そして、飛躍していく | ナノ

一歩か百歩かの前進

いつも良く笑うセンパイだと思っていた。初めて会った時も、次に会った時も、静かにそれでいて楽しそうに笑うセンパイだと。靡いた髪に目が向いたのも恐らく初めての出来事であろう。きっとその時から流川の意識は奪われていたのだ。

変わらない笑顔を浮かべているナマエに、流川は苛立ちを覚えた。そして、その腕を掴み教室から出る。後ろから木暮の声が聞こえたがそれを止めたのは赤木だった。だがそれすらも今はどうでもいい。

流川が向かった先は屋上であり、荒々しく扉を閉めた。

「ちょっと、どうしたの流川。……って、これ持って来ちゃったじゃない、もう」

ナマエの手元には、袋に入れられた異物が入っていた。大方、あの女たちがナマエへ送りつけた品々なのだろう。ここまで、されていたのだ。

「なんで言わなかった」
「え? 何が」
「それ」

流川の視線がその異物たちへ向けられ、ナマエは肩をすくめる。

「大事な証拠を集めていたのよ。さっきのどうせ聞いていたんでしょう? 口で言ったって分からない人には、こうして物で実証しないと」
「怪我は」
「暴力振るわれてないわよ。呼び出しにも応じないようにしていたしね」

ということは、何度も呼び出されたこともあるのだろう。もしかしたら、知らないところで生徒会が終わった後に囲まれたことだってあるのかもしれない。流川は、自分が知らないという事実に、自身への怒りを募らせる。

「でも驚いた。流川が来てくれるなんて。きっとあれが一番効いたわね!」

まるでナマエは気にしていない。苛められていたことに病んでいない。ましてや、その大きな原因を作った流川に対しても、何も気にしていないのだ。

「流川、ありがとう」
「礼なんていらねぇ。元は俺のせいなんだろ」
「……え?」

流川が、自分の気持ちのままに3年のフロアへ赴き、ナマエへ公然と求めたから。それ以前から噂が流れていたとしても、大きくなったのは紛れもなくそれからだ。赤木と木暮にその日注意を受けた真意を、流川はようやく理解した。

「そんな、流川は悪くないわ。流川は何も」
「した。センパイのメーワク考えないで動いた」
「……気にしてたのね」
「む、俺だって気にする」

目を瞬かせたナマエは次いでくすくすと笑う。笑うところじゃねぇと流川が睨みを利かせても、次第に声を漏らしてナマエは笑っていた。

「ふふ、あは…っふ、面白い……」
「なんで笑う」
「流川、やっぱりアナタ優しいのね」
「優しくねぇ」
「優しいわよ。こんなことまで気にしてくれて……っふふ、嬉しいわ、ありがとう」

目尻に涙を浮かべながら笑うその姿に、流川は動いた。手にしていた異物を放りなげ、流川はうるさい口を塞ぐ。これにはナマエの笑いもぴたりと止まった。

「……うるせー」
「……」
「まだ言うなら、また塞ぐ」
「…そーゆーことを、気軽に」
「好きだっつってんだろ」

どうしてこうも伝わらないものか。流川はナマエの頬を撫でた。ぴくりと震えた肩からは、まるで先程までの勢いを感じ取られない。これは、自分しか知らない姿なのではないかと途端優越感を覚えた。以前にも抱いたこの感情は、やけに心地良い。

「センパイの答え求めてねーっつたけど、やっぱ無理」
「なに言って……」
「知らねー連中に触られんのも、絡まれんのも我慢ならねぇ」

脳裏によぎるのは仙道、そして三井だった。当初自分から取らないと言っていたのに(その時流川は自覚すらしていなかったが)、やけにナマエを気に掛ける姿が心をざわつかせる。たかが1,2回会っただけであろう2人が、自分を差し置いて全国への切符を約束し合ったのも今思い返してみれば腹立たしいのだ。

「アンタが、欲しい」

恋愛なんて知らない流川には、口説き方も愛情の伝え方も分からない。ただ、したいように、言いたいように本能に身を任せるしかない。目の前の女を抱き寄せて、再び口付けを捧げた。押し付けるだけの不器用な感触。見方を変えれば、ストレートな行為。

ナマエの驚く瞳を見つめたまま唇を重ねていると、つぅっとその瞳から涙が溢れ出たのを見て、流川はぎょっとした。咄嗟に離れる。

「……いやなのか」

以前と同じ問いを投げかける。ここでもこの人は分からないというのだろうか。それとも、流れた涙のようにイヤだと拒絶をするのだろうか。次第に、流川の皺が寄っていく。

「……」
「いやなら、……もうやらねー……。俺が迷惑かけてるっつんなら、やらねー……多分」

自信はない。流川は小さく息を吐いて、目の前から発せられる言葉を待った。自分を待たせる人間は恐らく、後にも先にもナマエだけなのだ。必死になっている自分に、流川は気付く。

「ナマエセンパイ」
「……は、は…ふふ、」
「む?」

縋るような声を、ナマエの笑い声が止める。涙を浮かべ、頬に伝わせながら、ナマエは静かに笑ったのだ。困ったように眉を下げて、流川を見上げた。

「まいったわ。……いやじゃないから、困っちゃう」

そう言って笑うナマエに、流川は小さく名前を呼んだ。そしてその後頭部を引き寄せて、腕の中に収める。試合の時とは違う温かい感覚。柔らかい存在を抱いたまま、流川は小さく息を吐いた。

ようやく落ち着いた流川に襲い掛かってきたのは、圧倒的睡魔だった。腕には心地良い温もり、昼に寝られなかった分が一気に押し寄せてくる。流川は何とか瞼が閉じるのを堪えて、ナマエの手を引き、壁際へと座り込んだ。

「流川?」
「ねみぃ……」
「はい?」
「昼邪魔されたから、取り返さねーと……」
「ちょっと、もうすぐチャイムが……!」

校内に、チャイムが鳴り響く。ナマエは脱力した。人生初めてのサボりである。当の本人は、ナマエを抱えたまま既に眠りに入ったのであろう。規則正しい小さな寝息が耳元に聞こえてきた。

「……寝るの早すぎないかしら」
「…すぅ……すぅ……」

これが、あの怒涛の攻めをしてきた男だと思うと、ナマエは先ほどまでの胸の鼓動を返してほしいと瞼を閉じる。


 * * *


翌日。
幸せ絶頂へ昇り詰めようとしていた流川の顔は、不愉快丸出しだった。目の前には苦笑しているナマエ本人の姿がある。

「ずるい。せこい。汚ねぇ。詐欺」
「あのねぇ。センパイに対して何てことを言うのよ」
「センパイなのに騙した」

ナマエは頬を掻く。
偶然、校門で流川の寝こけた自転車が三井に当たり、それをナマエが発見した朝の時間。三井からにやにやと「で、お前ら付き合ったのか?」と揶揄われ、流川が頷く前にナマエがきっぱりと否定したのだ。これには流川も三井も仰天した。

「いやじゃねーつった」
「い、言ったけど……好きとも言ってないじゃない」
「む……確かに……」
「だ、だから気持ちは嬉しいけど、好きかって言われるとまだ分からないと言いますか……」

昨日あんなに詭弁とした態度を毅然をとっていたとは思えない、ナマエの姿がそこにはある。ナマエにとって流川からの気持ちは嬉しいものだった。彼からの猛攻もまた、心に突き刺さるものがあった。しかし、好きであり、付き合えるのかと問われると素直に頷けないところがあったのだ。

「……」
「あの、……ごめんなさい」
「……いい」
「え?」

恐ろしい程むくれていた流川が、はぁと息を吐いてカバンを背負いなおす。

「惚れさせれば良いってことだろ」
「……あ、そうきた」
「いやじゃねーなら覚悟しとけ」

これでもかと強く釘をさすような言葉に、ナマエはこれからが思いやられた。

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