そして、飛躍していく | ナノ

あまりに非道な女

ハメられた流れで、ナマエはしぶしぶ事のあらすじを伝えた。わざわざ心配して来てくれた仙道に対して、全て隠すというのも申し訳なく感じたのだ。ただ、流川の名前は当然出さずに人気者とだけ言い換えておいた。

「へぇ……俺だったら立ち直れねぇぐらい落としてやったのにな」
「怖いこと言わないで」
「だってそうだろ。ナマエさんのこと散々言って。だいたい噂話をまともに受ける連中も信じられないね」

意外にも仙道の目が笑っていなくて、ナマエは話したのを失敗だったかと後悔する。慌てて、自分は平気であることを伝えた。

「ありがとう。でも、私は清々しているし、多分あれならもう突っかかってこないと思うわ」
「そう? ナマエさん本人が言うならいーですけど」

ふ、と普段通りの朗らかさが戻ってきて安堵する。桜木に三井、流川、そして仙道といい、周りには目元で人を殺せそうな人が多いなぁと内心で苦笑した。まさかナマエ自身もそう思われているとは露知らないことであろう。

「にしてもその人気者さんに説教垂れてやりたい気分ですよ」
「え?」
「自覚してんのかは分からないですけど、結果的に人に迷惑かけたわけでしょう? ナマエさんは何とかこうやって解決できたけど、もしかしたら突然襲われたっておかしくなかったんですからね?」
「まあ、そうねぇ……」
「分かってます?」
「分かってますよ、ふふ」
「あーあ。そうやって笑って誤魔化すもんな、ナマエさんてば」

アイスコーヒーが、少なくなっていく。ナマエは去年のことを思い出した。サッカー部の部長からのヘルプを貰ってサポートしていた半月の間に、その彼女からされた行為。今回のような可愛い幼稚なレベルではなかった。ナマエがボイスレコーダーを持っていた時、彼女と1人で対峙していたが、もし他に人がいればボイスレコーダーを奪われて結果は変わっていたかもしれない。彼女が、ナマエの髪を切ろうと暴行を働こうとした時、もし男に抑えられていたら、髪だけではすまなかったかもしれないのだ。

今回だって、結局流川が来なければ女子生徒の動向は分からなかった。ナマエはそのまま職員室へと行くつもりだったが、あの場所で彼女が刃物でも出して来たらどうだったのだろう。結構、人気者の登場は良い終幕を迎えるための最高のシーンだったのかもしれない。

「今はその人気者のお陰で落ち着いているんだしいいのよ」
「誰なんです?」
「教えないわよ」
「いいじゃないですか。ほら、俺他校だし」

他校でもアナタの知っている人なんです。と、ナマエは口に出せない。出してはいけない。仙道の言葉を無視して、再びアイスコーヒーに口付けた。

「流川だったり」
「っンん……!」

そして、むせそうになったのを懸命に堪えた。口元に当てて慌てて仙道を見ると、したやったりと口角を上げる。狙ってやったな、仙道。

「な、んでそう思うのかしら」
「ナマエさんへの愛情から感知してみました」
「嘘おっしゃい」
「感知ってのは嘘だけど、愛情は本物ですよ。だって流川、ナマエさんのこと気に入ってるでしょ」
「な……どーしてそうなるのよ」
「練習試合の時に視線で既に分かってましたよ。後、前IH予選でぶつかったときに宣戦布告させられた」
「え?」

思わず、目を丸めてしまう。確かに先日、湘北と陵南の試合があった。ナマエも見に行ったのだが、形容するのも難しいほど白熱とした涙を誘うIH予選の決勝試合だったのだ。

仙道はテーブルに両肘を尽きながら、ナマエの目線に合わせるようにして少しだけ上体を屈めた。そしてゆっくりと唇を開く。

「『アンタのじゃなくて、俺のだ』」
「……まさか、流川が言ったの?」
「そう。さすがの俺もコートで言われたときには、一瞬何のことかと思っちゃいましたよ」

はは、といつものように笑いながら、仙道は残りのアイスコーヒーを飲み干した。ひんやりとしたグラスから露が指の間に入り込む。ナマエは目を瞬かせ、そして動揺した様子を隠せずに視線を泳がせた。

「まんざらでもねーって顔、やだなぁ。もしかして、マジで流川のものになっちゃったんですか?」
「や、違……! なってません」
「ふぅん?」

真意を見抜いてくるような視線に、居た堪れなくなったはナマエは遂には視線を落とした。仙道の口角が上がっているのがよくわかる。

「キスした仲だって言ってましたけど」
「嘘!? なんでそんなこと言っちゃうのよ!?」
「……はぁーん? やっぱりそうなんですか。へぇ? ふうん?」

またもやハメられた。ナマエはテーブルに突っ伏した。暗がりの中で浮かぶ、流川の視線。思い出す、唇の感触と腕の中の温かさ。耳に残る、ストレートな言葉。胸が熱くなるのは、自分の流川に対する意識が変わった証拠であった。以前のように、可愛い弟感覚ではなくなっているのは確かである。

「だ、だから、あの、それは……」
「付き合ってるわけではないんですね」
「えぇ……」
「なら、俺にも可能性まだあります?」
「え?」

顔を上げるとほぼ同時に、仙道の指がグラスを包むナマエの肌に触れた。ぴちゃりと少ないアイスコーヒーの水面が揺れる。

「結構、俺も本気なんですよ」
「……」

いつだかに跳ねた心臓が、また飛び跳ねた。指先が手首へと下り、自分よりも大きな手がナマエの手を容易に包む。自分と同じ飲み物を飲んでいたはずなのに、仙道の体温はやけに温かかった。

「俺の方が、ナマエさんを守れる」
「……仙道……」

目を見ればわかる。今までだって、本当は分かっていたはずだった。それを流していたのは、むしろナマエ自身の方だった。頭の中がぐるぐると巡って、混乱する。何か言わないといけない。分からないでは、流川のように困らせてしまう。どうしようかとナマエが思案をしていると仙道が立ち上がった。反射的に顔を上げると、優し気な眼差しを浮かべている。

「場所を移そう」
「仙道、私……」
「ほら、立って。しょうがないので俺の奢りですよ、センパイ」

その優しさに、いつも甘えていたのだとようやく理解した。


 * * *


仙道に導かれるまま、ナマエが辿り着いたのはストリートコートだった。無人のコートはどこか物寂し気で、ようやくきた最高峰プレイヤーを歓迎しても彼はボールを手にしていない。沈黙のリングの傍で、ナマエと仙道は腰を下ろした。

何も言葉は出てこない。仙道も何も口を開かない。釣りをしているときは2人並んでいても穏やかな空気間なのに、今は気まずい雰囲気だ。それもこれも、全部見て見ぬふりをしてきた自分なのだとナマエは視線を落とした。

「俺はね、ナマエさんを困らせたくなかったし、俺なりのマイペースさでナマエさんと仲良くなれればいいと思ってたんですよ」

ははと力なく笑う姿にいつもの爽快さはなく、本気の言葉なのだとナマエは察した。だからこそ、心が痛むものがある。もしかしたら、仙道と同じ高校だったならばまた違っていたのかもしれない。

「俺は、ナマエさんのことが好きです。めちゃくちゃ、異性として好きだ」
「…ぁ……」

再び握られた手は、カフェの時もよりも力強く包んでくる。そのまま引っ張られて、気が付けば仙道の中にいた。流川とは違う、別の香りが鼻を擽る。決して嫌なわけではない。温かく心地良いはずの人肌に、ふとナマエは違和感を覚えた。それが何なのかが分からずにただ黙っている。

いつまでそうしていたかは分からないが、ふと仙道の中に埋まっていた頬を上げられた。穏やかさを象徴している笑みは消えて、真剣な眼差しが向けられている。思わず、唇が開いた。

「ナマエさん」
「…せ、仙道……?」

整った仙道の顔が近付いてくるのを感じた。整った鼻先が、吐息が肌を擽る。微かに傾けられた仙道との距離に、どっと心臓が跳ねた。咄嗟に、ナマエは仙道の胸板を押してしまう。それが、明確な答え。

「……やっぱり、もう決まってるじゃん」
「仙道……あの、」
「ずりぃな……期待させんなって」
「あの、……あの、……ごめん、なさい」

仙道の想いの強さが分かっているからこそ、ナマエはその言葉を絞り出すのが賢明だった。次第に、胸が痛んでくる。跳ねた鼓動は明らかに流川の時と違ったのだ。身体が反射的に動いてしまうほど、違った。自分は、流川が好きなのだとここにきて自覚をしてしまった。

それは同時に、目の前の男を激しく傷つける行為だと分かっているから、ナマエの言葉は震える。泣いてはいけない。あまりにも自分勝手すぎると理解していても、心苦しさに涙が浮かんできてしまう。

「ごめ、…違う、私、ずるくて……仙道のこと、全然、分かってなくて……ごめんなさい」
「……謝らないで。俺が泣きたくなるでしょ」

仙道の柔らかな声色に、口元を抑えながらナマエは何度も頷いた。

「悪いのは俺の方なんですよ、ナマエさん」
「違う、仙道じゃなくて!」
「俺なんだ」

まるで、自分のせいにしていいから。そう言われているような言葉に、再び頬を涙が伝った。それを拭う手は、とても優しい。仙道を傷つけているのは自分であるのに、どうしてその仙道から慰められるのだろうか。自分の力なさにナマエは再び涙を溢した。

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