そして、飛躍していく | ナノ

少しだけ素直な心の内

ナマエはそれはもう大きな欠伸をした。周りの誰も居ないからできることである。目尻に溜まった涙を拭っていると、再び欠伸が連続して出てくる。寝不足ということはないのだろうが、朝にご飯を食べ過ぎたのだろうか。もうそろそろ上がって、家に帰ろうかと竿を引き寄せた時だった。

「すっげぇ欠伸ですね」
「…仙道…」
「ちゅーっす」

少しだけ、気まずい。ナマエはいつもと変わらない様子の仙道に微笑みで返し、リールを巻き取る。

「あれ、もう終わりなんですか?」
「ええ。なんだかさっきから欠伸が…ふぁぁ……止まらないし」
「ははっ、俺も釣りしてると欠伸めちゃくちゃ出てきますよ」

そう言っている仙道の手元にはクーラーボックスはおろか竿すらない。ラフなTシャツ一枚来ただけの男にナマエは呆れた。

「今日は釣り道具何もないじゃない。素潜りでもするのかしら?」
「素潜りも悪くないですね。……ま、それやったら越野にどやされますけど」
「越野?」
「俺の同期ですよ。バスケ部の」
「ああ……確かにいたわね」

春に行った練習試合で桜木に対して起こっていた選手を思い出す。バスケへの愛と熱量を感じさせる選手であり、また試合中も仙道のサポートをしながら積極的に走っている選手だ。ナマエは竿を片付けながら思い出し、何度か小さく頷いた。

「にしても、良かった」
「え?」
「もう来てくれないのかと思ってましたから」

仙道の瞳は温かく、どこか慈愛に満ちているように感じた。その意図が分かっているからこそ、ナマエは気まずそうに一瞬視線を逸らし、再び顔を上げる。

「またって言ってくれたのは、アナタよ」
「はは、そーですけど。ほら、ナマエさんって意外と気にするタイプでしょう?」
「……む」
「かーわいい!」
「からかわないでよね、もう」

見破られていることへの恥ずかしさが募る。けれど同時に、変わらず接してくれる仙道への感謝を胸に抱いていた。一番辛く、気まずい思いをしているのは彼であろうに。

ナマエは収穫のなかったクーラーボックスの蓋を閉じる。そして立ち上がって、高い仙道の顔を見上げた。

「今日は解散」
「えぇ? 来たばっかりなんだからもう少しゆっくりしていきましょーよ」
「私はもう1時間以上経ってるわ」
「ずりぃなぁ」

そう言いながらも、仙道はナマエのクーラーボックスを持ち上げ、更に手を伸ばす。ナマエは呆れながらも自らの竿を手渡した。どうしてマイペースな男なのに、こういう時には気遣いが出来るのだろうか。

「そういえば、流川のヤツからなんか聞きました?」
「え? 流川? いいえ、何も……」

最後に会ったのは3日前だっただろうか。お互いにお互いが忙しく、帰りも時間が合うことは少ない。昼食も毎日一緒なわけではないのだ。その流川がどうしたのだろうかと、堤防から歩き出すと、仙道はくしゃりと笑った。

「聞いてないんですね。この間、あいつから勝負挑まれたんですよ」
「えっ、そうなの?」
「ま、あいつも思うところあるんでしょうけど、さすがにまだまだ負ける気がしませんよ」

その言葉は、流川に勝ったということを意味する。きっと流川自身にとって大きな壁であり、同時に目標でもあるのだろう。勝負を受けた仙道にも感謝をする自分がいることに気が付いた。

「やっぱ、言わなかったのか」
「今頃、反骨精神剥きだしで練習してるんじゃないかしら」
「はは。だろうなぁ」

自転車にクーラーボックスを括りつけてくれる仙道の背中をじっと見つめる。バスケット選手としてあまりにも優秀な仙道の活躍を、全国へ知らしめることが出来ない悲しさを微かに抱いた。

「ね、キャプテン」
「ん? ってあれ、どうして知ってるんですか」
「秘密。……冬の選抜試合だっけ? 見に行くわね」
「……受験だからってキャンセルは無しですよ」
「頑張るわ」

きっと、今の自分がもう一度試合を見ることが出来たら、見方が変わるだろう。それは、バスケへの深い愛情を抱いた流川と付き合ったからなのか。はたまた、こうして仙道と向き合っているからなのかは分からないけれど、そう確信が出来た。

「じゃ、今日は練習行こうかなぁ。ナマエさんに期待されたんじゃあ、サボるわけにもいかねぇし」
「そうね、チームメイトから見放されないように練習してちょうだい」
「……ナマエさん、絶対なんか聞いたでしょ」
「さぁ、何のことかしら?」

街中で会ったとある陵南1年生との会話を胸に秘めて、ナマエは自転車へと跨る。帽子を一度脱ぎ、汗を拭ってから再び被った。ペダルに足を付け、仙道へ手を振る。

「応援しているわ」
「一番?」
「残念ながら」
「ちぇ」

短い会話をして、仙道もまた手を上げてくれた。それを見届け足に力を入れる。少し、晴れやかな気持ちを抱いた。

自転車を走らせながら途中でナマエは近所のスーパーへと寄った。今日は暑い。きっと彼らも頑張っているだろうからと、今日役に立たなかったクーラーボックスへと役割を与えた。


 * * *


休日の湘北高校も、部活動に熱気が入っている。2年生へと世代交代した部活もあれば、全国へ燃え盛っている部活もある。ナマエは些か重い荷物を手にして、迷うことなく体育館へと足を進めた。

「こんにちは、皆元気にやってるわね」
「! ナマエさん!」
「ちゅーっす!!」

案の定そこではバスケ部が熱心に励んでいた。裏口から入って近くにいた彩子に声を掛けると、その声に部員たちが足を止める。赤木の大きな怒声が響いて、ナマエはにっこりと笑った。流川もまた、ドリブルをしながらこちらへ視線を向けていた。

「近くまで来たから差し入れよ。きんきんに冷えてるから、休憩の時にでもどうぞ」
「やった、皆アイスよー!」
「やりぃ!」
「あざっす、ナマエさん!!」
「今日はやけに暑ぃもんなぁ……」

ふ、とナマエは体育館の入り口にいる晴子に気が付いて、ひらひらと手を振った。晴子もまた、一瞬驚いたもののすぐに手を振り返す。左右にいた彼女の友人が晴子に何か声を掛けていた。

「それにしても凄い荷物ですね、ナマエさん」
「釣りに行ってたのよ。その帰り道なの」
「釣りぃ!? こんな暑い日にですか!?」
「暑いけど気持ち良かったわよ。まぁ……御覧の通り収穫ゼロなんだけど」

クーラーボックスの中に魚の姿はいない。
それから数十分が経ち、赤木から休憩の号令が飛んだ。

「すまんな、ミョウジ。わざわざ差し入れをしてくれるとは」
「気にしないで。それより、力入ってるわね」
「当然だ! 目指すのは全国制覇! 今までのような練習では戦えんからな!」
「ふふ」

汗まみれの部員たちがクーラーボックスを囲む。桜木の手があれやこれやと伸びて、それを三井と宮城が抑えつけている姿が賑やかだ。静かに微笑んでいると、不意に影が降りた。

「お疲れ様、流川。良かったら、アイス食べてね」
「うす。ナマエセンパイは、……また」

流川の視線が、壁に掛けられた釣り道具へと向く。次第に眉間に皺が寄るのを見て、ナマエは肩をすくめた。流川の中ではもはや釣り=仙道となっているため、面白くないのだ。それを分かっているからこそのナマエの反応だった。

「帰るときに少し話した程度よ」
「……浮気者」
「失礼しちゃう! 大体、どこからそんな言葉が飛び出すのよ」

3日も会えていないのに、と遠回しに伝えると、流川も自覚があるのか口を尖らせて視線を逸らす。こちらを攻めるときにはストレートにむくれるが、都合が悪くなるとすぐに逸らすのは流川の悪い癖である。

「ふふ、なんてね。全国へ向けて頑張ってる人に意地悪言わないわよ」
「……もう言ってるっす」
「あら、失礼」

流川は水を飲みに行くと言って裏口から外へと出た。ナマエもまたそれに続く。外は太陽が真っすぐにこちらを射貫いてきて、少し痛いくらいだった。

水道で水を飲み干み、また汗を洗い流すように顔を当たった彼にタオルを手渡した。流川自身が、体育館を出るときにナマエへ渡したものである。受け取った流川は大きな息を吐いて、肩を回した。

「精が出て何よりね」
「とーぜん」

水で拭っても汗は噴き出てくる。それは太陽のせいだけではなく、先程までの練習がいかに激しいものかと物語っていた。ナマエは、仙道の言葉を思い出す。先へ、前へと進んでいく流川が、ほんの少しだけ遠く感じて

「……?」
「ちょっとだけ……」

大きな流川の手を、握った。

「頑張ってる流川から、気力を少し貰おうかなって」
「……どあほう」
「わっ」

握った手を引っ張られて、流川の大きな胸元へと飛び込む。汗によってシャツは濡れ、においだって強くなるのに、不快感がない。久しぶりの流川の熱に、ナマエは無意識に頬を寄せた。

そんなナマエの姿を見下ろして、流川は無表情のままに耐える。ナマエが流川に会えず少し寂しさを抱いているように、流川もまたバスケと同様に触れていたい存在に触れられなかった期間は、辛いものがあった。

ナマエの頬に手を当てて、上へと向かせる。よく笑って細くなる瞳が、今は熱を帯びてどこか期待しているように流川には映った。今までなかった、性的な欲求が込み上げてくる。そっと背中を丸めて口付けると、ナマエは照れくさそうに微笑むものだから、流川は更に顔を傾ける。が、

「……む、ナンデ」
「なんでって……練習中でしょう?」
「今しただろ」
「1回だけ」
「1回も2回も一緒」

再びナマエへキスを送ろうとすると、掌によって塞がれる。これには流川もむっとして、その手を取り無理やり口付けようとした。が、今度は顔を逸らされる。酷い仕打ちだと思った。

「……仙道と会ってたクセに」
「彼は良い友人であり釣り仲間よ」
「向こうはそう思ってねぇ」
「じゃあ、流川が頑張って私を引き留めて置いてちょうだい」
「だったらキスぐれぇさせろ……させてクダサイ」
「今更敬語使ってもだぁめ。練習中でしょう? それに……歯止めが効かなくなったら困っちゃう」

ナマエの言葉に、流川の中で小さな稲妻が走った。眉を下げて小さく呟くように発せられた言葉が、自分だけではなくナマエ自身も期待して我慢しているのだと痛感したのだ。ぐっと押し寄せてくる波を、流川は堪える。

「……今日は、最後までいるんすか」
「うん」
「じゃ、その後」
「はいはい」

カフェでお茶するだけ……に留まりたくないと流川は胸に抱きながら、そっとナマエを離した。流川とてバスケにしか興味はなかったが、男である。好きな女が出来れば、そこに新たな欲求が生まれるのは至極当然のことであった。しかも今日のナマエはやけに素直で、いじらしい。流川は胸の内で何故、今が練習時間なのだろうかと嘆息した。

「さ、アイスなくなっちゃうわよ」
「……ん」

体育館へと戻ろうとするナマエを再度引き寄せて、大きく深呼吸をする。後半の練習時間も、別の意味合いで頑張れそうであった。

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