ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  32(完)

意識が浮上する。ここはどこだろうか。
いつも寝ている自室のベッドよりも些か硬い。毛布もかかっていないせいか、少し肌寒いかもしれない。けれど、何故だろう。頭に少しだけ重みがあって、それがやけに温かいのである。目を開けたくないけれど、何か大事なことが起こっていた気がする――はたと目が開いた。

「うぉっ!?」
「……さまときくん……?」

眼前にいる男が驚いたように身を引く。頭に乗せてあった重みと温もりが消えたことからも、恐らく手を当ててくれていたのだろう。撫でてくれたのかもしれない。どちらであれ、安堵の正体はハッキリとした。

「あー……気分はどうだ」
「うん。悪くはないかな」

互いに気まずい空気が流れる。思わず視線を彷徨わせると、ここが左馬刻に、昔呼び出された個室であることに気が付いた。けれど、先程までいた場所は……。

「そう! あれ、あの!」
「ははっ、ンだよ」
「だって冠氏先生と……」

そうだ、自分は冠氏に誘拐された。その後、左馬刻が助けてくれて彼の胸に飛び込んだのだ。あれからいったい、何がどうなったのか

「安心しろや。もうアイツは追ってこれねーよ」
「え?」
「銃兎に任せてきた。分かるな、警察に引き渡したんだ。ま、サツに渡したから安心ってワケでもねぇだろうが……もう、アンタの前に出てこれねえよ」
「……もう、襲われない?」
「ああ」
「もう、怖い思いしなくてすむ?」
「ああ」
「……もう、私を拒絶しない?」

小さな、その問い。
左馬刻は一瞬目を開くが、ゆるゆると目尻が下がっていく。常に眼光が鋭い彼からは想像できないほど穏やかな眼差しへと変化していく。ゆっくりと、まるで安心させるようにナマエへと手を伸ばした。

「しねぇよ。したらアンタ、泣くだろ」
「泣いてない……」
「下手な嘘つくんじゃねぇ。年上なのに、だらしねぇし」
「年下なのに年上傷つけた」
「う……悪かったよ。俺様が、悪かった。だから許せよ、ナマエ」
「ずるいよ……左馬刻くんの、ばか。ばかバカ」
「あァ、バカだったなぁ……」

そっと互いに腕を伸ばし合う。まるで力加減を知らない獣が赤子を抱くように、左馬刻は恐る恐る女を引き寄せた。首筋に顔を埋めると静かに息を吸って、吐き出す。腕の中にあるこの温もりを二度と失わないように、瞼を閉じた。

「なあ」
「ん?」
「あー……その、なんだ」
「なにさ」
「まあ、そのよ」
「……」
「……あー……」

顔を上げたくても、優しい腕に抱かれている今は動けない。ナマエは胸がくすぐったくなりながらも、耳元から聞こえてくる躊躇の声に意識を傾けた。

「――」
「! それって……」

吐息とともに、言葉にされてこなかった期待が、紡がれる。

「ナマエさん!!」
「っきゃ!?」

単語の意味を認識する直前に、荒々しく扉が開けられる。同時に目の前の胸板を突き放した。左馬刻は椅子からずり落ちるが、それにも目をくれることなく突撃者、山田一郎がこちらの手を両手で握り締めた。

「起きてる! だ、大丈夫っすか!? 怪我は!?」
「な、な、ないよ大丈夫!」
「? 顔赤いっすけど……まさか熱!?」
「ち、違うから!」
「でも……ッて〜〜!?」

突然目の前の一郎が姿を消した。視線を落とせば頭を抱えた彼と、顔を挙げればその彼に拳を下した左馬刻がいた。いつも通りの、威厳に満ちた眼光である。

「何しやがる、左馬刻!」
「だから『さん』をつけろと……まあいい。テメェも少しは役に立ったんだからな。褒めてやんよ」
「アンタに褒められても嬉しかねェなぁ」
「ねえ、なんで一郎くんがいるの?」

左馬刻と一郎が、互いの顔を睨み合い不機嫌そうな顔をする。当然の問いに口を噤み、左馬刻が面倒そうに口を開く。

簡単に言えば、左馬刻と冠氏によるラップバトルが勃発されたらしい。無論勝者は左馬刻であったものの、違法マイクの力で生み出した一瞬の隙を縫って、冠氏は逃げようとした。そこを、ちょうど部屋を訪れた一郎が殴り止めたらしい。騒ぎを聞きつけた銃兎と理鶯によって、冠氏は捕縛。無事に警察へと連行されたとか。

「銃兎さんと理鶯さんまで……。一郎くん、ありがとうね」
「ナマエさんのためですから! 本当に、怪我はないですか?」
「うん。大丈夫」

記憶に無いのは、ラップバトル中に意識を失ったからだという。非現実的な緊張とストレスによって張りつめていた糸が、左馬刻の登場で切れたのだ。無理に起こすこともなく、左馬刻の組にある自室へと連れてきたのが現在である。

「ストーカー野郎の件はこれで安心ってわけだ」
「ったく、ブクロにいた時からだったなんて。俺が気付けてりゃあ、こんなこと!」
「無理もないよ。私自身でも気づかなかったし」
「ただな、ナマエ」
「?」

左馬刻の真剣な声色に、まだ何かがあるのだと不安が込み上げながら向き合う。

「ストーカー野郎も、みなとみらいで襲撃した男も、同じマイクを使っていた」
「いわゆる、違法マイクってやつッス」
「その出所は分かってねェ。それまでは、決して安全とはいえねぇ」

つまり、目先の不安はなくなっただけで、今後は分からない――ということだ。どうして自分がこんな目に……。そう考えざるを得ないながらも、何をするべきかはわかっていた。ナマエは、目の前の紅玉に信頼を寄せて頷く。

「私はどうすればいい?」

覚悟のこもった意志を感じ取ったのか、紅玉は一瞬瞠目して、

「アンタが選ぶ道はたった一つだ。俺と一緒に居りゃあいい」

ニヒルに、自慢げに笑みを深めた。

「はぁ!? なに言ってんだ! アンタに任せられるか!」
「うっせー。お前のトコにおいたってコイツは仕事もできねぇだろ」
「っ……だ、だったら俺が送る! 毎日!」
「あ? で、テメェは仕事できんのか? 現実見ろダボ」
「ッ〜〜だからって、アンタのとこになんて……!」
「分かった」
「へ?」
「左馬刻くんが守ってくれるなら、行くよ。どこでも」

この選択が間違っているなんて、思わない。思いたくない。
きっと彼はもう、傷つけたりしないから。
自分も彼を傷つけたりはしないから。もう、大丈夫。

「……懸命だな」

満足そうな左馬刻に安心したように頷く。対して一郎は不満そうに口を尖らせていた。

「まっったく納得できねェっすけど。ナマエさんが、望むなら」
「あの、ごめんね、一郎くん」
「だぁぁあッ、そんな顔でこっち見ないでくださいよ! いいか、左馬刻! 次ナマエさんに何かあったら、俺は今以上にアンタを許さねェかんな! 絶対に潰してやるからな!!」
「ハッ。やれるもんならやってみろ。お子ちゃまじゃあ、俺様の相手にはならねぇだろうがなぁ?」
「〜〜ッ!」

目にいるこの二人の因縁は知らないが、きっと、この風景は少し柔らかなものなのだと察した。言い合いをする二人を見つめていると、ちらりと紅玉と視線が絡み合う。不思議と嬉しそうに、見えてしまった。


「よろしくね、左馬刻くん」
「おう。よろしくしてやんよ」


そうして、混乱の収拾と共に奇妙な同棲が始まるのである。




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