ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  24

その日、ナマエはイケブクロの地に降り立っていた。懐かしい空気、都会の喧騒に身を委ねる。去年に買った淡い水色のワンピースの出番を嬉しく思いながら、この年齢でも大丈夫であっただろうかと今更ながらに不安を覚える。つい、ウィンドウに映る自分の姿をじっと見つめると、ガラスの遠くから見知った姿が駆け寄ってくるのに気づく。


「すんまっせん、お待たせしました!」
「ううん。私も今着いたところだから。」


振り向くと小さな汗雫を額から零す一郎の姿があった。ふと自分の不安など忘れて、ナマエはくすくすと笑みをこぼした。


「走ってくれたんだ? 汗、かいてる。」
「す、すんません! 二郎と三郎に捕まっちまって!」
「ふふ。あの子たちには内緒だもんね。」
「ッス。」


ココに来たのは、一郎からの一本の電話によるものだった。


『久々に、アイツらに飯作ってくれませんか? 俺も、その……食いたいんで。』


そう言われて断れるものだろうか。思わず無言になると途端に心配そうな声が耳元で零れたものだから、慌てて頷きながら肯定する。よっしゃあ、と子どもさながらの喜びの声を上げて、予定の確認をしてようやく当日になった。


「先に買い物しよっか。たくさんお肉買ってあげないとね。」
「へへ、アイツらにたらふく食わせてやれるぜ。」
「さすがお兄ちゃん。」


二人で歩きながら、いつも山田家が懇意にしている精肉店に向かう。すぐ横に、同じく通い詰めているという青果市場もあるため、すぐに品は揃えられるであろう。昔イケブクロに住居を構えていた時、ナマエもこれらの店舗には非常にお世話になったのを覚えていた。


「俺、昨日までの仕事で結構稼いだんですよ。だから、俺が払います。」
「いやいや、私働いてるから。一応お金ある方だから出しますー。」
「いいや、こればっかりは譲れねぇ。」


オッドアイが真剣な色を帯びており、強い意志をそこに感じた。


「ナマエさんの復帰祝いも込めてぇんだ。頼む。」
「……。」
「……ダメ、か?」


こてん、と自分よりも幾分もある体躯が小首を傾げる。その両の瞳は微かに揺らいでおり、不安そうにこちらを見るものだからぐっと心を掴まれる感覚に陥る。大きな体躯なのに、可愛らしさが滲み出るこの生き物はいったい何なのであろう。ナマエは唇をわなわなと振るわせて何かに耐えるように、掌を一郎に向けた。


「へ?」
「……。割り勘! これ以上は譲れません!」
「えぇえ!? ズルっ、ナマエさん!」


年下の、しかも未成年に全額なんて奢らせられない。ナマエは口を尖らせ、上に頭がある彼を見上げた。


「ぐっ……!」
「二郎くんと三郎くんに美味しいもの食べさせてあげたいけど、頑張り屋さんな一郎くんにもたっくさん食べてほしいの。だから、一郎くんだけに負担はかけたくない。……ね?」


じっと双眼を見つめていると、堪えているような表情をしていた一郎は大きな掌で自らの顔を覆った。落ちた肩にナマエは勝ったと言わんばかりに拳を握り締めた。


「よっし、決まりね。」
「はーっ……反則だろ、マジで。」
「アップルパイ。」
「へ?」
「一郎くんのために焼こうと思ってたけど、全額奢りじゃあ作れないものね。」
「…ったく、ナマエさんには適わねぇや。」


はは、と髪をくしゃくしゃと掻く彼の隣を、自然な笑みを浮かべながらナマエは歩く。そんな彼女の様子を照れくさそうに一郎は横目で見た。


「……へへ。」


――ああ、この笑顔を見たかったんだ。
一郎は目を細めた。彼女に連絡をするのに躊躇いがなかったわけではない。普段から忙しいのは知っていたし、何よりあの男の姿が背後にいるのが分かったから……後者がほぼ占めているのは否めなかった。

少しでもあの人から遠ざけたくて。少しでも自分を見てほしくて。まるで弟たちをダシにしてしまうようで罪悪感は拭えないものの、嘘は言っていない。弟たちに美味しい食事を摂ってほしい。自分も食べたい。足の具合が良くなったという彼女の祝賀会(彼女の手料理ではあるが)をしたいというのもまた、事実だ。

けれど……。


「(それ以上に会いたかったから、つったら怒るかな。)」


会いたい。ただそれだけだった。決して口にはできないが、心の中で燻ぶらせておくのもどこか甘くじれったくて悪くない。今この瞬間だけは、あの人のことを忘れて、この女性の隣に居られる喜びに浸ろう。

一緒にお肉と野菜とを買い、作ってくれるというアップルパイ用のリンゴを数個選ぶ。思いのほか多く買っており疑問に思っていると、ナマエが「これは噛り付く用ね。」とお茶目に笑うものだから、頭が上がらなかった。


「二人とも、家にいるの?」
「はい。大人しくしてる……かな。」
「相変わらずケンカばっかりなんだ。」
「ま、元気なのは良いことなんですけどね。」
「兄弟仲も良いってことだし、男の子はそうでなくっちゃ。」
「はは、せめてナマエさんの前では静かにしててくれるといーんですけど。」


両手に持っていたエコ袋を片手に持ち替えて、部屋の鍵を開ける。と、奥からバタバタと複数の足音が近づいてくるのが分かった。思わず苦笑する隣で、彼女は楽しそうに笑う。既に、静かではない。


「一兄、おかえりなさいっ! って、え、ナマエ姉ですか!?」
「にーちゃん、おかえり〜! ……おっおおお、ナマエねーちゃん!?」


同じような言葉で、同じような表情で目を丸めるものだから、色とりどりな宝玉が輝いた。


「お久しぶりです、二郎君、三郎君!」
「ホント久しぶりすぎだろー! 全然遊びに来てくれないんだもんな。」
「バカ! ナマエ姉は足首骨折したって一兄が教えてくれただろ! そ、それで足の具合、大丈夫なんですか……?」
「うん。もうほぼ完治したから大丈夫。今日は急にお邪魔してごめんね。」


一郎は二人に内緒にしていると言っていたため、さぞや驚いたことだろう。もしかしたら二人には予定を入れないようにも告げていたかもしれない。少しばかりの申し訳なさに謝罪をすると、三郎は小さな頭を勢いよく振った。


「いっいえ! お会いできて嬉しいです! あ、お荷物持ちますね! オイ、一兄の荷物持てよ!」
「うっせぇー言われなくてもそうするつもりだったっての! 兄ちゃん、それ持つよ!」
「おお、すまねぇな。さ、ナマエさん上がってください。」
「うん、ありがとう。」


出されたスリッパを甘えて借りる。いつも、山田家に来た時にはこれだったなぁと懐かしくなりながら、やけにしっくりくることに喜びを感じた。パタパタと冷蔵庫へ向かっていく次男三男の背中を微笑ましく見つめる長男に、やはりこの家は温かいと思わせる。


「おい、なんでこんなに汚いんだ?」
「一兄! 愚兄二郎が洗濯もの畳むのへたくそで!」
「あぁ?! 僕がやるって言ってだろ!」
「そしたらお前がやるって言ったんだろ!」
「はぁ?!」
「なんだよ!」


リビングに広がる衣類と、目の前の兄弟喧嘩にナマエは苦笑いを浮かべざるをえない。だが隣の保護者は何度も繰り返されるこのやりとりにもはや溜息すら吐けなかった。


「お前らなぁ!」
「いっだ!」
「いでぇ! …に、兄ちゃんごめんよぉ……。」
「お前のせいだぞ、二郎!」
「うっせえよ、元はと言えば三郎のせいだろ!?」
「お前らまだ言ってんのか!?」
「「ごめんなさい……。」」
「ぷっ…あっははは! も〜〜二人とも相変わらず過ぎ! 可愛いんだから!」


目の前の愛おしい子たちをぐっとナマエは抱きしめた。ぽかん、としながら次第に顔を赤らめる二郎と、慌てたように視線と手を彷徨わせる三郎の頭をくしゃくゃに撫でた。


「うわわわ。」
「ナマエ姉、ぼ、僕は子どもでは……!」
「私から見たら二人とも子どもですー! 今日はおっきなハンバーグ作ってあげるからね! 唐揚げ付きで!」


もう一度強く抱擁するとナマエは彼らから離れてキッチンへと気分良く向かっていった。


「……あの、兄ちゃん?」
「い、一兄……?」
「お前ら……ココ片付けておけよ。」
「「はい……。」」


大人げない、と部屋で蹲ったのは彼のみぞ知る。



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