ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  08

とある休日。ナマエは珍しく火貂組のとある一室へと招かれていた。ここには一度立ち入ったことがある。というのも連れてこられたあの日なのだが。しかも汚い倉庫のようなところ。

今朝、左馬刻の部下が直接家に来たかと思えば、若頭が呼んでいると言われ連れてこられたのだ。事前のアポくらい、と思ったがそういえば連絡先を交換していないことに気付いた。


「待たせたか。」


ソファに座って10分も経たずに、呼び主は姿を現した。いつものアロハシャツに身を包んだ彼は、相変わらずの不愛想な表情で向かいのソファに腰を下ろす。


「急に呼び出しちまって悪ィな。」
「ううん、大丈夫だけど……どうしたの。突然。」


何か、良くない事態でも起こったのだろうかとドキドキしながら問うと、左馬刻は手にしていた茶封筒を静かにローテーブルに置いた。それなりの厚みのある封筒と、何も告げない彼とを交互に見る。どうやら自分に向けたものであるらしい。ナマエはそっとそれを手にした。途端に中身が見えてぎょっとする。


「ちょっと、これどうしたの?」


封筒には数十枚の札束が綺麗に入っていた。しかも、諭吉だ。重厚なその存在感に驚きを隠せないまま左馬刻に問うと、彼はちょうど煙草に火を付けたところだった。


「キチガイの財産だ。」
「え?」


一瞬何を示す単語なのか分からなかったが、つい先日の出来事を思い出してナマエは口を閉ざした。じっと、札束を見つめる。何枚あるかを数える気はしなかった。数える必要はなかった。


「どうして……?」
「あの男、裏社会からも金を借りてたらしい。それを返金しようといろんなトコから盗み働いて、あの日に俺様の車を凹ませやがった。」


ふー……と、空間に煙が昇る。


「警察が家宅捜査やら身辺調査やらしてたら、それが見つかったってワケだ。アイツ名義の金庫の中にな。」
「……。」
「名義はあの男だが、実際に預けたのは別の人間だった。それを調べた先に出てきたのが……。」


紅玉がこちらを射抜く。


「アンタだよ、ナマエセンセ。」


天井に昇った煙は、色を失くして散った。


「男見る目なさすぎだろ。」
「……ホント、ね。」


茶封筒をそっとテーブルに戻し、ナマエはソファの背もたれに身を委ねた。微かに軋む音はするが、その黒革は彼女を受け止める。


「左馬刻くんや。」
「あ?」
「今から独り言言うわ。」
「……勝手にしやがれ。」


ナマエは力なく笑った。高い天井には再び白煙が舞っていた。


「経庵先生に師事を受けながら医学生としてイケブクロで勉学してた時から、付き合ってたの。」


今こそ女尊男卑の世界へと転換しつつあるが、その当時までは男尊女卑があまりにも強かった。医学界なんてその象徴たる世界だったかもしれない。医学生になっても、周りに打ち解けられない。ましてやあの医学界の神と称された種実屋経庵の愛弟子だと知られてからは、その当てつけは酷かった。


「あの男どもをいつか見下してやるーって気持ちで、必死に勉強してたらやっぱり男なんて離れてくものでさ。そんな中であの人だけが私の支えになってくれてた。」


確かに、種実屋経庵や山田一郎をはじめとする周囲の支えはあった。だが、女としての支えはなかったのだ。どんなに努力をしても、女としての欲望は満たされない。


「あの人だけが、私の唯一で……辛いときも傍にいてくれた。」


念願の医師となり、研修時期にボロボロになった精神を癒してくれた。過酷な勤務で疲労困憊になっても身体を受け止めてくれた。溜まる性欲も満たしてくれた。


「イケブクロで順調に医師として実績を上げつつあるときに、あの人は職を失くしたの。次は私が支える番だと思ってた。私には、その余裕があったから。」
「金か。」
「そ。今思えば、職を失くしたんじゃなくて、手離したのかもしれないわ。」


ナマエは重々しく息を吐く。瞼を閉じて、あの時の日々を振り返った。


「完全に、依存してたと思う。支えてもらったから、次は私が支えなくちゃって……そればっかりで、事あるごとに彼にお金を渡してた。昔の上司との食事代が足りないとか、車があれば仕事に就けるからとか、親の体調が悪いから手術費を出してくれとか……。」


ああ――ホント……。


「段々酷くなって、私のために働こうと思ってとか言って、闇金に手を出して。収集つかなくなって、私のお金で解決したこともある。警察に…………渡したことも、ある。」
「……バカだろ。」
「でも、あの時の私は、必死だった。必死で……働いて、稼いで、貢いで……。あの人のために借りた金庫に、数年分のボーナスも置いといた。何があっても、すぐに対応できるようにって。」


冷静に考えれば、自分も狂っていたのだ。


「あの人が、また多額の借金作って。金庫のお金の出番だって思った。だから、そのお金出して……あの人に渡そうと思って……家に帰ったら……。」


鮮明に思い出す。部屋の中が荒らされていた。自分の通帳も消えていた。何度も、あの人の隣にお金を下ろしていたから、暗証番号だって知れていたのだ。


「失った。全部。」


慌てて確認したら、全額消えていた。


「幸い、別の通帳にも貯金してたから、生活に問題はなかったけど……その後から、あの人と連絡はとれなくなった。」
「……。」
「初めてだった。自分の全てを奉げた人に、裏切られたその喪失感は私を殺して……。暫くはね、もしかしたら帰ってくるんじゃないかって思っていたの。また、お金を貸してって、笑いながら頼んでくるんだって。……でも、そんなに優しい世界じゃなかったみたい。」


ナマエは腕で自らの顔を覆う。膨らんでくるのは、怒りよりも自身への情けなさ。自身への責だ。他人に溺れた結果がこれだ。

結局、人は信じられない。人は真に愛し、愛されることなどない。人は、裏切る。そんな生き物なのだ。


「何で戻した。」
「……期待、してたんだよねぇ。」
「こんなアホでも医師になれんだな。」
「あはは、同感。」


分かっていたはずなのに、お金は金庫に戻した。いつか、のために。他人に溺れる結末を知っているはずなのに、それでも最後のハッピーエンドを求めている自分は、今でも甘ちゃんだった。


「あの時、あの人に出会って変わらない姿が嬉しくて、悔しくて、悲しくて……。」
「……。」
「きちんと仕事して、自分に向き合ってくれるなら、もしかしたらもう一度――そう思ってた私がいたのが否定できなくて。自分が、一番怖くなった。」


だから、


「だから、左馬刻くんががっつしシメてくれて、良かった。ありがとう。」
「俺様はあのチキガイにイラついたからやっただけだ。アンタのためじゃねぇよ。」
「知ってるけどさー……。」


それでも、救われたのは事実だ。


「なんか、ようやく立ち切れた気がするわ。」
「おっせぇんだよ。」
「うるさいなぁ。どうせ左馬刻くんはそういう人生経験ないんでしょ。」
「……。」
「え、あんの? ……っ!」


急な無言になり、まさかと腕をどかして目を開けると、天井が見えるはずなのに紅玉の双眼に見下ろされていた。予想外の立ち位置に思わず目は丸まり、呼吸が止まる。動いてはいけない。まるで金縛りにあったように、その瞳から目を離すことが出来なかった。


「ぁ……。」


白い、大きな手が、ナマエの額に張り付く前髪をどかした。そのまま、掌は耳を覆う形で頭部に当てられて、どこかくすぐったい。だが言葉にならない声が漏れるだけで、身動きをとることは出来ない。


「さま、とき…くん?」
「……。」
「……。」


何も、彼は言わない。ただ、煌く瞳がナマエをじっと見下ろすだけ。



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