ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  21

ナマエは息を切らしながらヨコハマの街を走り抜けていた。既にこの体にアルコールは含んでいない、といえば嘘になるがまるで感じない。久々にかく汗をもろともせず、ひたすら港に向かって走っていた。


『ヘルプだ。すぐに一式持ってヨコハマ港のコンテナに来い。C4じゃ。』


そう短く告げられる。昔から経庵と共にいたナマエだからこそ、この短いメッセージに込められた重要性に体全身へ稲妻が走った。タクシーで病院まで戻り、そこに置いていた非常時の一式を揃えているキャリーケースを持つ。

夜のヨコハマ港は不気味だった。揺らめく海は月光を受けずに、ただ黒い底無し沼にしか見えない。一人で人気のない場所を透心細さも感じたが、弱音を吐いている場合ではない。


「C4…C4……あそこだ!」


多量に並ぶコンテナの間を縫い進むと、C4と書かれたそれを見つける。さらに勢いをつけて走ると、入口に私服に身を包んだ男が数人たっていた。中から漏れる光で、彼らの顔が人をも殺せそうなほど険しいものだと気づく。


「誰だ!!」


鋭い声に、勢いづいていた足が停止する。射抜いてくる瞳にぐっと恐怖心を堪えてカツン、カツンと歩を進めた。


「種実屋経庵先生よりヘルプを頂きました。患者さまは中ですね。」
「…大先生、女が来やした!」
「おう、通せや!!」
「っす!」


両サイドからの痛々しい視線を浴びながら、ナマエはコンテナの中に入る。途端、血なまぐさいニオイに鼻がひん曲がりそうになった。現場は壮絶としており、10人はいるであろう男たちが横になっている。それ以外にも負傷した男たちは多くいたが、重症度が高いのは横になっている彼らだ。まるでここは戦場なのだろうか。そう思うほどの現状に思わず身体が硬直した。


「ナマエ、お主は手前のソイツから見ろ! 今にも死にそうだ!」
「っはい!」
「テメェら、ガーゼをもっと持ってこい! 後、水だ。酒でもいい!」
「っす!」


経庵の、普段とは違う低く逞しい声。ああ――彼らは……。

ナマエはぐっと込み上げる感情を堪える。袖をまくって、髪を留める。そして、キャリーケースを患者の近くにおろして開けた。ギラギラと光る相棒たちに向かって休めないであろう旨を小さく伝える。

狭い現場において医療者はナマエと経庵のみ。その二人も互いを気遣う余裕はない。重傷者が横に倒れている彼らであるだけであり、彼ら以外にもすぐに処置を施さなければならない患者は数多くいる。流れる汗を拭う暇のないまま、二人はただただ手を動かした。


「ぁぐっ、……ァア゛!!」
「っ誰でもいい。彼を抑えててください!」
「お、抑えるって、そんな状態なのにか?!」
「四の五の言わないで!! もっと痛い目合わせたいの?!」
「あ、ああ……おい、お前も手伝えや!」
「うっす!」


どの男も、酷い外傷ではあるものの、これが致命傷になっているわけではないようだ。ただ、心臓の鼓動はやけに乱れている。ここが充実した施設ならば、いっそのこと一度電気ショックを与えた方が治りそうだとさえ思う。だが、当然こんな場所にはない。


「いぐァ!」
「……。」


無理やり、粗治療をせざるを得ない。


「……お、おい、死んだんじゃないだろうな?」
「……。」
「オラ、糞アマ!」


荒々しい怒声を無視したまま、胸元に耳を当てると、奇跡的にとくん…とくん…と規則正しい音色が蘇生した。


「よし。次!」
「こ、こいつはどうすんだ?」
「最低限の処置はしたわ。現状もっとひどい人はいる。見て分かんないの?!」
「っ……。」


時間がない。壁際で倒れている男の息が荒くなっているのが気になる。ナマエはケースを持ち、その男へと駆け追った。案の定、唇は紫へと変色していた。体も震えている。まずそうだなぁとナマエは汗をかきながら口角を上げた。

――何時間が、経過したのか。
コンテナの入り口からは朝陽が差し込んできていた。自身の汗によって前髪が肌に張り付いて気持ちが悪い。早くシャワーを浴びたい。きっと、メイクも落ちているであろう。


「あ゛ー……。」
「老体にムチ打たせやがって……しんどいのぅ。」


ほとんどの男たちは、壁を背に眠っている。先ほどまでの血みどろな現場は落ち着き、薬液のニオイが満ち満ちていた。無論、それでも現場の状況は芳しくない。一般人が見れば、嘔吐も気絶も上等であろう。


「葉巻も足りんし……。」
「タバコ吸いたい……。」
「お主、止めたんじゃなかったのかぇ?」
「……。」
「我慢じゃ我慢。」


むーと口を尖らすナマエに経庵が力なく笑った。二人はコンテナから出て、朝陽を望む。潮風がやけに心地よく感じた。身体にまとわりつく数多の匂いを少しずつ浄化しているようにも思えた。


「……お帰りか。」
「え?」


経庵の視線を向けると、見知った姿が近づいてきた。青いアロハシャツに、黒のジャケットを肩に羽織ったその人は、部下を数人引き連れていた。どうやら傷は負っていないようで、ナマエはただただ安堵する。


「――……!」


目が、あった。
紅玉は、離れても分かるほど一瞬だけ丸くなった。なんで、と言わんばかりに微かに彼の口は開かれたが、すぐにいつも通りの機嫌の悪そうな表情へと変わる。


「おかえりさん、左馬坊。」
「あァ。どうだ、連中は。」
「皆一命は取り留めたが、何人かは要安静。目を覚ましても、精神状態までは保証できんのぅ。」
「そうか……。」


左馬刻の両サイドに位置していた男が、険しい表情をしながら声をかける。


「若頭。オレは引き続きマイクの出所を探しやす。」
「頼んだ。」
「では、オレは男の目撃情報を洗います。」
「あぁ。」
「くれぐれもお気を付け下さい、若。」
「テメェの心配してろや。」


男たちは、きっと寝ていないのだろう。顔色があまり優れない。だが、その目はギラギラと焚きついていた。憎悪に満ちたそれにはナマエはぞっとする。彼らは左馬刻に声をかけると、部下に声をかけてその場から立ち去った。


「……。」
「……。」
「見つからんか?」
「ちっ、」


短い問いに、左馬刻は大きく舌打ちをする。


「お主も、一度休んだ方がええ。」
「うるせぇよ。大先生は仕事だけしてりゃいい。」
「その大先生が休め、と言うておるのじゃ。酷い顔しとるぞ。」


確かに。経庵の言う通り、左馬刻の顔色もまた良くない。この火貂組の惨劇を見るに若頭である男の苦労は相応以上であろう。ナマエは途端に、自身の疲労が飛んだような錯覚に陥る。


「さて、ワシは奴らのバイタルを確認したら組の診療室へ戻る。何かあれば呼べや。」
「……ああ。」
「後、こやつ送っとけ。」
「いえ、私も手伝います。お疲れでしょうし、経庵先生は休んで下さい。」
「近頃まともに寝てないやつに言われたくないわい。」


ちらり、と紅玉がナマエを一瞥する。言い淀むナマエに、経庵は最後の葉巻をしっかりと咥えた。コンテナに戻ろうと足を進めるが、ふと足を止めて顔だけをこちらへと向ける。


「現実逃避の没頭で忘れられるほど、甘い感情かぇ?」


それだけを告げて、手をふらふらと振った老爺は再びコンテナ内部へと戻っていった。残された二人は気まずそうに口を閉ざす。先に動いたのは、左馬刻の方だった。荒々しく髪をかきむしり、短く言葉を発する。


「……来い。」
「え?」
「送る。」
「い、いいよ。タクシーで帰るから、左馬刻くんは先に休んで?」
「……。」


きっと彼の方が大変だ。ナマエは手を振って遠慮するが、それがどうやら彼の機嫌を損ねたらしい。ぴくり、と片眉だけが器用に上がる。余計なことを言っただろうかとナマエの体が制止すると、左馬刻は彼女の細い手首をつかんだ。


「え、え?」


そのまま、無言で歩き出した。ナマエは引きずられるようにしながら、左馬刻に捕まれた手首を見つめる。そこだけが、やけに熱かった。



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