ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  29

ミョウジナマエの明確な不調は、彼女の職場の人間を混乱させた。短時間で痩せこけていく体、落ち着くことのない目の腫脹、一点に定まらない焦点、それなのにミスをしないその頭脳と手腕には声を掛けても跳ね除けられてしまう。


「ミョウジ先生、お疲れさまです。」
「冠氏先生……ええ、お疲れ。」


部屋を後にすると後方から声を掛けられて踵を返す。白衣に身を包んだ冠氏絹が少しだけ息を乱してこちらに駆け寄った。彼女の目の前で止まると、眉を下げながら微笑む。


「先のカンファレンスの件で伺いたいことがあったのですが……お忙しいですか?」
「いいえ、大丈夫ですよ。……ここで良いですか?」
「あっ。出来れば落ち着いて話をしたい、です……もちろんミョウジ先生が良ければ!」
「もちろん、構いません。」


慌てる冠氏とは裏腹にナマエは落ち着いた――悪く言えば変わらないトーンと表情で対応していた。普段であれば笑うであろう彼女の様子に冠氏は何も言え無さそうに表情を硬くするが、すぐに頭を振った。


「第二会議室が空いてました。行きましょう!」
「ええ。」


途中、二人でお茶をカップに淹れて会議室へと向かう。道中で職員とすれ違うことはなく会議室へとついた。扉を開けて中に入るときに表の白い札をスライドさせる。赤く「使用中」と変化した個室の中に静かに入室した。ガラス張りの窓にはブラインドが下ろされ、部屋の電気がつけられる。ホワイトボードには、数時間前まで話を盛り上げた術式について乱雑に明記されていた。


「……あの、お話の前に。」
「ん?」


席に座り先にお茶を口に入れる傍らで冠氏は瞼を伏せる。虚ろなえ瞳でナマエは彼を見上げた。前髪に隠れる瞳を探そうとじっと見つめていると、それと絡み合った。緊張したようにごくりと彼は生唾を飲んで、ゆっくりと口を開く。


「立花さんと、お付き合いしてるんですか。」
「……え?」


不思議な問いが投げかけられた。回らない頭で懸命に考える。立花春樹麻酔科医と自分が交際をしているのではないか、確かに目の前の冠氏はそう告げた。


「知ってます? 今持ちきりなんですよ、ミョウジ先生と立花さんが付き合ってるって。最近、二人がよく一緒に居るから……だから、気になって。」
「そうなんですか。」
「そうなんですかって……違うんですか?」
「…私には、そういう相手はいませんよ。」


薄っすら、ほんの少しだけ口角が上がる。脳裏にフラッシュバックしてくるのは銀髪だが、すぐに目の前の男に現実へと戻された。


「そっか! ああ、良かったぁ!」
「…噂になってたんですね。」
「ええ、前の飲み会からお二人やけに親しげに見えて、もしかして噂は本当なんじゃないかって僕、焦ってしまいました。」
「焦る……。」
「せっかくヤクザから離れたのに邪魔されたら溜まったものじゃないですよ。」
「……え?」


ようやくナマエの瞳に微かな色が戻った。目の前の彼は今何と言ったのか。働かない頭でゆるりと思考が動かしたとき、黒い双眼がぐっと近づいてくる。反射的に身を引こうとした身体も肩を掴まれた。


「ミョウジ先生は、僕のなのにね?」
「――。」


刹那、鈍い痛みと共に世界が黒く塗りつぶされた。

* * *

その日、種実屋経庵は太い葉巻を噛み締めながら、曲がった腰に手を当て事務所の中を堂々と闊歩していた。その視線は鋭くとても老爺とは思えない威圧感を纏っている。向かいから現れる組の人間もこの気配には体を固め無言で道を通した。

奥の扉、中から聞こえる微かな声を無視して経庵は扉を蹴飛ばした。荒々しい扉が開かれ、あまりの強さにバネがやられたのか鈍い音を出して微かに前後に揺れ続ける。中にいた三人の特徴的な瞳に怯えることなく一直線に銀髪の男へと向かった。


「ジジィ、扉くらいノックして入ってこいやッ――!?」
「オラクソッタレ。何かましてくれとんじゃ、あ?」


経庵は葉巻を綺麗に、テーブルに置かれた灰皿へと投げ飛ばし、その手で左馬刻の胸倉をつかみ上げた。持ち上げられた左馬刻の身体に銃兎と理鶯は目を丸める。ただ一人、やられた本人は紅玉をギラつかせて皴交じりの瞳ににらみを利かせる。


「おい。誰の胸倉掴んでんだ。」


静かな低いトーンが響く中で経庵は怯える様子もなく、男の顔に近づけば。口の中に溜まる独特の煙を深々と吹きかける。


「汚ねェモンくれんなや、あ?」
「どっちが汚ェかテメェの胸に聞けや左馬刻ェ。」
「どーゆーことだ。つか放せオラ。」


左馬坊、と人を揶揄うような口調の経庵がその雰囲気をマジモノにさせる。その変化にただごとではないと理解して、左馬刻は未だ掴まれている胸倉を突き放し、シャツの身なりを正した。


「ナマエが居なくなった。」
「あ?」
「な!?」
「ふむ……。」


一言で、部屋の雰囲気が変わる。


「どういうことだ。」
「言葉まんまの意味じゃ。院内中探し回ってもおらん。」
「ミョウジさんの荷物は?」
「ある。」
「……攫われたか。」
「ッ……。」
「最後に姿を確認したのが21時過ぎじゃ。カンファレンスが終わって一息ついたあとだったからの。」
「確認しましょう。」


理鶯の言葉に左馬刻は息を呑んだ。視線を咄嗟に、先ほどまで向かい合っていた男に向ける。銃兎はすぐに頷き胸元からスマホを取り出して耳に当てた。すぐに電話の相手とつながったのであろう、口を開く。彼が部下と会話をしている間、経庵の厳格な表情は変わることはなかった。


「テメェのことは目にかけてたつもりだが、所詮は中坊か。」
「んだと?」
「一人の女も守れねェで何がハマの王さまだ。調子乗ってんじゃねぇぞ。」
「どっちか調子乗ってんのか分からせてやろうか、ジジィ。引退した身が今更出しゃばってんじゃねえ。」
「引退したワシに言われてるようじゃ終いだって言ってンだ。テメェはアイツの想いを踏みにじった。中途半端に手を出して捨てるたァいい度胸じゃねぇか。あん?」


ぴくりと左馬刻の身体が反応した。中途半端に手を出したのはお互い様だ。捨てる? どちらが先にこの感情を偽りのモノだと放棄したのか。ふつふつと湧き上がる怒りを噛み締めながら言葉を吐き出す。


「……誰が踏みにじったって? 先に裏切ったのは、」
「山田一郎。」
「!」
「たったその言葉でアイツから裏切られたと思ったか。たったそれだけで離れるような安い想いだったか。そんなに甘い感情か。」
「……。」


捲り上げるような低音に左馬刻はぐっと言葉を飲み込んだ。何も知らない、そう思っていた目の前の男の眼光はまるですべてを見透かしてきているようだった。気にくわない。けれど、それだけ真摯な瞳を蔑ろにはできなかった。口を開こうとするが言葉が浮かばない、拳を握りしめた時、銃兎からの声が届いた。


「確認したが院内の裏口から出た車は12台。うち3台だけ後部座席に荷物を置いた車があった。」
「時刻は。」
「最初が21時20分。シルバーの車。年配、白髪の男で後ろにはクーラーボックスと人型ほどある黒い袋。です」
「目加田のジジィじゃ。荷は夜釣りに行くと言っていたから荷はそれであろう。」


銃兎のメモが二枚目へといく。


「次が22時丁度。赤いスポーツカー。赤い帽子にサングラスをかけた人物で後部座席には目一杯の大きなケースがあっそうです。」
「ふむ、怪しいな。ケースの中にナマエを隠したか……?」
「いや。恐らく湯河原であろう。器用な男で神奈川のオーケストラ楽団に時折参加して居るから、そのケースは楽器かもしれん。名前は忘れたが身の丈ほどある弦楽器を担当しているらしいからの。」


違うか、と理鶯の気落ちした声が届く。銃兎は更に三枚目のメモへと視線を落とした。


「では次はその10分後に出てきた青い車。若い男で特徴のない男だそうですが、後方座席にブランケットを何枚もかけていたようです。膨らみがあったようですが、」
「特徴のない男、のぅ……。」
「これだけでは判別できないな。他に情報はないのか?」
「ええ……。」


理鶯が銃兎の目もを覗き込む。彼の指が、すみっこへと伸ばされた。


「これはなんだ?」
「車体ナンバーですよ。1129で美味しそうという役に立たない情報で――」
「それじゃ!!」
「はい?」
「青い一般車であろう、ハマの1129は冠氏絹、あやつの車じゃ!」
「冠氏絹……聞いたことがあんな。」


ようやく左馬刻が口を開いた。確か以前、彼女と料亭に行ったときに語っていた。


『冠氏先生も、凄い褒めてくれたんだよ?』
『私よりも若い先生なんだけど、』
『いつも気にかけてくれているし。』

『経庵先生は、私に気があるって仰っているけど』
『人懐っこい感じだから勘違いされるのかなぁ。』


「冠氏はナマエに気がある。一連の事件に関与してもおかしくはないであろう。」
「早速手配をしましょう。理鶯、車を回してもらってもいいですか?」
「無論だ。」


銃兎がスマホを耳に当て、理鶯が部屋を飛び出す。
経庵は葉巻を取り出し、左馬刻の胸に叩きつけた。


「あ?」
「男を潰せ。女を逃がすな。」
「……たりめェだ。手綱は俺様が握る。」
「それでいい。ナマエほどお前さんに合う女はいねぇよ。」
「はっ。……当然だろ。」


『左馬刻くんとは大違いだね。』


あの時の笑顔がかすめた。



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