ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  28

目の前で伏せている男を足蹴りする。吐血し呻き声は上がるが、それ以上身動きすることはなかった。微かに浅い呼吸を繰り返していることから生きてはいることだろう。足元に散らばる男たちを見下ろしても何の感情も沸かない。タバコに火を付けようと咥える。ライターも別の同じポケットに入れていたはずがない。別のポケットかと探るも、ない。


「チッ。」


苛立ちだけが募る。何を以てしても晴らせないこの負の感情が自分にはあまりにも不愉快であった。孤高でありたいはずなのに、仲間が出来て彼らを信じるだけなのに、これに変えられない程大切なものが出来てしまった。唯一の家族と同じくらい、大切なものが。


『左馬刻くん。』


脳裏に浮かぶ笑顔。くん付けで呼ぶ女は今や彼女だけだろう。だがそれでいいと思っていた。彼女に与える、無言の特権。その彼女が、自分のモノにしたいと願った彼女の口から飛び出た言葉は、許せない偽善者山田一郎ときたものだ。途端湧き上がったあの怒りは何者をも止められないであろう。もしあの場に、銃兎と理鶯がいなければ彼女に対してどのような仕打ちをしていたのか――想像するだけで再びむしゃくしゃとして気持ちが押し寄せる。


「(ふざけんじゃねぇ。)」


あの、碧棺左馬刻が一人の女に蹂躙されている。許せないが、認めざるを得なかった。


「荒れているな。」
「何の用だ。」


背後からカツンカツンと軽快な足音が聞こえ、振り向かなくても分かる声が届く。ほらよ、という声でようやく踵を返すと銀色の光を放って小物が飛んできた。反射的にキャッチするとライターのようだ。礼を言わずに火を付けてタバコの煙を吸い込む。やはり、落ち着かない。


「今日も異常はなかった。発信器の類も見つからなかったぞ。」
「アァ? 誰が家の中まで調べろっつったよ。」
「お茶でもどうぞ、だとさ。」
「けっ。懐柔されてんじゃねぇぞ。」
「テメェに言われたかねーよ。」
「ぁあ゛?!」


やはりこの男はいけ好かない。銃兎から渡されたライターにすら怒りを覚え、放り投げた。当然飛び出る小言を耳にも入れず、左馬刻は男たちの背中を踏み歩きながら銃兎に近づく。裏路地から見える表の明るさに目を細めた。


「距離感を薄々疑っていたが、お前たち一体いつそんな親しくなったんだ。」
「テメェにゃ関係ねーよ。」
「あのハマの狂犬が一人の女に従順とは、他の奴が知ったら聞いて呆れるな。」
「従順じゃねえ。殺されてぇのか。」
「さぞミョウジさんが悲しむだろうな。」
「それ以上無駄口叩くんじゃねえよ、潰すぞクソ兎。」


タバコを吐き出す。地面に落ちたそれを足で踏みつぶすと小さな灯火は灰へと化した。


「おい左馬刻、真面目な話だ。」


隣に立った男も同じようにタバコを消すと眼鏡を押し上げた。揶揄うような声色が消え、左馬刻も口を閉ざさざるを得ない。


「彼女に矛先が向きかけている以上、もはや守れるのは俺たちだ。特にお前には彼女は信頼を置いている。」
「どうだかな、ブクロにもいんだろ。」
「本当にそう思うか。」
「……。」


ふ、と壁際まで追い詰めた時の女の表情が脳裏に浮かぶ。初めてヤクザに囲まれたときも、昔の男に裏切られたときも、どんな時だって涙を流さなかったその瞳は、恐怖に震えていた。目は潤み、確かに今にも泣きそうだった。そうさせたのは他でもない自分自身であるからこそ、尚更苛立ちが襲い掛かる。


「お前が部屋を出ていった時の顔を見せてやりたいな。あんな絶望に満ちたような顔、早々見られるものじゃないぞ。」
「……。」
「話もまるで噛み合わない。淹れてくれたお茶も苦くて飲めたものではなかった。」
「……。」
「俺が部屋を出た後も泣いていた。そう簡単に涙を流しそうには見えなかったんだがな。」


畳みかける銃兎からの言葉に、容易に想像が出来てしまうのは何故か。左馬刻は苦虫を潰したような顔をして再び路地裏の奥に消える。光から遠ざかるたびに、尚更彼女の泣き顔が鮮明に浮かんだ。後方からは革靴の足音が付いてくる。


「違法マイクの所在は不明だが、以前連行した男の通信記録からミョウジナマエの勤める病院の固定器からの連絡が最終だ。もしも、この一連の事件の犯人が院内関係者によるものであったら、もしお前とミョウジさんの関係を知っていたら、」
「――知ってんだろ。だから、狙った。」
「分かってるなら、確保するまででもいいから彼女との仲を戻せ。仲違いをしていては相手の思う壷だろうが。」
「……離れてれば、これ以上の被害はねえだろ。」


小さな、零れた言葉を拾った銃兎は「は?」と足を止めた。


「俺個人か、組に恨みがあるのかは知らねぇが、俺はあの女と縁を切ったと知れば手を出さなくなるかもしれねえ。中途半端に突き放すだけじゃ気付かれちまう。やるなら、徹底的に距離を置いて奴の照準を外す必要がある。」
「だからってお前な……あんな突き放ししたら、縁り戻すのも楽じゃないぞ。」
「戻さなくていーんだよ。ハナから住む世界が違うんだ。」


何度も彼女と言い合った。お互い理解していた。その上で会い、触れ、目を合わせた。けれどそれも、もう終わりなのだと左馬刻は息を吐く。いつか訪れる別れがあるのならば、早いに越したことはない。彼女にとってではなく――自分にとって。


「……お前が本気になるとはな。」
「悪ィかよ。」
「いや。……最高だ。」


カチリ、とライターから火がついた。

* * *

始まりは、組の三下が、別の組に喧嘩を売られたことに始まった。次に起こったのは、身内に対する狂気に満ちた闇討ち。マイクを通した言葉の暴力、独特なリリックが放つ不協和音により受けた者の片目は、憎しみが込められたかのように抉り取られていた。良心の欠片もない男を捉えてから一月も経たずに、再び組の人間が次から次へと襲撃される事件が起きた。

無時は勿論、マイク。そして、あの時と同じような狂気に満ちたリリックを彼らは耳にして倒れていた。よほど精神作用が強いのであろう、酷いときには耳や口から血を流している時もあった。更には、仲間同士の潰し合いを行い共倒れしていることもしばしばあった。当然、やられたままでは面子が建たず、左馬刻はありとあらゆる手段でマイクの出所を掴もうと躍起になっていた。

切っても切れない縁の悪徳男も味方につけ、ようやく突き止めたい真相に近付いたのが、ヨコハマ港で経庵とナマエが慌ただしく治療にあたった日の出来事だった。彼女の自宅で、彼女がシャワーを浴びている最中に電話で話があると告げられたのだ。


「通話記録だァ?」


翌日。彼女の部屋から後にして向かった事務所。目の前に置かれた書類を掴み、左馬刻は片眉を器用に上げる。目の前のソファに脚を組んで座っている銃兎は眼鏡を押し上げながら頷いた。


「貴方からの通報で捕まえた男、葉賀道和夫(ハガミチカズオ)の通話履歴を確認したところ定期的に公衆電話から連絡が来ていました。しかも、貴方に一度ボコられた後から突然に。」
「なるほどな。コイツが違法マイクを渡した可能性があるっつーことか。」
「ええ。」


狂気の発信源である違法マイク――国から支給され認められているマイクとは異なる、身の保証はされないブツ。どんな世界にも違法と名のつくものはあるが、精神に直結するようになったこのマイクの異常性には今までもほとほと困らされてきた。

今回の違法マイクも同様だ。一度微かに耳にしたリリックは不安定ながら力強く、こちらの脳内をかき乱してくるような怪しい音色を発した。かつて同じチームを組んでいたとある幻惑系を脳裏に浮かべるが、もちろん威力は非常に劣る。


「お前だったから耐えられただろうが、ワンフレーズだけでもかなり頭を揺さぶってくる代物だな。」
「試したのか。」
「ああ。マイクを握った人間がすぐに目を尖らせて攻撃的になりやがった。すぐにマイクを取り上げても暫く暴れて手に負えなかったぞ。」
「……。」
「言えよ。遠慮するガラじゃないだろ。」
「……はっ。まるで麻薬、か。」


ふ、と通話記録の最後の番号に目を落とした。視線が鋭くなったのに気付いたのだろう、銃兎が小さく頷く。


「あれだけ非通知に雲隠れしていた相手が、この日だけは探れる番号を使ってる。」
「おい、この日……。」
「ミョウジナマエが襲撃された日で違いない。葉賀道がミョウジさんを狙ったのは、偶然と言えどお前らの事務所に居合わせたからだとしても、疑問に思わないか。なぜあの男はミョウジさんを見つけられた? こんな広い街だ。いくら毎日探していたといっても簡単に見つかると思うか。まして、お前らの組の目を掻い潜って、だ。」


何が言いたい、と左馬刻は書類をテーブルに放り投げると銃兎はカバンの中から再び封筒を取り出した。クリアファイルに挟まれた紙を差し出され、奪い取るように手に収める。そこに映ったのは、何度も見たことのある建物だった。


「……なんだ、これ。」
「当然、最後の番号を探ったところこの病院の固定器からの発信であることが分かった。」
「あ?」


ぴくりと眉が反射する。大きな白い建物が映るサイトのトップページには、ヨコハマでも有数の総合病院の名前が表示されていた。何度も見たことがあるのはここに送迎をしているからに他ならない。


「一般も使えんのか。」
「いや。更に調べたら職員しか立ち入れない区域であることが分かった。次のページだ。」
「……。」


従うように次のページを捲ると、どこから入手したかもしれない院内の図面があった。本館の他にも別館の縮小図が映っているが、記しの付けられているのはたった一か所だった。


「そこは外科病棟にあたるそうだ。」
「外科病棟……。」
「彼女の所属も、そこらしいな。」
「オイ、まさかとは思うが。」
「可能性は否定できない。アホな違法マイクを与えたドアホが、彼女の勤務地にいるとしたら。」
「……あの日、みなとみらいで学会があったのも知っててもおかしくはねぇ、か。」


くしゃりと手元の地図が大きく歪んだ。


「狙いは俺か、組織か。」
「はたまた、ミョウジナマエか。どちらにせよ、彼女とお前に繋がりがあるのを知っている以上、一番危険なのは彼女だ。」
「あァ……。」
「どうするつもりだ。」
「あん?」


目の前の男の言葉に左馬刻は歪んた紙を壁に向かって投げた。軽い音と共に床に落ちたそれに目もくれない。


「……知るか。」


無性に口が寂しくなる。ここにくるまでに何度も味わったあの感触が鮮明によみがえり、ごまかすようにタバコに火を付けた。いつだって心を落ち着かせてくれる煙を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。


「……。」
「……まあいい。俺も探りを入れる。なるべくミョウジさんの様子には気遣うことだな。」
「テメェに言われるまでもねェよ。」
「少しは感謝しろクソッタレ。」
「あ? おーおー褒めてやんぞ、うさちゃん。」
「しょっぴくぞ。」


煙を吐き出し合いながら、揺れる不規則な流れを見つめる。


「(…ようやく手にできそうなんだ。どうやって離してやれるっつーんだよ、クソが。)」


彼女を目にしなくても湧き上がる感情は無視できない。しっかりと確信して認めたばかりなのだ。離したくない。

そう、強く思えば思うほど――裏切りは強烈だった。


『おやすみ、一郎くん。』


あれだけ重ねた唇が告げた名前に頭を強く打たれた。優し気な声色で、まるで慈しむような音色で奏でた名前は自身の家族を傷つけた不届き者だったのだ。許せるだろうか。否、容易に許容することは出来なかった。彼女が自分と山田一郎との過去を知っていないのは今までの対応で想像は着くが、それでも目の前で彼女があの偽善者と関りを持っていたという事実を突き付けられて、裏切られた事に対する憎悪だけが滾った。

それから何を彼女に言ったのか、鮮明には覚えていない。ただ、湧き上がる感情をぶつけて彼女に涙を溜めさせた。それだけははっきりと覚えている。


ほんの少しだけ冷静になって、ヨコハマの街を汚い脚で歩く雑魚を掃除する。苛立ちは決して収まることはないが、これでいいのだと自身に納得させることができた。都合が良いのだ。彼女の身の確保が出来ない以上、もはや自分との関りと立つことが今のところ彼女を救う最善なのだから。

違法マイクを流通させた人間を捉えても恐らくこの溝を埋めることは出来ないであろう。それでいても、彼女の命が危ぶまれなくなれば安い犠牲だ。大切な女性を護るためならば自分の身など厭わない。その選択は人生で二度目なのだ。一度目は妹のため。二度目は愛おしい女性のため。これでいい。


己に、幸せになる人生など存在しない。
自分の人生はただ大切な存在が生きるためにあるのだから。



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