そして、飛躍していく | ナノ

切なく、甘美に

静かに涙を拭うナマエの姿を、仙道はただじっと見つめていた。決して、心が痛まないわけではない。振られた悲しみよりも、試合に負けた時のような悔しさの方が大いに勝っていた。

同じ学年でも、ましてや同じ学校でもないナマエとここまで付き合ってこれたのは、仙道にとってナマエとの空間が何よりも落ち着くからだ。いつだって釣りをしながら今日は来るのかと待っていた自分がいた。そこに彼女が現れれば心は踊るし、会えなければ残念だと落胆する。月に2,3回会えれば良いほどの貴重で、且つ濃厚な時間。それを、互いが持っているものだと認識していた。

仙道がナマエへアタックをしても軽く交わされ、それでも良いと思っていた。ゆっくりと自分のペースで、ナマエとの距離感を詰めていければ良いのだと。幸い、ナマエには彼氏も気になる人物もいないと知っていたからこそ出来た。それが、一体いつの間に距離がこんなにも離れていたのだろうか。

仙道は、初めて後悔をした。湘北に入っていれば、何かが変わっていたのではないかとさえ思えた。

「……泣き止みました? っはは、目真っ赤だナマエさん」
「……仙道、私、」
「いいよ。もう平気」

平気なわけがない。こんなに惚れ込んだ女と結ばれないなんて。
自分へ告白してきて泣いている女を仙道は数多見てきたが、初めてその立場になって辛さを認識した。それだけ、大事な恋をしたのだ。

「例えナマエさんが流川と付き合ったとしても、俺はチャンスを逃すつもりはないですよ」
「チャンスって……どういうこと?」
「そのまんま。隙あれば奪うってことです」

いつものように口角を上げると、ナマエは複雑な表情をした。仙道の言葉が本物でも、傷ついている心の内を理解しているからなのであろう。どこまで優しくて酷な人なのだろうと仙道は胸の中で失笑する。好きな人を困らせるなんて、ましてや泣かせるなんて本望ではない。仙道は大きな息を吐いてベンチから立ち上がった。

「また、一緒にのんびり釣りでもしましょう」
「……ええ、そうね」

その言葉があれば、今は良い。ゆっくりと手を伸ばすと、ナマエはその手を取って立ち上がった。瞳は赤く腫れているが、浮かべている柔らかい笑顔は、仙道が惚れたそれだった。彼女が笑えば、釣られるようにして自分も笑える。それだけ、ナマエという女性の笑顔には魅力がある。

「あ。釣った魚を鯖いてくれる腕のいい大将を見つけたんですよ。今度はそこで飯食いましょう」
「ま、素敵。……その後、買い物でもしましょうか」
「マジか! やった! じゃあ……また、待ってます」

仙道はナマエの手を最後に強く握りしめ、そして離した。ぶらんと重力に従って落ちていく指先に視線を落とし、再びナマエへと向き直る。ほんの数秒見つめ合って、仙道はへらりと笑って背中を向けた。本当ならば自宅近くまで送ってあげたいのは山々であるが、自分の仕事ではないのだと瞼を閉じる。

「仙道!」
「……」
「…ありがとう」

今までで一番綺麗で、美しい言葉を背中に受けて、そっと仙道はコートから立ち去った。

囲まれたフェンスから足を踏み出した仙道は、丁度木々に隠れた場所で足を止める。此処ならナマエにも見えない角度であり、ナマエもまたすぐに出てこられるような心境でないのは察していたからだ。
そして、一番は

「盗み聞きが趣味とは思わなかったな」
「勝手に話し出したてめーが悪い」
「相変わらず生意気な奴だな。で、感想は?」

少し乱れた制服に身を包んだ流川が睨みを利かせる。その額に小さな汗を見て、焦って探し回ったのかと思うと、流川の性格の変化に笑いが込み上がりそうだった。コートへ入ろうとしたときに視界の隅で捉えた流川の形相を、ナマエに見せてみたいほどだ。

「別に。振られたならとっとと帰れ」
「おいおい、恋のキューピット役に徹した人間に言うセリフか?」
「嘘言うな。手出そうとしただろ」

試合中のような敵対心剥き出しの様子に、仙道は肩をすくめる。試合で戦った時にも同じ視線を浴びたのだ。初めて会った時にも威圧的な瞳だったが、その時よりも明確な意志を感じ取った。だからナマエに会いに行ったというのが大きいのだが、既に手遅れだったらしい。

「お前にはやらん」
「隙あれば奪う。忘れんなよ」
「隙なんてねー」

流川は短く吐き捨てて歩き出す。ヤロウと話すことはないということかと仙道は肩をすくめて、再び足を進めた。今夜はよく眠れないだろうから、越野を巻き込もうと胸に秘めて。

対して流川は、仙道へ忌々しく吐き捨てて入れ替わるようにコートへと足を進めた。そこは以前、ナマエを連れて自主練をした場所である。当の本人は、ベンチに腰を掛けて空を仰いでいた。流川は何も遠慮することもなく、足を進める。気付いたナマエが恐ろしいほど目を丸めて慌てて立ち上がる姿に、少しだけ面白いと思った。

「る、流川!? どうしてここに……!」
「センパイが悪い」
「え、わ、私?」

仙道に何許してんだと吐き出したいのを堪えて、流川はナマエの眼前に立ちふさがる。
放課後、部活へ向かった流川の耳に届いたのは仙道が湘北に来て、あまつさえナマエと出ていったのだという衝撃だった。流川の堂々たる告白によりその想いを知っている部員達からの視線が、やけにうるさかったのを覚えている。

だが、部活は部活。バスケはしないといけない。しないといけないので、流川は恐るべき勢いでこなした。鬼気迫るのは、日本一の高校生になるためであり、ナマエを探して捕まえるためでもある。遠慮はしないと決めた。

飛び出すように無言で部室を立ち去った末に見つけたのは探し求めていた仙道とナマエの姿で、2人が見知った場所へと向かうのが見えた。ぱっぱとナマエを回収しようと踏み出して、足が止まったのだ。

「まさか、聞いてたんじゃ……」
「泣いてんじゃねぇ」
「……泣いてない」
「なら目腫らすな。赤くすんな」
「……不可抗力よ」

あの野郎、泣かせやがって……。自分でも泣かせたことがないのに。が流川の本音である。好きな女の未だ知らない顔を、何故他の男の前で見せるのか。流川は乱雑に制服の袖で目元を擦った。

「ん、も、なぁに?」
「消毒」
「何のよ……」

呆れたように笑うのは、いつものナマエの姿である。流川はそんな彼女を見下ろして、身をかがめた。乱れた前髪の合間に、そっと影を落とす。

「っな、次はどうしたの!」
「消毒」
「おでこにキスしてどうするのよ、もう」

やはり、いつもの笑みである。それに安心する自分がいて、同じような感情を仙道も抱いていることに面白くなさ……嫉妬も抱くが、それ以上に昂る感情があった。何度も捕らえたことのある細い腕を掴み、いつもよりも優しく引き寄せる。

「……」
「……」

抵抗しないナマエの後頭部に手を当てて、流川は大きく内に溜まっていた空気を吐き出した。中にいるナマエは、静かに瞼を開いて薄っすらと笑う。何かピースがしっかりとはまったように、すとんと落ちた感触は紛れもない感情の表れなのだと確かに自覚していた。

「もう、分からなくねーんだろ」
「……うん」
「だったら、このまま大人しくしてろ」
「敬語、抜け続けてるんだけど流川」
「うるせぇ。遅刻したセンパイが悪い」

少し身を離せば、頬を微かに赤く染めたナマエが初めて瞼を閉じた。キスとは本来瞼を閉じてするものなのか? と流川の中に一瞬疑問が浮かぶが、やることをやるのは変わりがない。ゆっくりと、瞼を閉じて口付けを落とした。

離す頃にはナマエが薄っすらと目を細め、照れるように笑うものだから流川は食らいつくようにもう一度顔を近づけた。重ねている唇を押し付けると、流川の首に腕が回る。どくんと心臓が反応して、その小さい後頭部を思い切り引き寄せた。

空気を欲して開いた唇に、舌を侵入させれば驚いたように後退するナマエの身体。だが流川はむっとして更に距離を詰める。顔を傾け、呼吸すらも食うようにナマエの口内へと舌を伸ばす。

「…ん……っ」

喉の奥から飛び出た甘い声が心地良い。胸元を叩かれて、うるせぇと思いながらも大人しく唇を離せば乱れた呼吸でナマエが睨み上げてきた。

「っも、こら…!」
「聞こえねぇ、もう1回」
「ちょっと待って、ここ、外だし!」
「覚悟しろって言った」

うるさい口を、流川は再び塞ぐ。

prev | next
back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -