表情も一変して、普段通りに笑うナマエに流川は小さく舌打ちをする。ここで致すつもりはなかったが、それでもこうも簡単に切り替えられると面白くはない。

「しょーがないわね。本当はお昼のために用意したんだけれど」
「……飯?」
「どうせ朝食べてこなかったんでしょう。これで良ければどうぞ」

リュックサックから取り出されたのは、学校でも見たことがあるランチボックスだった。蓋を開けると小ぶりなおにぎりと、鮮やかなおかずが3品入っていた。覗き込んだナマエは間違えたと小さく呟いて、流川からランチボックスを奪い、別のものを手に乗せる。見たことのない、黒い大き目の箱には、大きなおにぎりと一緒に先程にはなかった唐揚げやハンバーグが入っている。トマトと卵焼きが色を作っていた。

「……俺用?」
「スポーツマンだもの。たくさん食べると思って。……やっぱり朝には重いかしら」

昼食用だから。と困ったように笑うナマエを横目に、流川はおにぎりを手にする。アルミホイルを外すと、お米の柔らかな甘い香りが舞って更にお腹がすく。遠慮なく限り着くと、丁度良い塩味と共に焼き鮭の味わいが舌を転がる。

「うめぇ」
「ふふ、良かった」
「…ナマエセンパイの手作り?」
「朝起きてみました。って言っても、ハンバーグは昨日の夕飯の残りだし、唐揚げは冷凍なんだけどね。だから手作りってほどでは」
「うめぇ」
「……ありがとう」

黙々と食べる流川の姿に、じんわりと喜びが増していく。朝早めに起きた甲斐があったし、何より流川自身の口から出てきた言葉が心を躍らせた。

海のさざ波と隣からの咀嚼音をBGMに海を見つめる。成長盛りの流川にあの程度の量はなんてことなかったようで、すぐにぺろりと感触してしまうのだからナマエは目を丸めた。小さな「ご馳走様でした」の言葉に短く言葉を返して、空のランチボックスを包みリュックサックへと戻す。

中には、先程間違って出した自分用の包みと一緒にタオルとスポーツドリンクが入っていた。流川のことだからバスケの自主練に付き合え、だと確信して持ってきたものなのだが、肝心の本人がボールを持ってきていないのだから驚きである。

「ねえ、今日はどうして誘ってくれたの?」
「……」

いっそのこと本人に聞いてみようかと口を開くと、返答がない。これは想定内だったために、リュックサックのチャックを閉じて振り返ると、大きな影は緩やかに上下へ動いていた。

「……流川?」
「……」
「……あらまぁ」

やはり眠いのを堪えていたのであろう。それにご飯も食べて一気に襲ってきたのかもしれない。俯かれた顔を覗き込むと、長い瞼が時折震えながら、唇からは規則正しい寝息が耳に届く。

「ほんと、よく分からないわね」

ぐいぐいと攻めるときは勢いが良いのに、途端これだ。緩急の激しさに蹂躙されている自分を自覚しながら、それでも嫌ではないと思ってしまうのは惚れた故だろうか。ナマエはコンクリートに投げ出された大きな掌へそっと触れて、そのまま手を握る。そしてそのまま、近付いて眠り王子に口付けると、ほんのりと塩味がした。


流川が目を覚ましたのは、それから2時間ほど経過してからであった。
普段に比べれば早い方かもしれないが、今の流川にとってはやってしまった感に苛まれる。しまったと隣に視線を向けると、自分に凭れ掛かるナマエの姿があった。どうやら寝ているらしい。いつの間にか手も握られていることに気付いた。

起こしてくれと流川はまず思ったが、基本逆のことを願っているので自分勝手かとさすがに息を吐く。こんなはずではないのに、と眼前に広がる輝かしい海をじっと見つめた。

『流川。ちゃんとナマエさんをデートに誘ってんだろうな?』
『あいつ休日は釣りに行くんだろ? そこで仙道とデートしてんじゃねぇのか』
『言葉足りねえお前のことだから、ちゃーんと行動しねぇと簡単に取られるぜ』

先週末の宮城に言われた言葉が過ぎる。にやにやと口元を緩めて三井もまた来たものだからめんどくさいと踵を返した直後の問いかけだった。今も休日にナマエが釣りへ出掛けていることは知っている。その度に、仙道に会っているのだろうか。そう考えると面白くないのも事実だった。

と、いうことで声を掛けてみたのだが、何をすればいいのかさっぱり分からない。結局海に来てしまい、先にご飯を食べて寝ているだけ。この後どうすればいいのかも、当然さっぱりである。

「……」
「…すぅ…ん……」
「……」

分からないが、流川はとりあえず再び目を閉じる。そんな一日の中盤であった。

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