そして、飛躍していく | ナノ

隠れた憤怒の化身

その日、ナマエは海辺の堤防に腰を下ろしていた。傍には釣りの道具も一式置いてあるが、まだ開けていない。のんびりと海と空との境界線を眺めながら、作ってきた麦茶で口を潤す。

三井の懸念の通りに、後輩たちからのアクションは激しさを増してきた。不思議と同級生や2年生は手を出してこない。親衛隊の中でも考え方がバラバラなのか、はたまたあの女子生徒たちは親衛隊ではなく普通に過激なファンなのか。それとも、去年のナマエによる反撃を知ってのことなのか。原因は分からないが。

靴箱へ悪質な手紙が入っていたことを皮きりに、ゴミや画鋲が靴の中へと入れられていた。まだまだ幼稚ではあるけれど、確実に本格的な苛めへと着々と近づいていっていた。

「……んー、何だかなぁ」

手紙には執拗に流川が好きなのか、流川を邪魔するな、好きなら身を引けといった文面が書かれていた。最終的には男漁りの文字が明記されており、再びイラっときたのだが。同時に、改めて自分にとって流川がどういう存在なのかを考える。彼からの想いを知って、自分の気持ちはどうなのだろう。

流川はカッコいいと思う。外見もそうだが、バスケに対する熱い熱量は魅力的だ。その姿勢も目を見張るものがあるし、美しいと形容できる。まあ、授業中など他の態度はどうにかしたほうがいいが……。

バスケ以外でも、よく気が付く男だとは思っていた。試合中も、一緒に帰宅する時も。彩子に聞いていた情報よりも喋るし、家の近くまでまさか送ってくれていたと知ったときには心底驚いたものだ。きっと、口で言わないだけでいろいろ考えていて、それを何も言わずに実行して……勘違いされやすいけれど、普通に優しい人物なのだろう。あの要領得ない単語を呟くだけなのは、止めてほしいけれど。

流川にキスをされて、酷く嫌悪感を覚えたりはしていない。1回目は動揺こそして身体の力が抜けたが、翌日になれば本人も無意識の戯れということで片付けて気にならなくなっていた。のに、2回目はどうだろう。分からないと流川には答えたが、嫌ではなかった。かといって嬉しいという感情も出てこなかったということは、恋愛感情はやはりないのではないだろうか。

「難しいこと考えるの嫌いなのよねぇ」
「俺も」
「……そんな感じするわ」
「ははっ、酷いなぁナマエさん」

ひょっこりと顔を出してきた仙道に、ナマエは呆れて溜め息がついた。この男と出会った時もこうして突然顔を覗かせてきたなぁと思い出す。いつのまにか隣に座り、同じように境界線を眺めていた。

「今日は釣りは?」
「これからよ、これから」
「大分ぼーっとしてませんでした?」
「……アナタ、何時からいたの」
「秘密」

まったく、と笑みが零れる。難しいことばかり考えて表情が硬くなっていたのだと、その時に察した。大きく息を吸い込む。気持ちの良い潮風を前に、難しいことを考えたって意味がない。きっといつかはっきりするであろう。自分が流川をどう思っているのか。

「さて、今日は何釣れるかなぁ!」
「もう考え事は終わりですか?」
「ええ、長く考えてたって仕方がないわ」

カバンに手を伸ばし、お楽しみに準備をする。仙道もまた、釣竿を取り出した。クーラーボックスを忘れてきたというその言葉に、いつも持ってきてないでしょうと笑いながら共有するために2人の間に置く。

「この間のバッシュ、調子よく出ますよ」
「あら、本当?」
「ナマエさんと選びに行ったって言ったら、彦一の奴、会いたがってました」
「彦一って……あぁ、元気な1年生くん?」
「そうそう、元気な1年生くん」

仙道と選んだのは黒いバッシュだ。機能性が分からないナマエは、ただ単純に「それ格好いいね」と言っただけなのだが、どうやら仙道も気に召したらしい。仙道本人としては、履き心地の良さに加えてナマエの言葉があったから購入したのだが、思いのほか足にフィットしていてご満悦していた。

「しきりに俺たちの仲を気にしていたんで、どうですインタビューでも?」
「えぇ? 仙道余計なこと言いそうだもの」
「余計なことって何ですか、酷いなぁ」

仙道の竿がしなる。今日は先に彼が釣れたようだ。クーラーボックスへと入れられた小さなアジは尾を振っていた。

「せっかくだしこの後もまた行きませんか?」
「え、またバッシュ買うの?」
「違う違う。さすがにそんな金ねーや。ランチからのデートコース」
「あれってデートだったのかしら」

あれ、酷いなと再び仙道が笑う。仙道は良く笑うなとナマエも釣られるようにして笑った。仙道からすれば、ナマエからの笑みに釣られているのだが。

「男女が買い物して飯も食ってなんて、立派なデートでしょ」
「ふぅん……」

では、流川とのあれもデートなのか? と、不意にナマエの頭に流川の顔が再び過ぎった。あれもデートと呼べるものなのだろうか。バッシュを選ぶ時もランチの時も、ほとんど会話という会話で盛り上がらなかったが。むしろ仙道との方が大いに盛り上がった。けれど、どちらも楽しかった。

「相変わらずだなぁ、ナマエさん。あ、何ならそのままウチの練習見に来ますか?」
「釣り道具持って他所の応援に行く人がどこにいるのよ」
「俺ら」
「ら、じゃないでしょう? スパイだと睨まれるのは私なんだから。特にあそこのキャプテン、ちょっと顔いかついし」

魚住と呼ばれていたキャプテンの顔が浮かび、彼に怒鳴られるビジョンまでナマエには見えていた。仙道は笑いながら「違いねぇや」と短く言う。湘北をライバルと認めているからこその威圧感なのだろうが、ナマエは怒られるのはごめんだった。

「ま、練習見に来るってのは冗談でもさ。ランチぐらいしましょーよ。ねっ?」
「……あざといわねぇ、仙道」
「そんなこと言うの、ナマエさんくらいですよ」

大きな図体した男が、背中を丸めて下から見上げてくる。懇願する楽し気な瞳に、諦めの吐息が零れる。仙道はやったと勝利の喜びに浸った。調子づいてきたのか、再び竿がしなった。

結局2時間ほど釣りを楽しみ、一部の魚を手にしてナマエは仙道と歩き進めた。近くに釣った魚を鯖いてくれる場所があることを告げると、仙道は目を丸めて驚いた。いつも自分では捌けないためリリースをしていたらしい。

2人で共に取れた海の幸を味わい、満足げに店舗を出る。仙道が押してくれる自転車に荷物を置いて歩き出す。

「満腹になると幸せな気持ちになるわぁ」
「あ、それ同感。もう何もしたくなくなる感じ」
「仙道は割といつもそんな印象なんだけれど……」
「あれ? 違いますよー」
「どの口が言って……げ」
「ん?」

ナマエは顔を歪めて足を止めた。視界の先に、見知った顔があったのだ。その相手は例えようのない形相でこちらに睨みを利かせて、勢いよく去っていく。遠くへと消えている後ろ姿にナマエは顔を覆った。

「何です、あの子?」
「あぁ……や、気にしないで」
「殺人鬼みたいな凄ぇ顔してましたけど。恨まれるようなことでもしたんですか」
「してないんだけど、したようなものね」
「は?」


 * * *


翌日。
朝から登校した時点で周囲からの視線が痛い程突き刺さってくる。ひそひそと聞こえてくる声はナマエに対する懐疑の声だった。靴を履き替えようとして、再び入っている手紙にうんざりしながらその場で開く。堂々と書いてあるのは「湘北の副生徒会長はアバズレ」という単語だった。これには思わず紙を握り締める。

階段を上っても、廊下をすれ違っても、痛々しい視線が入ってくる。情報のまわりが早い。もっと別のことに対して精力すればいいのにと思いながらクラスへ足を踏み入れると、クラスメイトが集まってきた。

「ねえナマエ、なんかすっごい噂流れてきてるんだけど……!」
「ミョウジさんが男をとっかえひっかえしているとか、昨日も海で男誘ってラブホ行ったとか!」
「流川くんのことも、弱みに付け込んで無理やり誘ってるとか!」
「えぇ……? 凄い発想力に仰天している私がいるわ」
「ってことはやっぱり嘘なんだ! よかったぁ。だと思ったんだけど、皆言ってるからさぁ!」

クラスメイトが信じてくれるのも日頃の努力のお陰であろう。生徒会役員としての働き、教室での立ち回り、部活へサポートしに行った時の言動。意識をしてしていたわけではないが、去年から少しだけ気にしていた。3年目になってこのような仕打ちを受けるとは露にも思っていなかったのだが。

休み時間になるたびに何人もの生徒たちが束になって教室を覗いてくる。その度に、心配そうな瞳をクラスメイトから向けられながら、ナマエは綺麗に受け流していた。木暮からも「大丈夫か。まさか、また流川と何かあったんじゃ……」と保護者のような顔できたものだから、ナマエは首を横に振って関係ない旨を伝える。

昼食の時間になり、初めて動きがあった。女生徒数名が姿を現したのだ。中には、いつぞやに生徒会室の前で会った顔ぶれもある。

「ミョウジ副会長はいますか!?」
「私たち、話があるんです!」

例の女子生徒5人に更に付随して何名か。先陣を切った生徒は、仙道と共に歩いていた時こちらを睨みつけてきた女子だった。大方、この女子生徒が噂を垂れ流したのであろう。ナマエを庇うようにクラスメイトが帰るように言葉を放つが、ナマエはそれを牽制して彼女たちを向き合う。

「ちょっと、来てもらっていいですか」
「悪いけどこれからご飯なの。話ならここで聞かせてもらっていいかしら」
「何あの態度……!」
「自分は悪くないって面してるわ!」

彼女たちの呼び出しに応じれば暴力沙汰になってもおかしくない。ナマエは毅然とした態度で臨んだ。録音機器がなくても、まわりには証言者がたくさんいるのだ。自分の頼もしい味方もその中にはいる。

「じゃあ言いますけど、もう流川くんに関わらないでください! 昨日見たんですからね、ツンツン頭の男の人と一緒に居るところ!」
「ウチの生徒じゃない男の人にまで手を出すなんて、サイテー!」

ツンツン頭なんて言われてるわよ、仙道。
これを聞いたら彼はなんて思うのだろうか。たかだか異性と一緒に外を歩いていただけで手を出したと思われては、この先、全てそうなる。何と幼稚な言葉を用いるのだろうとナマエは怒りよりも呆れが勝っていた。

「異性と歩いていることが、不純異性行為になるのかしら。ラブホテルへ行ったなんて噂が流れているみたいだけど、入った瞬間をアナタは見たのかしら」
「なッ……でも楽しそうにして! どうせ流川くんのことだって、生徒会の立場して利用してるんじゃないんですか!?」
「そーよそーよ!! 他所の部活手伝いに行くふりして、いい男漁ってるだけじゃない!」
「去年だってサッカー部の部長をたらしこんだって聞きましたよ!!」

1人が勢いづけば、もう1人が更にその勢いに乗ってくる。我慢ならんと後ろで大きな音が立ち、思わず後ろを振り返る。

「貴様ら、聞いていれば……!」
「こら、赤木。落ち着いてちょうだい」
「だがな、ミョウジ!」
「平気よ。怒ってくれてありがとう」

そこには顔を赤くした赤木の姿があった。ナマエのサポートに助けられた3年間を知っているが故の怒りだったのだが、ナマエはそれを笑顔で制する。それが尚更、目の前の女子生徒たちの憤りを増長させていった。

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