ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  31

ナマエが再び目を覚ました時、また先程とは異なる部屋だった。周囲を見回すが、やはり見たことのない部屋。此処は何処だろうと体を起こして、床に地面をつく。ふと、立ち上がったときに一室にあるデスクが目についた。不自然なことに、目の前の壁には小さなカーテンがつけられている。ナマエはそれぞ恐る恐る開けた。


「ひっ…!?」


咄嗟に体が身を引く。カーテンの裏にはコルクボードにさまざまな写真や新聞記事が貼られていた。そっと近づいてそれらを確認するも、どれも見知ったものばかりだった――自分の写真や記事だったからだ。


「これ、確か初めて赴任した時の……?」


種実屋経庵に取ってもらった、病院を背景とした写真。けれどこれは、角度が違う……盗撮なのは言わずもがな。


「これは、初めて術場に立った帰りの打ち上げ……これが、ヨコハマに来た時……これ、あ!」


一枚の写真を手に取る。豪華な車に背もたれている左馬刻と、それに近づく自分の姿。明らかに病院内から撮られた写真。全部、全部が盗撮。深々強い執念に恐怖を抱き、口元に手を当てると、デスク上に分厚いノートが置かれていることに気付く。


「……これ、日記……?」


パラパラ、と罪悪感を感じないままに捲る。始まりは丁度10年前からだった。書き手である、おそらく冠氏が綴るその一文字目には『僕の目標』と記載があった。


「『僕の目標。僕は今日、女神に助けられた。これを記念として忘れないように記す。僕がいつものように苛められボロボロになった姿に、女神が声をかけてくれた。可愛らしい声で、大丈夫ですか? と。この言葉にどれだけ救われたことか。渡してくれた飴玉が、僕にはどんな傷薬よりも効果があったんだ。』」


次のページを開く。


「『あれから付近を通っても女神には会えない。会いたい。』」


更にページを捲る。暫くは会えない悲しみを綴っていたが、ふと大きな文字が白紙を埋め尽くしていた。


「『会えた! 女神はちょうど大学への入学式を迎えたようだ。この大学の医学部に合格したらしい。軌跡だ。女神はやはり女神だった。彼女の今後を応援するとともに、僕自身の将来は決まった。彼女の傍で、彼女の医療を手助けするんだ!』」


ページと隅に写真が張られている。間違いなく、自分の大学入学式の写真だった。横顔は違いなく自分であり、数年前から彼のストーキングに会っていたのだと初めて認識をする。


「『彼女の勤め先に落ちた。最悪だ。何故かイケブクロではなくヨコハマの病院に勤めることになってしまった。最悪すぎる。せめて同じイケブクロだったら良かったのに……だがこの病院には彼女の師匠である種実屋経庵がいた。ここにいれば、いつか会えるかもしれない。頑張ろう。』


……。


「『彼女が、ヤクザに捕まった。何をされているんだろう。彼女を助けるときが来た。今度は僕が助けるんだ。相手があの碧棺左馬刻だろうと僕は屈しない。僕の女神は、僕の手で助ける。待ってて、ナマエさん……。』」
「――やっとわかってくれた?」
「!」


突如として聞こえた声に思わず日記を落とす。足先に触れた硬い書物の感覚がやけに伝わってきた。体の奥底から寒気が這いずり回ってくる。


「ナマエさんは覚えていないと思うけれど、僕、昔助けてもらったんだよ。」
「…おぼえて、ないわ。」
「うん、そうだと思う。それでいいんだよ、それだけナマエさんは人を助けてるってことなんだから。」


冠氏はポケットから何かを取り出した。くしゃり、とプラスチックの音と共に、指で摘まんだそれを見せた。


「これ、昔ナマエさんがくれた飴玉の袋。ナマエさんが苛められていた僕の心と体を救ってくれたんだよ。だから僕、ナマエさんのために同じ道を辿りたいと思えたんだ。」
「気持ちは……嬉しい。でも、私は……こんなこと望んでないから。…帰して?」
「でもナマエさん、困ってるでしょ?」


冠氏は飴玉の袋を再度ポケットにしまいそっと近付く。咄嗟にナマエが身を引くのも気しないまま床に落ちた日記を拾い上げて、再びデスクの上に戻す。


「碧棺左馬刻とどうであったのかは分からないけれど、彼に絡まれてから貴女はおかしい。時にまるで恋をするように恍惚とし、時にまるで見捨てられたかのように目を潤わす。貴女を惑わす存在は――僕が、消す。」


再びポケットから取り出したのは、マイクだった。黒々しいマイク。


「消されるほど、ヤワじゃねぇよ。」


耳に声が届く。
久しぶりに聴く、低い声。威圧的だけれど、何故か包容力のある暖かな声。

どうしてか、涙腺が緩む。
あの時の恐怖よりも、来てくれたことへの安堵の方が大きい。


「さ、まとき…く…!」
「悪ィ、遅くなったわ。」
「碧棺左馬刻…!!」


ドクロ型のマイクを手に持ち、その鋭い眼光がナマエを一瞥した。


「そのマイクはどこで手に入れたんだ?」
「貴様に答える筋合いはないな。彼女は僕が守るんだ。」
「はっ、ガキが一貯前なこと言ってんじゃねぇよ。守ってほしいと、そいつは思ってるか?」
「思ってるさ。だよね、ナマエさん?」
「……。」


狂気的な瞳が、じっと見据えてくる。けれど、今は一人ではない。意を決して、ナマエは口を開いた。


「冠氏先生。私は、決して守ってほしいとは思っていません。」
「……え?」
「左馬刻くんは先生が思うほど悪い人ではないんですよ。……確かに、乱暴で凶悪な面もあるかもしれないけれど、こうして……助けてくれる人だから。」
「助ける? この男が?」
「ええ。昔の私が先生を助けたように。彼は私を助けてくれたんです。だから、冠氏先生……どうか、貴方も見失わずに誰かを救える人になってください。」


しっかりと見据えて伝える。どうか、この思いが彼を改心してくれればよい――そう願った。


「……あは。」
「?」


けれど、現実は優しくはなく。男は小さく笑みをこぼした後に、何か箍が外れたかのように大声をあげだす。それは瞳に混じっていた狂気を具現化したようで、ナマエは顔をひきつらせた。


「もう、ダメなんだね。ナマエさんはコイツに囚われたんだね! 大丈夫、僕が、正常に、させるから……!!」
「か、冠氏先生……!」
「チッ、こっちに来いナマエ!」


左馬刻が手を伸ばす。ふっと、その掌に反射的とはいえ身が震えた。あの時に拒絶されたことを、明確に。


「……ナマエ。」


左馬刻も気づいているのだろう、眉間に眉を寄せるが、小さく舌打ちをして再度奥へと手を伸ばした。


「お前は、俺が守る。誓ってやるよ、アンタをもう離さないって。」
「…左馬刻くん…。」
「あー……あん時は、悪かった。何度でも謝ってやるからこっちに来い。」
「……しんじて、いいんだよね……?」
「当たり前だ。……来い、ナマエ。」


謝ってやるから、来い。だなんて上から目線で誰がその胸に駆け込もう。けれど、ナマエにとってこの言葉はただの安定剤だった。行くなと冠氏の手が彼女の身を捕えようとするのを身を捩って逃げて、ナマエは一直線に駆け込む。


「っと…!」


そして、逞しいその体に飛び込んだ。途端広がる、懐かしい香り。シャツを強く握って、ナマエは瞼を閉じた。


「っは、そのまま耳、押さえられっか?」
「うん……。」


あの時と同じ。目を閉ざして、耳を抑える。自身の背には何よりも安心できる腕が回った。もう何を言っているのかは伝わってこない。けれど、触れた体は大きく息を吸い込み、確かに言葉を吐き出した。



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