ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  26

目の前に座る男は瞳孔をこれでもかと言うぐらい見開き、細い眉を深々と中央に寄せた。鼻から荒々しい息が時折漏れ、口角がぴくぴくとひきつっている。長い脚はじっとできないのか何度も揺すっていた。


「……もう一回言えや。」
「貴婦人が何者かに追われているのを確認した。」
「だぁぁぁっ!! っざけんな、なんで捕まえてねェんだよ理鶯!!」


蓄積した怒りが、床に叩きつけられる。


「む、すまない。ナマエの身を守り、恐怖を和らげることが優先と判断した。」
「なんで仲良さげなんだよ。」
「ん? 左馬刻も彼女を名前で迎え入れたではないか。」
「俺はいーんだよ!」


脚を組んで左馬刻はタバコを吹かす。紅玉が、理鶯の隣に腰を下ろすナマエへと向けられた。ぴくり、と身体を跳ねあがったのが気にくわなかったのか、ただでさえ深い皴がさらに増える。


「で、なんでお前は俺に連絡よこさねーんだ。」
「えぇ? なんでって言われても……。」
「ハマに不審者がいンなら、俺様に話通すのがスジってもんだろうが。」
「そんなスジ知らないし。」


即答。まさに淡々と返すと、左馬刻は眉をピクリとさせ、彼の隣に腰を下ろす銃兎は赤い手袋を口元に当てた。「笑ってんじゃねーぞ」と即座に刃が突き刺さるが、気にも留めていない。


「心配してくれるのは嬉しいけど、」
「誰が心配してるっつった。」
「違うの?」
「……。」
「とにかく、実際に何かされたわけでもないし、悪意があったかも分からないし、そこまで左馬刻くんが気にしなくても大丈夫だよ?」
「っせーな。理鶯が怪しいっつったら怪しんだよ!」


銃兎と左馬刻の、理鶯に対する信頼は厚い。ナマエ自身、先ほどあったばかりではあるがこの屈強そうな男性が人思いなのは十分に理解していた。


「だいたい、こんな夜中に何ほっつき歩いてんだ。仕事か」
「ううん。友だちに会いに行ってた帰り。」
「にしては遅ぇな。」
「イケブクロだったからね。」
「ぁあ゛?」


勢いよく前に乗り出してきた男にナマエは反射的に身を逸らした。ソファが受け止めてくれるが、唐突にドスのきいた声を発した左馬刻に目を丸める。表情に不安と疑問が浮かんでいたのを察したのか、バツが悪そうに左馬刻は体勢を立て直した。


「左馬刻。」
「わーってるよ……ックソ、胸糞悪ィな。」


イケブクロに何かがあるのだろうか。初めて会った時も、イケブクロへの遠征を強く強くキャンセルされるように言われた。因縁の地なのか、会いたくない人物がいるのか、どちらにせよ良くない感情だけが根付いているのだけは分かる。

ふ、とナマエはイケブクロという単語を口にして思い出した。そういえば、一郎に連絡をしていないと。家に着いたら連絡するようにと言われていたのにさぞや心配をしているだろう。スマホの画面を付けると、ロック画面には彼からのメッセージが最大件数ポップアップ表示されていた。ロックを解除し、アプリを開く。


『今日は本当にありがとうございました! 俺は帰宅しましたけど、ナマエさんほんとうに気を付けてくださいね?』
『アップルパイ、二郎と三郎で取り合いしてたんで残ってた分を三等分して完食! もしかして、これを見越してリンゴ買ってくれたんすか?』

『ナマエさん、家に着いたら連絡してくださいね。心配なんで。』
『ナマエさん、寝過ごしました?』
『大丈夫っすか? 何かありました? 充電切れてんかな。』
『ナマエさん、マジで心配なんだけど。なあ大丈夫か?』


その後、不在通知が三件入っていた。


「うわあ……。」


元々ナマエは、スマホを手にする機会が多い。一郎とのやり取りも、一度始めるとぽんぽんとメッセージのやりとりをするのが常だ。今回のように彼のご自宅訪問をした後は、駅に降りたと連絡をしてから、家に着いたと落ち着くまでもメッセージを飛ばしていた。それが今回、すっかり忘れてしまったのだ。かの事件もあり。


「どうしました?」
「その友だちからの連絡が……家に着いたら連絡すると言っていたので凄くて。」
「さぞや心配していることだろう。電話すると良い。」
「ですね。何かあったのではないか、と警察に連絡を入れたら大変ですし。」


主に私が、と副音声が聞こえた気がするがナマエは視線を部屋の主へと移した。彼は「勝手にしろ」と言う。ナマエは立ち上がり、部屋の隅で電話をかけた。せめてもの彼らへの配慮だった。


『っナマエさん!?』
「わっ!」


かけた瞬間に耳に届いた声は大きく、焦燥感に満ちたものだった。思わず耳から離すと、長い長いため息が聞こえる。


『はぁ〜〜良かったぁ。いつもの時間より過ぎてるから、何かあったのと俺心配で……。』
「うん、メッセージ凄かったもんね。」
『すみません。よく見なくてもこんな量怖いっすよね。』
「ううん。たくさん心配してくれてありがとう。寝過ごすことなく駅降りたよ。」
『もう自宅っすか?』
「あー……うん、ちょうど、着いたところ。」
『良かった……おかえりなさい、ナマエさん。』
「うん、ただいま。」


嘘を吐くことへの罪悪感は多少あるものの、彼にストーカーにあったかもしれないと言えば、彼はきっと自分を責めるであろう。全く関係なくても、自分のせいだと痛感してしまうほど、山田一郎は心優しい人物であるとナマエはよく分かっていた。


『今度からは、遅くなったら泊まっていってくださいよ。』
「ええ?」
『やっぱ夜一人で帰すの心配だ。前なら家まで送ってやれたけど、今はそうはいかねーし……。俺の勝手で、すんません。』
「気にかけてくれて、ありがとうね。じゃあ、そうしようかな? あ、せっかくだから皆でゲームするのもいいかもね。」
『二郎と三郎のやつも絶対喜ぶ! 』
「オススメのゲーム、何本か用意しててね。」
『もちろん!』


イケブクロの時には、彼との帰宅後の通話も遅くまでできたが、ヨコハマとなると移動時間で既にその分が使われている。つまり、いつも通り話をするとより夜は更けていくというわけだ。


『あー……名残惜しいっすけど、もう寝ないと、ですよね。』
「そうだね、夜更かしはお互いダメってことで。」
『無事に声聞けて安心した。おやすみなさい、ナマエさん。今日はサンキューな。』
「こちらこそ、楽しかったよ。おやすみ、一郎くん。二郎くんと三郎くんにも宜しくね。」


プツリ、と通話を切る。スマホにはすぐに再び就寝のあいさつと可愛いスタンプが追加された。ふふ、と微笑みながら返信をしようとしたとき、背後から体全身に震える低い声が届いた。


「一郎くん、だァ……?」
「え?」


後ろを振り向いて、後悔をする。先ほどまでの比ではない程に、紅い瞳がギラギラと燃えていた。


「イケブクロに一体、何人の一郎ニ郎三郎がいンだろうなァぁあ゛!?」
「ひぅっ!?」
「お、おい、左馬刻!」
「うっせえ黙ってろ!!」


銃兎の制止も振り切り、勢いよく立ち上がる左馬刻は目の前のローテーブルを蹴り上げてズカズカとこちらに向かってきた。恐ろしいほどの形相に、息を呑んで身体を後退する他ない。だが背中はすぐに何かぶつかった。確認すれば案の定壁がある。逃げられない――ナマエが視線を前に向けるとあまりにも近い距離で紅玉が燃えていた。咄嗟に息を呑む。


「誰だ。」
「ぇ、」
「今電話してたブクロのお友だちは誰だってきいてんだよ。」


捲し立て上げるような言葉をゆっくりとナマエは理解して、恐る恐る口を開いた。先ほどまでの電話の相手にはつけた嘘は、目の前の男には絶対に通用しないと本能が叫ぶ。


「わ、私がイケブクロにいた時にお世話になってた、山田一郎くんっていう子で、あの、」
「山田一郎くんだァ?!」
「っ!」
「ハッ。あの山田一郎くんとお友だちってか。ソイツの所に遊びに言ってたってか!」
「な、なに……。」


知り合い――なのだろうか。ヘタな言葉を発せられないまま唇を震わせると、紅玉は更に近くなった。なんどか合わせたことのある唇から赤い舌が覗く。


「……ざけんじゃねぇぞ、オイ。」


吐き出された言葉は低く。心に情は籠っていない。紅玉に宿る色は、今まで見たことがないほど色がなく。ナマエは、初めて碧棺左馬刻の別の恐ろしさを痛感した。

何か言わなくては、そう思っても唇のみならず体全身が震えて何も紡げない。なんだかんだとこの男は言動が荒々しいが優しさを垣間見せる人物であった。口数は多くなくても確かに心配をしてくれた、先ほどまでだってそうだ。だからこそ惚れた。だからこそ、何度もキスを交わした。それがどうだろう、今目の前にいるこの男に同じ情が湧くだろうか。――言葉は、否だった。


「そこまでにしておけ、左馬刻。」
「黙ってろっつったろ。」
「ミョウジさんを殺しそうな勢いだぞ、分かってるのか。」
「彼女が怯えている。小官の知る左馬刻は、そういう男ではないはずだ。」
「……ッチ。」


銃兎、理鶯の背後からの声に冷静さを取り戻したのか、瞳に色は戻った。だがそこにはまだ憎悪のような良くない感情が見え隠れする。紅玉からの視線が逸らされると、ナマエの身体は糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。


「っは……ぁ、」


何をされたわけでもないのに、呼吸が荒くなる。目尻が熱くなった。焦点が合わない。視界がぐるぐると巡る中で、真上から冷たい声が降り降りた。


「俺様に二度と近づくんじゃねえ。こちとら偽善にゃこりごりだ。」


その言葉に、心臓が止まる。

――それから、どうなったかのかが定かではない。
荒々しい扉が閉まる音。駆け寄る巨体。溜息を吐く痩躯の男。床に零れた黒い液体がまるで自分の心を表しているようだった。みるみる広がる液体が、足元へと侵食してくる。ニオイが鼻に突き刺さる。分からない、このニオイが分からない。

二度と
近付くんじゃねぇ

冷たい紅玉。拒絶の言葉。
誰が発した。どの唇が発した。
確かに重ね合っていたはずなのに。
確かに近づいていたはずなのに……一瞬で、すべてが霧散した。


「大丈夫か、ナマエ。」
「……。」
「では、なさそうだな。とりあえず座ろう。」


大きな体に支えられ、先ほどまで座っていたソファに再度腰を下ろす。倒れたテーブルは元通りにはなったが、カップは一部割れており、当然中身はなくなっていた。先ほどまで置いてあったコーヒーは、床にしみをつくっている。飲み損ねた、そう冷静になってきた脳が反応する。


「まったく。山田一郎のことになると冷静さを欠くのは悪い癖だな。」
「いろいろあるのだろう。だが、婦女子に行う態度とは思えないな。」
「それだけ、山田一郎と接点があったことに驚きを隠せなかったのでしょうね。……予想以上にお熱のようで驚いていますよ。」
「……。」


二人の間に何があるのか。知り合いなのか否か。聞きたいことは山のようにあっても、ナマエはこれ以上考える気力はない。

ただ、彼に拒絶された真実だけが事実として存在していた。



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