そして、飛躍していく | ナノ

赤木晴子の皮むけ

じー……じー……と外から虫の声が聞こえてくる。今や冬服に身を包んでいる生徒はいない。暑い。暑すぎる。年々、最高気温が上昇している気がする。ナマエは帽子を取っては汗を拭い、再び歩き出した。

「あ、ナマエさーん!」
「ごめんなさい、遅れちゃった」
「全然ヘーキですって!」

集合場所である駅前には彩子がいた。部活以外では下ろしている髪が、今日もやけに艶やかに映りナマエには眩しくも見えた。小走りをして彩子の近くまで行けば、ふと別の姿に気が付く。

「あら、赤木の妹さんじゃない」
「そーなんですよ! ちょうど会って暇だって言うんで誘っちゃいました!」
「ふふ、一応初めましてね」
「はい。初めまして」

赤木晴子。赤木剛憲の妹である。顔を合わせたことはあっても、ナマエは晴子とこうして会話するのは初めてであった。短く切られた髪の毛に、くりっと大きな瞳は非常に可愛らしい。彩子とはまた違う女性らしさを持っていた。

「晴子ちゃんって呼んでもいいかしら。苗字だとごっちゃになるし」
「は、はい……!」
「私のことも名前でいいわよ。よろしくね」

赤木晴子は、ミョウジナマエが苦手だった。いや、苦手になったというのが正解である。当初は生徒会役員としてとしか見ておらず、また兄の同級生としかも見ていなかったのだ。

「そろったことだし、ぱーっと行きましょう! ほら、もうすぐ時間になっちゃう!」
「お腹空いたから嬉しいなぁ。彩子ちゃんに遅れないように行きましょう、晴子ちゃん!」
「あ、はい!」

それが、いつの間にか自分の片思いの相手と結ばれているのだから。苦手にならないはずがなかったのだ。

彩子と共に入ったのはレストラン街の中にあるビュッフェだった。気軽に行ける食べ放題として人気があったのだが、彩子が見事にここの食事券を手に入れたのだと嬉しそうに語ったのだ。本当は2人で予約をしていたのだが、道中で晴子と出会い、先方に連絡を入れて3人で楽しむこととなった。

小綺麗な店内の中を通される。女性陣が多く目立ち、自分たち学生らしき姿もちょこちょことあった。ソファ席に通されて、3人は腰を下ろす。

「暑くて喉乾いちゃった。とりあえず水取ってくるけど、2人ともいる?」
「やった! お願いします!」
「すみません……。私も、お願いします」
「遠慮しなくていいのよ。待ってて」

ナマエは暑い暑いと手で仰ぎながら立ちあがる。残された彩子は、隣の晴子をちらりと見やった。案の定、暗い顔をしている。

「あの、彩子さん……」
「まーまー、そんな暗い顔したらご飯だって不味くなるわよ!」

小さな背中をばんばんと叩いて、俯く彼女の顔に近づけた。

「アンタが気まずいのは知ってるけど、流川のこと抜きにしたってナマエさん自身を知らないでしょ?」
「それは……そうですケド」
「苦手でもいいけど、食わず嫌いはよくないわよ。付いて回ることなんだし」
「彩子さんの意地悪!」
「結構、けっこー!」

晴子は本当に小さく、息を吐いた。笑顔を浮かべて器用に3人分のグラスを手にしたナマエは、彩子の助けを得てそれをテーブルに置く。彩子が荷物番をしているからと、再びナマエは体を起こした。そして、晴子も悶々としたまま立ちあがって、プレートを取りに行く。

「晴子ちゃんって何が好きとかあるの?」
「い、家では和食が多いです」
「そうなんだ! 赤木の体格からして、栄養満点っぽいわよね」
「そんな……あ、えっと、この間はお菓子ありがとうございました」

バスケ部のレギュラー陣と勉強会をした時のことである。ナマエが気を遣って買ってきてくれたのだと、合間で家族に和菓子が配られたのだ。水ようかんだけでも良かったのにまんじゅうまで添えられて、むしろ申し訳ないと親が話していたことを思い出す。

「とんでもない! むしろ遅くまでごめんなさいね」
「い、いえ……」

そう、遅くまで。泊まり込みだったのだ。晴子も途中で桜木や彩子と話したが、その時には既にナマエはテーブルに伏せていて眠っていた。隣の席に、恋する流川も居て、彼もまた眠りについていたことを思い出す。気分は良くない。

「でも、お陰で皆追試に受かってよかったわ。晴子ちゃん、桜木に焼うどん作ってあげたんでしょう? 凄く嬉しそうに話してくれたのよ」
「ただ炒めただけですから……」
「ふふ、それが嬉しいんじゃない」

晴子から見て、ナマエは綺麗な女性というイメージだ。それは外見のみならず、話し方や歩き方などいった日頃からの姿だったりする。それでいて勉強も出来て、生徒会の副会長にもついていて、頭が上がらない先輩である。その何でも持っていそうな先輩が、流川を、取ったのだ。

「あ、デザート美味しそう……。でも、さすがにいきなりはダメよねぇ」
「小さいのならいいんじゃないでしょうか? シュークリームとか、可愛いサイズですし」
「本当! せっかくだし、彩子ちゃんの分も持っていっちゃいましょ」

苦手ではあるが、話しにくさはない。初めて会う自分に対して、ここまで良くしてくれる先輩の姿に嬉しくなりながらも。やはり後ろめたさのような苦手意識は根付いていた。

これでもかとプレートに食事を乗せてテーブルへ戻る。彩子が「どれだけ持ってきたんですか」と驚いて声を出しても、ナマエは静かに「お腹すいちゃったのよ。今日はいーの」とくすくす笑うものだから、晴子もそれに釣られた。

「あ、晴子ちゃん元気になった?」
「えっ?」
「なんか少し暗い顔してたから気になってたのよ」

ナマエは持ってきたサラダを咀嚼しながら満足そうに口元を緩める。晴子もまた、サラダを食べて、そしてナマエを見上げた。

「初めて会う、しかも先輩と食事なんて緊張するよねぇ」
「でもお邪魔したの私ですし。……むしろすみません」
「なんで謝るの! 食事は皆でした方が美味しいでしょう?」

きっと、この人は本当に良い人なのだと晴子は思う。1年生のころからどこの部活のヘルプに行って、そこでしっかりとお手伝いが出来ているのだろう。でなければ、廊下ですれ違うたびに後輩たちから元気に挨拶されないだろうし。バスケ部だってたくさん助けてもらっていると、兄が言っていたのだ。良い人には間違いない。

自分が想いを寄せている流川は、バスケにストイックな男だった。むしろそんな姿が好きだった。片思いは切なく辛いが、誰のものにもならないからこそどこかほっとしていた所があったのかもしれない。その男が、ある日3年生のフロアで、ナマエに惚れているのだと暴露した。それを聞いた時、どんな試合で受けた衝撃よりも大きく心を抉り、今でも深い穴をあけている。

「あ、このコーンスープ美味しい! 晴子ちゃん、濃いのは嫌い?」
「いいえ。結構味濃いのは好きですよ」
「ほんと? ならこれイケると思う! 市販のスープよりも濃厚で美味しいよ!」

それが、目の前のナマエなのだ。一体どういった流れで接点が生まれていたのだろう。どういった流れで流川が好意を寄せることとなったのだろう。どういった流れで、流川の片思いが成就したのだろう。どうして、自分ではなく目の前の女性なのだろう。

「バケットに付けて食べたくなりますね」
「まぁ、それは名案ね。ちょっと取ってきてもいい?」
「はい」
「晴子ちゃんの分も持ってくるわね」

過ぎていく背中を見つめて、晴子は嘆息した。妬んでしまう。良い人だと分かっているからこそ、尚更自分の心が汚く思えた。

ナマエがバケットを持ってくると同時に、ようやく彩子が戻ってきた。その両手のプレートには、自分たちよりも遥かに多くの食事が彩り豊かに盛られている。どれだけ食べるのだろうと晴子は苦笑しながら、彩子のプレートをテーブルへ奥のを手伝った。

「いやぁ、どれも美味しそうですーぐ手が伸びちゃうわ!」
「分かる」
「お腹いっぱいになっても、デザート見るとまだ食べられるってなりますよね!」
「それが女子の胃袋なのよ、晴子ちゃん! ナマエさんなんてもうシュークリーム乗っけてるしね!」
「ふふ、だって誘惑されちゃったんだもの。彩子ちゃんの分も持ってきたけど、自分で取りに行く?」
「頂きます!!」

くすくすと笑うナマエは上品だ。晴子はパスタに手を伸ばしながら、自分にないものを持っているナマエを酷く羨んだ。同時に、その笑顔は先ほどのようにどこか釣られるものがあって、きっとここに惹かれたんだろうなと何故かすとんとくるものもある。自分の感情が、良い方向と悪い方向とにぐらりぐらりと激しく揺れ続け、晴子はそれだけで疲労に満ちるのを感じた。

「そう言えば、ナマエさん。あれから苛めはどうなったんですか?」
「えっ、苛め……?」

晴子は咄嗟に顔を上げて、彩子とナマエとを見やる。

「ああ、すっかり落ち着いたわよ。むしろ他の後輩たちから距離置かれている感じがして、少しやりすぎちゃったかなって」
「聞いてますよ〜? 1年生たちをコテンパンに懲らしめたんですって?」
「あら、ただ正当な対応をさせてもらったのよ」
「あの……大丈夫だった、んですか?」

その話も、ナマエは耳にしている。流川が告白をする直前まで1年生の流川ファンがナマエへと抗議をしに行ったのだと。まさか苛めまで受けていたとは露知らず、晴子は親身に心配した。

「ヘーキよ、晴子ちゃん。ナマエさんってば屈するどころか、証拠集めて皆の前で全部暴露したんだから!」
「彩子ちゃん、その言い方だと変に捉えちゃうでしょう?」
「だって本当にことじゃないですか! 三井先輩から聞きましたよ〜? あの時のナマエさんは鬼だったって!」
「へぇ……三井が」
「あ、これ言ったらダメなんだった!」

晴子は、ふとナマエの悪い噂が流れていたことを思い出す。なんて酷いことばかりを平気で言うのだろうと憤りを覚えていたはずが、流川の大胆な告白の後には、少しだけ事実なのではと疑ってしまった自分がいたのだ。

けれど、こうして接しているとそんな悪い噂の欠片は感じさせないし、今彩子が話しているように全部本当に嘘に過ぎなかったのだと痛感する。どうして、ほんの少しだけでも信じてしまったのだろう。更に、ナマエと自分への罪悪感が募った。

「さすがに他人を巻き込むような噂は良くないわよねぇ。私よりも相手に申し訳ないもの」
「内容が内容でしたしね」
「彩子ちゃんは大丈夫だろうけど、晴子ちゃん」
「あっ、はい」

思考回路を中断された。咄嗟に顔を上げて、ようやく自分の視線は膝の上で握られた拳に落ちていたことを知る。ナマエは穏やかな笑みを浮かべたまま、くっと掌を握って見せた。

「もし困ったことがあったら出来る限り力になるから、何でも相談して頂戴ね」
「……はい。ありがとうございます……」
「晴子ちゃん可愛いから、絶対に良からぬやっかみ買うわよ」
「ねーナマエさん! 私は大丈夫だろうけどってどーゆーコトですか!」
「ふふ、だって彩子ちゃん負けん気強いじゃない」
「むぅ!」

こういう、強くて、優しい所に流川は惹かれたのだろうか。ナマエといると、すぐ横に流川のことを並べて考えてしまう。いけないのに……ずるずる引きずっても自分の恋は、終わったのに。

「気を取り直して、次行きましょ!」
「彩子ちゃん早いわねぇ……」
「今度はナマエさんたちのデザート取ってきてあげますね!」
「はいはい、お願いね」

分かっていても、想いが強いからこそ、納得できなかった。

「…ねえ、晴子ちゃん」
「はい?」
「今日は、来てくれてありがとうね」
「えっ……?」

けれど

「私、プライベートで後輩と食事なんてあまりないから、嬉しいのよ。晴子ちゃんのことは知っていたけど、こうしてお話するともっと良く知ることが出来る」
「そんな……私も、その、嬉しいです」
「本当? 嬉しい。良かったら、また一緒にお出かけしましょう」
「……はい」

温かな人だと知ってしまったから、少しだけ。ほんの少しだけ、晴子は心から笑みを浮かべてナマエと向き合えた。

prev | next
back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -