ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  09

いつもの部屋、籠るいつもの煙が体にまとわりつくのが分かる。灰皿には既に短く折れた煙草が山となっていた。そろそろ破棄しないとテーブルにまき散らされるだろう。だが、その作業はあまりにも億劫だった。どうせ、誰かがやるだろう。そう思い、テーブルに足を乗せて背もたれに寄りかかる。振動で、頂上のタバコが下へと転がり落ちた。


「はっ……。」


足元に当たる茶封筒を軽々しく蹴ると簡単に床に落ちた。茶封筒の口からは、数十枚の札束が顔を出す。つい数刻前に元の持ち主へと返却しようと、昨日預かった……正確には取り上げたそれが虚しく拡がっていた。


「(俺は何しようとしてた?)」


先ほどまで、このソファで、同じように凭れ掛かっていた女がいた。顔を隠すように腕で顔を覆って、長々しい独り言を聞かせられていたのだ。途中から会話になっていたが、それでも女は延々と昔話を語った。

元々、その女と出会ったのは偶然だ。火貂組の三下が余所の組とのドンパチで傷を負って帰ってきた夜中、気まずそうに結果を語った挙句、見知らぬ女から手当てを受けたと語った。当然、俺たち火貂組が三下のカスとはいえ負けた事実にそいつを蹴り上げたのは記憶に新しい。オマケに見知らぬ女に治療してもらった時点で、アイツは不要だと判断せざるを得なかった。

破門するにしても、後始末はしないといけない。しょーがないと重い腰を上げたもののあっけなく事態は解決した。そこらへんのネズミより弱っちいドベの寝首を掴んだまま戻ってみれば、更に面倒なことになっていた。三下のカスが女に手を挙げていたのだ。ぶっ飛ばしただけで気を失うカスは破門前によくシメなければならないようだ。

だが、それよりもその女にケガをさせたという現実。厄介ごとしか持ってこないカスにこれ以上任せても無意味だと判断した結果、自室で女を寝かすことにした。


『――……すけ、て……。』


寝言で、女が涙を浮かべながら言った言葉が、頭から離れることはなかった。ヤクザに囲まれたことへの恐怖で涙したのかと思った。あの時初めて目が合ったときにも確かに我慢しているのが伝わってきたからだ。

――何故か、それをほっとくことが出来なかった。その姿に大事な家族を思い浮かべたのかもしれない。

致し方ないと涙を乱雑に拭ってやり、適当にシャツを上にかぶせると、微かに彼女は微笑んだ気がした。同時に荷から鳴るスマホを何の悪気もなく漁ると画面には良く知った名前が浮かんでいたのだ。


『あー……? 左馬坊、お楽しみだったのかぇ?』
『ブッ殺すぞジジィ。』


そんな言葉を開始に、目の前の女が種実屋経庵と同じ医師であること知った。なるほど、医者としてのくだらない善意のせいでこんなことに巻き込まれたのか、と嘲笑したのもよく覚えている。どうせ目を覚ませば泣くだろう。あぁ、めんどくせェ。

扉を開けると女は既に目を開けていた。ミョウジナマエ というらしいそいつは、落ち着かない様子で、それでも俺のシャツを握りしめてこちらをしっかりと見据えていた。


『……足の具合はどうだ。』
『えっ? ……えっ!?』


一応、クソジジィに聞いてクーリングとテーピングはしたが、それでも痛むモンは痛むだろう。そう思って問うと、女は今気づいたように自身の足へと視線を落として顔を歪めた。

一般人に貸しを作るわけには当然いかねェ。治療費の全支払い、日々の送迎を条件に口止めでもしておくか、と条件を提示すると、女は当然とばかりに断った。どうやら自分の立場が分かっていないらしい。こりゃ脅す必要でもあっか? と、思案していると、女はこちらの意図は察していたようだ。へりくだった、それでいてこちらを見据えた態度で条件を拒絶した。


『もし、それで気が済まないのでしたら――そうですね、毛布を掛けてくださったのが、迷惑料分。ということでこれ以上貰ってしまうと、私が貸しを作ってしまうことになりますので、お気持ちだけで結構です。』


先程まで握りしめていた人様のシャツを、くしゃくしゃの皴は直せないまま丁重に畳んでテーブルに置いたあの女の眼は悪くはなかった。その後に、不安そうにダメかと問いながら揺らぐものだから、まるで小動物のようだと感じたのは違いないだろう。

その後、種実屋経庵とのやり取りの中で女が体を震わせて声を荒げたのは意外だった。この女は、どうやら多少気も強いらしい。ヤクザの俺を目の前にして、そのヤクザの専門医に荒事を言っていたのは面白い。ただの弱弱しい女でもなければ、今の女優位の立場を後ろ盾にしているようにも映らなかった。


『ナマエセンセよォ。』
『そのセンセてやめてくださいな。何ですか?』
『かてぇ態度は慣れてねぇ。緩くやってくれや。』


何度か彼女の送迎を担当していると、やはり社会人である故か息苦しい事務的対応がくすぐったく感じた。


『あそう? じゃあ、そうさせてもらうわ。』


簡単に覆ったのは案外面白くなく感じたが、事務的な態度がなくなっただけで、送迎中の重苦しい雰囲気はだいぶ変わっただろう。最低限の会話しかしないものの、ほとんど毎日のように顔を合わせていた。

そこで知ったのは、やはり職業柄か、朝が早く夜が遅いことだろうか。本人は執刀できないことへの不満を時折漏らしていたが、それでなくても医師という仕事は多忙極めるらしい。確かによく知るかの医師も忙しそうにしていた。


『左馬刻くん。』


そう呼ばれたとき、謎に胸がくすぐったくなった。そりゃ、呼び捨てはヤメロとはいったが、普通くん付けされると思うか? この俺様が女相手にそんな呼ばれ方されてみたら、周囲にもナメられる上に、俺自身も気持ちが悪い。そう思っていたが、案外悪くはなかった。相手が予想外の年上だったからか、悪意のある言い方でなかったからか否かは不明だが。

事が動いたのは、クソチキガイな男に車をぶつけられたあの時からだろう。「ナマエナマエ」としつこく縋る醜い男に対して女が浮かべた表情は、まるで聖母のように柔らかな微笑みだった。だが、瞳は酷く絶望したそれだった。

言葉での会話では代り映えのない女だと思っていたが、表情をよくよく見てみると言葉にはならない感情の数々が露わになっているのに気づく。だからこそ、女の浮かべるあらゆる負の感情が、やけに印象に残った。

銃兎があの場に現れたのは、案外救いであった。他のサツだと対応が面倒なことこの上ない。ついでに、彼女とあのキチガイについて調べさせればいい。面倒だと悪態着く兎を丸め込んで辿り着いたのが――茶封筒だった。


『あの人だけが、私の唯一で。』
『完全に、依存してたと思う。』
『失った。全部。』
『……期待、してたんだよねぇ。』
『自分が、一番怖くなった。』


涙は流していなかった。恐らく、流れなかったのだろう。絶望に拉がれた姿は、過去に見た強気な姿とはまるで一致しなかった。今にも消えてしまいそうなその存在を、引き留めなければならないとさえ感じた。何故かはわからない何がきっかけかもわからない。


『ありがとう。』


感謝されるようなことをしてこなかった人生だ。恐らく、それを言われるべきはこの女であったはずなのに、この女は自身の人生を棒に振ってここまで来たのだろう。勿体ない。


『どうせ左馬刻くんはそういう人生経験ないんでしょ。』


そういわれたとき、図星だった。だが、似たものは分かる。合歓――俺の、唯一の家族。アイツのために、俺は。


『ぁ……。』


気付けば、立ち上がっていた。微かに震えているその身体の傍に寄った。上から見下ろすと、年上であるはずなのに小さな存在にしか映らなかった。きっと、彼女の時は当時のまま止まっているのだろう。そして今回のことを機に、針は動き出すが、流れるときに誤差があり過ぎて、彼女の心と体は分離されてしまう――そう思わせた。

揺れる瞳とぶつかる。微かに開いた唇がやけに艶やかに映った。前髪で瞳が隠されるのは惜しいと感じるのは、きっと人生で初めてだ。なるべく優しく、あの時の涙を拭うような手つきではないそれで前髪をどかす。そのまま、撫でるように耳元に手を寄せた。


『さま、とき…くん?』


こちらをじっと見つめる瞳から、目を離せなかった。


『……。』
『……。』


吸い込まれるような感覚に陥る。揺れる瞳の奥が見えない。ーー暴きたい。表面も、奥も、全てを支配したい。そんな欲求がふつふつと湧き上がる。この薄く開く唇から漏れる空気の振動は一体どんな音色を出すのか――知りたい。


『ふ、ふうとう……。』
『あ?』


彼女の手が、頬に当たる。気付けば、先ほどよりも至近距離にその顔はあった。前髪が、彼女の額に触れている。いつ、こんなに近付いた?


『封筒、あげる。』
『何言ってんだ、あれはテメェの……。』
『車の、保障代。』
『あんなァ、こんな話して、まだキチガイの尻を拭うつもりか。』
『違うよ。……初めて、違う。』


ゆるり、と微笑む彼女を、キレイだと思ってしまった。


『私の意思で、貴方のために使いたいの。』
『……。』
『私を助けてくれた、お礼。だから、左馬刻くん、受け取ってくれる?』
『……。』


そんなことを言われて、断れはしなかった。
そんなことを言われて、これ以上近づけなかった。

身を離して頭を掻く。


『しゃーねぇな。返せっつっても、返却しねぇかんな。』
『あはは、勿論。あ〜〜! なんかスッキリした。ありがとうね、左馬刻くん。』
『だから、くんはヤメロって言ってんだろ。』


彼女を、自宅まで送った。その間に、会話はない。まるでそれが暗黙の了解のように、互いに口を開くことはなかった。

きっとあの時、彼女が口を開かなければ。彼女の瞳から目をそらせなかっただろう。吸い込まれるように、踏み込んではいけない領域に足を付けていただろう。


「(ざけんな。)」


俺は誰だ。碧棺左馬刻さまだ。
誰にも揺らぎはしねぇ、揺らがせはしねぇ。



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