ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  16

「お疲れさまです、ミョウジ先生。」
「復帰初に立ち合えて光栄です。」
「やはり、ミョウジ先生の腕には惚れ惚れしてしまいますよ!」」


手術から出てから、同じチームメンバーに声を掛けられる。久々の術着を脱いで、ナマエは大きく息を吐き出した。


「ありがとう。皆のサポートのお陰よ。」


その片腕に、松葉杖はない。5時間越えの手術にも耐え抜いた下肢は、無理な運動さえしなければほぼ健全といっていいであろう。今まで離れていた手術室。密閉された空間の中での、助けを求められない生命の綱渡りをナマエは確かに渡り切った。


「出血が止まらないときはどうしようかと思いましたけれど、まさか別所から出血していただなんて……。」
「今回のような術例を調べておくといいですよ、よく出血しやすいんです。慌てずにガーゼ圧迫。」


隣を歩く青年は興味深げにナマエを見つめながら歩く。


「6-0で結紮してあげるといいですね。4-0だと無駄に穴をあけることになりますから。」
「そうなんですか! はぁ〜やっぱりミョウジ先生の傍にいると学べることが多いです!」
「何言ってるんですか、冠氏先生。ここには私以上の先生ばかりですよ。」
「いやいや! 他の先生だと術中に怒鳴られちゃって、後で聞いても教えてくんないんですよねぇ。」
「自分で調べろってことですね。私も新人の頃は怒られてばかりでしたよ。」


どこの世界でもそうであろうが、この命を預かる戦場であれば、一つのミスさえ許されない。だからこそ、教える方も真剣になる。
自分も経庵を始め、当初はよく怒鳴られてばかりだったと肩をすくめて、思い出しながら笑った。


「……。」
「どうかしましか?」
「いえ……やっぱりミョウジ先生が戻ってきてくれて嬉しいなぁって。」
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。」
「そっそんな! 僕、また先生と一緒に居れるのが嬉しくて――って、あの、そういう意味ではなくってですね?!」
「ふふ、慌てなくても大丈夫ですよ。では、種実屋先生に呼ばれているので失礼いしますね。」
「ぁ、お、お疲れ様です!!」


後方からの熱い視線を感じながらは、いつもの部屋へと戻る。扉を開けた瞬間に鼻の通り抜ける煙に失笑をした。


「経庵先生、まったくもって来年に備える気ありませんね?」
「たりめェだぁ。今のうちにむしろ吸っとかんとのぅ。」


来年から敷地内は禁煙となるのに、大丈夫なのだろうかとナマエは不安を抱きながら、自分のデスクに腰を下ろした。


「どうだった?」
「事なく終了しました。」
「さすが。容易には衰えぬようで安心したぞ。」
「指先を怪我しなくて本当に良かったです。これが使えなくなったら、あそこには立てませんからね。」


自分の指先は、自分の命綱だ。脚を骨折しようが、指さえ無事であれば、術場に立てなくても練習はできる。ぐっと手を握り締めることで、先ほどまでの高揚感をはナマエは抑え込んだ。


「第一は誰じゃったか。」
「冠氏 絹先生ですよ。」
「あれか。」
「先生、ですよ。」
「ワシャ、あのボウズは好きでないのー。」


ふーと息を吹きだせば面白いほどに白煙が延びる。肺に入れずに吐き出されたそれは宙へモクモクと上昇していった。


「『かんし きぬ』だなんて、執刀医に相応しい名前ですよね。」
「名前だけがご立派で精神が追いついてないのが虚しい、むなしい……。」
「経庵先生、どんだけ嫌いなんですかちょっと。」


誰もいないであろう、閉じられた扉に思わず視線が動く。先ほど別れたばかりとは言え、もし聞かれていれば哀しいこととなる。


「あのボウズ、お主にどっぷりではないか。ん?」
「え?」
「今回の手術も、お主が執刀すると聞いて第一助手を上司に依頼したとか、なんとか。」
「そうなんですか?」


冠氏絹――自分よりも若い、最近第一助手までは任すことができる力量の青年だ。地元が近いことからよく会話をするようになった、勤勉な人物というのがナマエの印象である。


「まあ、確かによく聞いては来ますけど……。」
「ありゃ、お主に気があるの。」
「もう。そんなんじゃないですよー。」


一緒にチームを組んで以来、どっぷりと言わずもがな話す機会は増えたであろう。世間話から、治療に関すること、時折昼食を共にしたこともある。けれど、ナマエにとっては同じ医師という舞台に立っている仲間である以上、それは当然という認識ではあった。


「……ま、いいけどのぅ。ところでナマエ。」
「はい。」
「もう帰ってええぞ。」
「はい?」


時間はまだ夕刻に入ったばかりで、退勤するには早い。何を突然と首を傾げるナマエであったが、経庵から差し出された白い角封筒をみて察した。


「……届いた、んですね。」


封を開けなくても分かる。自分の足がもう大丈夫であるという証明書。自分が、日常へと戻るための鍵。
昔の自分であれば、手放しに喜んでいたであろうそれを、今は複雑な気持ちで抱えている。
それを切なく感じてしまう。


「ついでに言うと、もう来とるぞ。」
「えっ!?」


だが、経庵の言葉はその感情を発散させた。
ナマエは大事な封筒をデスクに投げて窓に駆け寄る。地面を向いている鍔を上に上げて外を確認すると、いつもの高級車がいつもの場所に位置していた。思わず目が丸くなる。


「なんで……。」
「お主もあ奴も、待てぬということか。」
「……すみません、お言葉に甘えますね先生。」


白衣をチェアにかけて、封筒を鞄につめる。


「ナマエや。」
「はい?」
「左馬坊とは、どうかぇ?」
「どうって……。」


それは、昔、問われた言葉と一字一句同じであった。


「……。」
「答えられん、か。」


あの時は、左馬刻との会話もそうなかった。
相手はヤクザ。自分は一般人。決して交わることのない存在であると、今も思っている。

けれど、仲良くする必要はないと。一人であらなければならないと。強く、硬く縛っていた鎖は今は緩んでいた。
むしろ、碧棺左馬刻という、横暴だけれども思いやりの心を抱く男への探求心は深まるばかりであった。


「先生、私……は、」


それでも、心は反抗する。
同じであると。左馬刻に囚われ、溺れ、そしてまた良いようにされるだけ。
であるならば、今まで通り一人であることを選択すれば、誰も傷つかない。誰も。


「臆病になっておるの。」
「……。」
「だが、答えられないというのが、お主の成長の証じゃ。」


とくり、と胸が跳ねる。
ナマエも子どもではない。自分の心の変調は、自分がよくわかっている。
だからこそ、認めたくないのだ。


「行け、ナマエ。何も急くことはない。あ奴とて、尻の青いガキではないわ。」
「……はい。」


ナマエは静かにほほ笑みながら部屋を後にする。裏口に向かって小走りで向かうと、白衣に身を包んだ冠氏に出会った。目が合うと、途端に冠氏の顔が明るくなる。


「ミョウジ先生、今からお帰りですか? 良かったら、この後ご飯でも――」
「ごめんなさい、冠氏先生。急いでいるの。」
「え、あミョウジ先生!!」


彼の言葉を無視して、ナマエはそのまま裏口から外へと出る。足早に動けるほどにこの足は動きがいい。門を出ると、その車は静かに止まっていた。ゆっくりと、歩幅を狭めて歩く。

助手席から顔を覗かすと、銀絹の隙間から紅玉と視線が交わる。彼は身を乗り出して、運転席から助手席の扉を開けた。


「よォ。」
「いつもより、早くない?」
「ちょうど空いたんだよ。センセこそよく気付いたな。」
「私じゃなくて経庵先生がね。」
「そうかよ。」


ナマエは助手席にスムーズに乗り込む。その姿を見て、左馬刻はシートベルトを締めた。そしてバックミラーで後方を確認すると、静かに車を動かす。
いつものようにヨコハマの風景が流れる中で、ナマエの片手はずっと鞄の中にあった。いつ、この中の封筒を出そうか。そればかりを考えていると、横から声を掛けられる。


「この前中華だったから和食でいいか?」
「え?」
「つか、和食の気分だから拒否権なしな。」
「え、え?」


気付けば、窓の風景もいつものとは異なっていた。もう、男の気分通りのプランに変更されているのであろう。思わず、封筒から手が離れた。


「食えないモンあるか?」
「……多分、何でも大丈夫。」
「ん。」


期待して、いいのだろうか。
彼もこの封筒を望んでいないと。


「(ダメだって、分かっているのに。)」


それでも、この人のことを知りたいと思ってしまうのだ。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -