ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  30

ナマエは、暗闇の中で鈍い痛みを覚えた。そこでようやく、自分が意識を失っていたことに気が付く。瞼を開こうにもその気力が湧かない。ただ、次第に意識がはっきりするにつれて鈍痛が強くなる。起きなければならない、そう強く念じることで重い瞼を開く。

電気がついていないのか部屋は真っ黒であった。体を起こそうと床に手をつくと、冷たいが柔らかな感触が掌に触れる。ここで自分がベッドに寝かされていることに気が付いた。


「ッたぁ……」


身体を起こすと尚更鈍痛が増す。どうしてこのようなことになったのか、首元に走る痛みに眉を寄せながら記憶を遡っていく。そう、確か自分は同じ医者である冠氏絹に声を掛けられたのだ。カンファレンスで聞きたいことがある、という彼の言葉に頷いてついていった先で問われた――「立花さんと、お付き合いをしているんですか。」と。ここで拒否を意を示したときに、冠氏絹の瞳の色が変わったのだ。黒い眼がより暗く、淀んで……そうして彼は次いで何を告げた?

怪しくなってきた記憶に頭を捻らせていると、部屋に近づく高い音が聞こえた。カツン、カツンを確かにそれは大きくなる。ナマエの体が硬直した。恐怖に心臓の音が大きく耳に届く。だが、恐れ故に身体は動かずじっと開かれるであろう扉を見つめた。


「ああ、起きていたのですね。ナマエ先生」
「冠氏、せんせ……」


扉から現れたのは、自分がここに来る直前まで共にいた男だった。着ていた白衣は既に脱がれてラフな私服に変わっている。その表情はこの場にそぐわない程に柔らかなものだった。音を立てずに扉を閉めた冠氏は傍にあったイスへと座る。


「首元、痛みはどうですかね?」
「……。」
「初めて使ったから心配だったんですけれど、大丈夫そうですね」


不信感から口を閉ざすナマエに目もくれずに、冠氏は笑みを浮かべたまま脚を組む。すぐ隣にある机からスタンガンを手にした。冠氏は自らの口で、その武器を使ったことを認めたのだ。ナマエの体が微かに震えはじめた。


「……どう、して」
「どうしてって?」
「こんなの…犯罪、ですよ」


震えた身体で発した声もまた微かに振動していた。それを感じ取っているのかは分からないが、冠氏は変わらない笑みを浮かべたままに、口角を大きく吊り上げる。そしてスタンガンを置いて立ち上がった。何をするつもりなのか、と身が跳ね上がる。


「あはは、取って食おうっていうんじゃありませんよ。だから、そんなに脅えないでください。……ね?」


冠氏はそのままナマエの足元に膝を付いた。反射的に身を引きそうになった彼女の手にそっと自らのを重ねる。震える瞳を落ち着かせるように下から見上げてくる冠氏の表情には、決して悪意は見られなかった。だからこそナマエは、その似つかわしくない言動に恐怖を覚えているのだが、それに冠氏は気付いているのか。


「ナマエさん、僕は貴女を救いたいんです」
「救う……?」
「はいっ! だって、ずっと付き纏われていたじゃあないですか」


何のことか――ナマエが瞼を瞬いた直後に、首元に痛みを覚える直前のことを鮮明に思い出す。目の前の男が、しきりに別の男たちを気にしていたことを。


「立花春樹と、碧棺左馬刻に」
「――!」


名前を口にだされることで蘇る数々の感情。立花からの熱い想い、それをも容易に凌ぐのは左馬刻からの拒絶。別の振戦が身体を襲った。彼女の手に触れていた冠氏の力が少しだけ強まる。


「怯える必要はないんですよ。もう大丈夫」
「っ?」
「貴女の想いを揺さぶる男はいません。貴女のことを傷つける男はいません。ただ、僕がいる。貴女を昔から想い続けてきた――僕だけが」


ナマエの身が包まれる。拒否したいはずであるのに、この犯罪者から逃げたいはずなのに。何故か体は言うことを利かず、ただ温い体温に触れざるを得なかった。同時にふと睡魔が襲ってくる。鼻に流れ込んでくる、香水の香りだろうか。そう考えているうちに次第に瞼は重くなり、再び静かな寝息が零れた。

* * *

左馬刻たちが訪れることになったのは郊外にある古い屋敷だった。明らかにもう使われていないような、ボロボロになった屋敷。けれど、窓の奥からかすかな光だけが漏れていたことから、そこにいるのは理解できた。


「ホントにここで合ってるんだろうな?」
「監視カメラを追跡した結果です。違ったらカメラに文句を言うしかありませんね」
「ふむ。だが人の気配はあるな」


車から降りた三人は屋敷を見上げる。門は錆びており、鍵は閉められていることはなく微かに空いていた。理鶯がそれを開けると、ギギギ…と音を奏でる。


「む?」
「どうしました?」
「誰かが通っているな」
「誰かって、クソヤローとナマエじゃねえのか?」
「いや…二人の足跡とは別に、もう一つある」
「……ふむ。敵はまだいるということでしょうか?」


理鶯はその足跡をじっと見つめて、正門とは別の方向へと歩き出した。二人はそんな彼を信頼しているのだろう、何も言わずについていく。理鶯に導かれた先には、屋敷の裏側にある入り口だった。


「ピッキングされた後がある」
「…敵かは怪しくなってきましたね」
「どの道、俺の邪魔するやつは敵だ。行くぞ」


誰かが明けてくれた裏口から屋敷へと侵入する。中に入るとやはり手入れされておらず埃が目立った。昔は大層な屋敷だったのであろうが、今はそのような面影もない。冠氏絹が見つかれば彼を拘束して居場所を吐かせればいい、左馬刻は会ったこともない男と情けのない自分自身への怒りを静かに抱いて前へと進んだ。

どこにいるのかも分からない彼女の姿を求めて、扉という扉を一枚ずつ開けていく。けれどもこの屋敷には扉が多すぎた。一枚開けては次の扉が何枚も広がる始末。


「キリがねぇな」
「ですね。此処は別々に行動するのが策……ん?」
「どうした、銃兎」
「……しっ。誰か、いますね」
「ああ、小官も感じている。奥の部屋だ」
「はっ、上等じゃねぇか。クソヤローだったら絞めりゃいい話だ!」


オラァという声と共に左馬刻は目の前の扉を蹴り開けた。すると部屋の奥にいた影がびくりと体を震わせてこちらを見る。左右の異なる瞳が、大きく丸まった。


「テメェ、なんでここに……!?」
「ッ左馬刻……!」
「『さん』を付けろやァ!」


そこにいたのは、山田一郎であった。いつものように眼をつけあっている二人だが、そこを割って入るのが中とである。


「何故、貴方がここに?」
「何故だと? アンタが、アンタらがナマエを守らなかったからだろうが!!」


一郎が左馬刻の胸倉を掴むが、軽々とその手を跳ね除けた。まるで汚いものに触れられたとばかりにシャツの誇りを落として左馬刻は睨みを深める。


「なんでテメェがここにいるのかってきいてんだよ」
「……」


二人がにらみ合う。
先に折れたのは、一郎の方だった。


「俺の知り合いに――ナマエさんと同じ病院に勤める人がいるんだ」
「なるほど。その者から聞いたのだな?」
「ああ。冠氏絹って男がナマエさんを呼び出してから行方が消えたって情報を持っていたから、それをツテに探しまくった」
「結果、小官たちと同じ場所に辿り着いたというわけか」
「アンタが、……中途半端にナマエさんに接してたから巻き込まれたんじゃねぇのか?」
「……」
「アンタがしっかりと守ってやればこんなことッ……!」


何かを悔いるように力拳を作る一郎を、左馬刻は表情を変えることなく見据えた。互いに吐き出す言葉を失いつつ、壁掛け時計だけが針を静かに進める。


「俺は、もう手放す気はねぇよ」
「…は?」
「俺のモンは誰にも触れさせねえ。俺のモンに手を出した奴は、コンクリに埋めて港に落としてやんよ。テメェも同じだ。馴れ馴れしく……俺の女の名前呼んでんじゃねぇぞ」


左馬刻が踵を返す。


「ここからは別行動だ。男を見つけたら締め上げろ」
「了解」
「承知しました。貴方も、気を付けることですね。相手は悪質なマイクを持っている可能性がありますから」
「はっ……簡単にへばるほど弱くねーんで」


何かが通じ合ったのか。それは当人らにしかわかりはしないが、男たちは互いに背を向けた一室を過ぎ去った。目的は只一つ。たった一人の女を救わんがために。



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