そして、飛躍していく | ナノ

募る苛立ち

流川が初めて噂を耳にしたのは、とある雨の酷い日だった。いつものように眠りこけていた昼間に、本当にたまたま耳に届いたのだ。

「知ってるか、ウチの生徒会副会長の話」
「ああ、例のアレだろ?」

生徒会副会長――ナマエだ。いつも遅くまで残っているのを流川は知っていた。いつだって最後は1人であることも、本人から聞いている。ぴくりと肩が反応したが、流川は気にせずに眠りにつこうとしていた。

「男をたぶらかしてるって」

のが、覚醒した。
瞼を閉じたまま、クラスメイトの名前も知らない奴への嫌悪感が昂る。下品な汚い口元からナマエの事が出来るのが、気に食わなかった。これも嫉妬というやつなのだろうか。

「去年、サッカー部の部長を取り合って当時3年だった彼女とモメたらしいよなぁ」
「あんな穏やかな顔してやることやってるよなー」
「今度は流川狙ってるんだって?」

クラスメイトの視線がこちらへ向いたことに気が付いた。先程よりも音声がより鮮明に耳に届く。

「ま、流川は期待の新人だしな。つーか俺は、ラグビー部の2年をもうホテル連れ込んだって聞いたぜ。けっこーなイケメンらしいしな」
「マジかよ。うっわー、なんか俺……次あの人部活に来た時まともに話せねぇわ」

勝手なこと言ってんじゃねぇ。
それが流川が最初に内心で吐き出した言葉だった。あの人がそういう人間でないことは流川が良く知っている。学校のために、各部活のために自分の時間を費やして遅くまで残っている。部活へのサポートの時だって懸命に仕事をして、彩子にも劣らない程の仕事っぷりと発揮していたのを流川は知っていた。

何も知らないバカが、勝手なことを喋っている。その時、流川はこの程度にしか思っていなかったのだが、とある練習の放課後、流川は三井に引き留められた。

「おい、流川」
「……?」

1on1だろうかとボールを片手に三井を見ると、「違ぇーよ」と笑われる。ならば用はない。流川が一歩歩き出したときに、耳に届いたのは自分が恋愛を自覚したナマエの名前だった。これには咄嗟に足が止まる。

「お前の耳にも届いてるか、ミョウジの噂」
「噂でしょ。関係ねー」
「前に後輩の女どもに囲まれてるのを見た」
「は?」

流川はようやく三井と向き合う。さっきまで笑っていた三井の表情は硬く、試合中のような真剣な眼差しをしていた。いや、その中に秘められた怒りを流川は感じ取り、目を細める。流川が聞く気になったのを悟った三井は、先日のことを口にした。

「1年か2年かは知らねぇが、ミョウジを取り囲んでお前に手を出すなって言ってたぜ」
「……なんすか、それ」
「さぁな。ミョウジ本人も大して気に留めちゃいなかったが、どうせこの噂もそいつらが原因だろ」

流川の内に、先日聞いたナマエの噂話が流れる。まるでナマエのことを知ったような風に語る名も知らないクラスメイトたち。初めて殺意が湧く。ありもしない出来事に乗っかって、何が楽しいのだろうか。

「ついでに今日仕入れた噂話を教えてやろうか」
「……」
「お前が、ミョウジに弱みを握られてるんだってよ」
「弱み?」

なんだ、弱みって。流川の眉間に深々と皺が寄る。三井も口元だけが緩く笑うような声色で言葉を放ったが、その瞳は変わらず憤りを隠せずにいた。

「副会長としての立場を利用して、流川の弱みを握って良いようにしてんだとよ。はっ、笑えるよなぁ? そんなことするタマじゃねぇだろうが!」

笑えねぇ。なんだそれ。
流川の指先に力が籠められる。三井が表面で怒りを飛ばすように、流川は内で怒りの炎を燃やしていた。

「……ま、そういうことだ。流川、お前もミョウジと接することがあったら気を付けとけよ。周りにそいつらがいるかもしれねぇ」
「うす……」

流川はその日、怒りを抱いたまま自転車を飛ばした。生徒会室に電気は灯っておらず、目的を即座に切り替える。校門を一気に飛び出し、どちらだと思案するも分からず結局勘で走る。その先にすぐ目当ての背中を見つけた。

「主将!」
「なんだ、流川か」
「どうしたんだ、流川? まさか、なんかあったんじゃ……!」

赤木と木暮が驚いたようにこちらを振り向く。まさか流川が自分たちを追ってくるとは夢にも思わなかっただろうし、苦労人である木暮に至っては部室で何か問題が起こったのではと冷や汗をかいていた。流川はそんな2人に小さく首を横に振って、自転車から降りる。2人が、ナマエのクラスメイトであると知っていたから。

「……ナマエセンパイ、大丈夫そうですか」
「なに、ミョウジか?」
「噂、聞いて……。コウハイにも絡まれたって」
「後輩に絡まれただって!? それは初耳だぞ!」
「……アイツ、何も起こってないとは言っていたが……」

どうやら2人は何も知らないらしい。赤木と木暮が言うには、後輩から呼び出しを受けたりはしていないという。確か三井は放課後、部活が終わった後にナマエを囲んでいたと言っていた。日中は狙わないのだろうか。

「そうっすか……。なんかあったら、教えてください」
「あ、ああ……それは勿論だが…… 」
「なんかあったのか、流川」
「……」

流川は赤木の眼差しを受け止める。ここまで炎上した理由を、流川は理解していた。

「俺が、前に3年のトコ行ったからだってのは、分かってるんで」
「……」
「……」
「……言いましたから。お疲れっす」
「あ、ああ。流川も気を付けろよ!」

木暮の挨拶を背に流川は再び自転車を走り出す。



それが、確か5日前だったのだ。
遂に、事が動き出した。いつものようにぐっすりと眠っていた流川を叩き起こす強者が現れたのだ。殺す……とのっそり起き上がり、誰がやったんだとクラスメイトを睨みつけると、その指は一斉に後ろへと向いた。そこにいたのは、予想外にも三井だった。

「眠りを妨げるヤツは、センパイでも許さん……」
「んなこと言ってる場合か! あいつらが動き出したぞ!」
「…むっ……?」

三井によって寝首を引っ張られ、教室を出てようやく覚醒をした。欠伸を漏らしながら、三井から聞く。ミョウジの教室に、女子生徒が乗り込みに行ったと。ぱちんと覚醒した流川は目を座らせて、自ら歩き出した。

「な、3年のフロア静まり返ってるだろ」

階段の途中で足を止めた三井が口角をあげて指差していた。確かに、何も聞こえない。大抵休憩時間はどこもうるさいのに。それよりも、三井が余裕そうであることに流川はむっとした。ナマエの一大事で、慌てて自分の頭を叩いてきたセンパイを憎たらしく睨む。一歩足を踏み出したところで、尖った声が聞こえてきた。

「流川くんの邪魔しないで!」
「もう部活にだって来ないでください!」
「生徒会だって辞めちゃえ!」
「中途半端に来られたって何の役にも立たないし!」

その言葉に、流川の青筋がぴきりと脈打った。誰が好きに言ってんだと殺意が湧く。殴ればこのうるさい声も止むだろうかと更に一歩足を踏み出して聞こえたのが、ナマエの淡々とした声だ。その声色は何にも臆することがなく、流川が抱いていたような恐ろしい出来事は起こっていないのだと察した。

三井が口元に手を当てて、静かにするように言う。流川は素直に従い、さらにゆっくりと足を踏み出した。近付けば明確な言葉が聞こえてきて、同時にナマエの猛追にむしろ口元が緩む。

「苛めたいならもっと気合入れて苛めに来い」
「っ……」
「幼稚な苛めで私の心が折れると思った? 流川流川っていうけど、アナタたち彼に何かアクションした? 話してるだけで妬んでたらこの先妬んでばっかで疲れるわよ。後、先輩には敬語を使って礼儀を弁えなさい、無礼者」
「っな、なに…よ……そんな……酷い……」

なるほど、自分が好きだと認識した女は強いらしい。三井が少し余裕を持っていたことを理解すると同時に、自分よりもナマエを知っていることに少しだけ苛立ちを覚える。考えてみれば、ナマエと会ってからこの苛立ちをよく胸に抱く。

ナマエの力強さを認識し、流川はもう良いと潜めていた足を大きく踏み出した。事の中心人物である流川の登場に、廊下がざわめく。

「流川だ……」
「おい。流川のヤツがきたぞ……」
「どうなるんだ、この展開」

外野の声は、流川の耳に届かない。ただ、不愉快な雑音ばかりが苛立ちを昂らせていく。

「そうやって脅してきたって私たち屈しません! 流川くんだってメーワクしてるんですよ!」
「誰がメーワクしてるって」
「るっ流川くん!?」

足元にあるのは手紙と一緒に混じったゴミ。虫の死骸と一緒にガムテープで巻かれているのが刃物だと気が付き、流川はそれを放り投げた。後ろからの汚い声をBGMに、ナマエがツンツン頭の男と一緒に居たという言葉が不快感を更に高める。

「ツンツン頭……」
「ふふっ」

笑うナマエに、間違いなくそれが仙道だと察した。なるほど、面白くない。流川は面倒なことが嫌いであり、うるさいものも嫌いである。ましてや、好きだと自覚した相手に、自分以外が面倒事を押し付けるのはもっと嫌がった。

「俺が、勝手にナマエセンパイに惚れてるだけ。人のコイジを邪魔すんな」

周囲へ力強く牽制をかける。たちまち去っている弱い存在を放置し、静まり返る教室の中で、ナマエと向き合う。彼女は怯えることなくいつものように笑顔を浮かべていた。

「ふふ、怒らないで流川」

あまりにも変わらないナマエの笑顔に、流川は苛立ちを隠せなかった。

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