ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  07

この足首の痛みもだいぶ落ち着いてきた。松葉杖は二本から一本になったが、歩くのはまだ不便であり、車の運転もできる状態ではない。それでも日常生活が楽になっただけ幸いだ。何せ、お風呂に入るときも大変だったのだから。家事だってする気力も起きなかった。


「ナマエさん、お酒は何か飲みますか?」
「ん、ビールなかったっけ?」
「ありますよ。いつものでいいですか。」
「うん、ありがとー!」


普段は一人しかいないこの部屋に、今日はお客さまを迎えている。バタン、と冷蔵庫が閉じる音と共にキッチンから彼は姿を現した。テーブルの上には久しぶりに豪華な食事が並んでいる。いつもは一人分だったから、二人分の食事を作るのは楽しかったとナマエはわくわくとした気持ちを露わにした。


「まさか来てくれるなんて思わなかった。ありがとう、一郎くん。」
「そんな! 骨折したって教えてくれれば、すぐに来たのに。」
「さすがに迷惑かけるわけにはいかないわ。」
「迷惑なんて、思ったことないっすよ。」
「ありがと!」


山田一郎。それが彼の名前だ。20にギリギリ満たないが、顔立ちや声色はもう大人のようなそれだ。昔はあんなに可愛かったのに――まあ、確かに御世辞にも良い態度ではなかったけれど。
ナマエはビールを開けて、目の前でコーラに満たされたグラスを傾ける一郎と音を鳴らした。


「かんぱーい。」
「乾杯!」


ごく、ごくと喉を通る独特の感触に、ナマエは深く息を吐く。


「あ〜久しぶりのビール美味しい!」
「ははっ、珍しい。飲んでなかったんですか?」
「うん。暫くは体を休ませようと思ってね。」
「その方がいいですよ。ナマエさん、無茶し過ぎですから。」
「あら、一郎くんに言われたくないなぁ。」


そこから、ちょっとした昔話に花を咲かせる。元々、イケブクロに住んでいたナマエは、彼がまだ小さなころから知っている仲だった。無論、彼の愛する弟たちのことも良く知っている。児童保養施設に恩師である経庵と何度か赴いたこともあった。それから紆余曲折ありながらも一郎は独立。似たように独り暮らしをするナマエのことを何かと気にして懐いてくれて、大人びた年下に、ナマエも心を許していた。

そんな彼から再び連絡が来て、どうしても足のことを伝えざるを得ない状況になったら、彼が赴いてくれたのだ。やはり、優しさは相変わらずのようだった。


「それにしても、具合は大丈夫なんですか?」
「ん? うん、問題ないよ。」


さすがに彼に、ヤクザを助けたら勘違いして怪我させられた。などということは出来ず、ぼーっとしていたら階段から落ちそうになったと伝えている。


「車は運転できないって言ってましたよね。どうやって出勤しているんですか?」
「えーとね……知り合いが車出してくれて。」
「そうなんですか! 良かったですね。ナマエさんの勤務不規則だし、心配だったんですよ。」


無邪気にほほ笑んで、心底心配してくれる純情な彼に本当のことは言えないな。とナマエは内心で失笑する。彼も昔は荒れていた時期があった。詳しくは知らないが、実力行使もしていたようだから……もしかしたら優しすぎて、ヤクザを潰しかねない。


「ヨコハマも、結構治安悪いッスからね。変なことに巻き込まれたんじゃないかって、俺、気が気じゃなくって。」
「あはは、そんなに治安悪いかなぁ。イケブクロも夜は似たようなものじゃない。」
「ま、そうなんですけど……。」


一郎はグラスから口を離して視線を彷徨わせた。左右で異なる綺麗なその瞳が幾度か動いた後、双玉はナマエを見据える。


「ヨコハマ・ディビジョンって、知ってますか?」
「え。……うん、知ってる。」


まさに、そこのリーダーに世話になっているのだ。とはいえ、ディビジョンについて知ったのはつい最近の出来事であるのだが。


「そこに碧棺左馬刻ってヤローがいるんですけど、ソイツにだけは何が何でも近づかないで下さいね。」


どくり、とした。


「ん〜と、どうして?」


目の前の双玉は今までに見たことがないほど真剣な色を映していて、どこかその表情は憎悪を浮かべているのだ。あの一郎が、そのようなことを言うなんてとナマエは予想外であった上に、その名前は今自分との距離が近い男だったから尚更、どくりと心臓が揺れたのだろう。


「アイツは……最悪な野郎だ。女にゃ手は出さないはずですけど、決して善人なんかじゃないッスから。暴力でどうにかしようとする、クズだ。」
「……そう。」
「まあ、ナマエさんとは関りのない世界の人間だから、心配無用だと思いますけどね!」


不安を打ち消すように、憎悪を隠すように、一応はにっこりを無邪気な笑顔を浮かべた。ナマエはそれに合わせるようにゆるりと微笑む。心臓は、変わらず嫌な音を立てていた。


「そうね……。一応、名前だけは覚えておくわ。」
「ん! そうしてください。」


一応は何事もなかったような笑顔で頷き、テーブルに広がる料理に向かって箸を伸ばした。


「うんめ〜! やっぱナマエさんの料理は最高だ!」
「大げさだよ。」
「そんなことないって! これ食うとすんげー安心する、マジで!」
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいわ。」


綻ぶ表情とは裏腹に、ナマエの中には話題に上がった男の姿が浮かんでいた。
確かに、決して善人ではないだろう。ヤクザである以上、力で解決する場面だってあるはずだ。一郎の言っていることが嘘だとは思わない。けれど――それだけではないと、脳は拒絶していた。

貸しを作らないためとはいえ、多忙な中での送迎は確かにしてくれた。足をしきりに気にしてくれた。お疲れさんと労りの言葉をかけてくれた。事故に遭ったとき体を支えてくれた。狂気じみた男から、確かに守ってくれた。なにより、自分が倒れた時にかけてくれたあのシャツは――彼の心遣いだ。


「ナマエさん?」
「え?」
「どうかしたんですか?」
「あ、なんでもない! ちょっと、イロイロと考えちゃって……。」
「……そっか。」


何でもないわけない。けれども、決して深堀をしてこないその優しさに、ナマエは甘えた。


「ところで、今夜は泊っていく?」
「えぇっ、さすがに女性の部屋には泊まれませんよ!」
「でも、どうするの? 多分、ごめん、終電間に合わないわ。」
「この辺にホテルとるんで大丈夫ッス。あ、安い宿知ってます?」
「ココ。」
「だぁっ、だからダメですって!」
「もう、気にしないのにぃ。」
「ナマエさん、俺のことからかってるでしょ!」


ジャケットのように顔を赤くする青年に、ナマエはくすくすと笑う。からかわれていることを察した一郎は、恥ずかしそうに視線を彷徨わせた後、ちぇっと悪態をついて目の前の料理に手を伸ばした。


「こーなったらこの料理全部食べてやる!」
「どーぞどーぞ!」


ああ、久しぶりの解放感。イイ。
ナマエはさらにビールを口に含んでほほ笑んだ。

今まで、非日常の中にいた気がするが、こうして目の前の彼といると昔に戻ったようで心地が良かった。



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