ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  15

ナマエさんは、俺にとっては姉のような存在であり、女性としても大切な人だ。弟たちの面倒も甲斐甲斐しく見てくれて、よく夕食だって一緒にとった。いい関係だと思っていた。ゆっくりと関係を深めていって、ゆくゆく一緒になれたら――そんな願望さえ抱いていた。

ナマエさんが、とある日から様子がおかしくなった。呆けていることが多くなり、笑っていてもその眉は下がっていた。二郎三郎と相談して、彼女の誕生日を目一杯に祝ったときには心底笑ってくれていたが、夜、一人で月を見上げながら泣いていたあの表情は、今でも忘れられない。きっと、祝ってほしい人は彼女の傍にいないんだと察した。

あの人を笑わせてあげたい。あの人の涙を拭ってあげたい。そう、決意したすぐ後の出来事だった。


『……え、転勤?』
『種実屋経庵先生、覚えてる?』
『ああ……。俺も、二郎や三郎も世話になってっからな! 今は別のとこにいるんでしたっけ?』
『その先生に、こっちに来ないかってお誘いを頂いたの。』
『……行くんスか?』


その場所が、ヨコハマだった。ちょうど、俺が、俺たちが仲違いした時期だった。何が何でも、あの人の拠点になんて行かせたくなかったが、大人ではない俺にはナマエさんを引き止める術なんて何もない。

だからこそ、ナマエさんにはよく連絡を取った。俺も萬屋として波に乗ってからは、ヨコハマにも(本当は行きたくなんてねぇが)赴いて、彼女と顔を合わせるようにした。転勤を機に、俺たちの、俺との関係が薄れることを、恐れた結果だった。


「――くそっ。」


ナマエさんの元に、早朝で迷惑であろうと思いながらも訪れる。けれどいつもと変わらない綺麗な笑顔で迎え入れてくれた。デザートを片手に導かれるように部屋に入った瞬間に、違和感に気付く。


「あの、煙草のニオイ……違いねぇ。」


あの人が、よく吸っているそれと一緒だ。一時、傍ににいたから分かる。だが、煙草なんてどこでも買えるだろうと自身に言い聞かせた。言い聞かせていたはずなのに、テーブルに置かれたメモによって頭を打たれた。


「あの字も、あの連絡先だって……全部……左馬刻のだ。」


なんで、彼女の家に、煙草のニオイが染みついている?
なんで、彼女の家に、アイツのメモ紙が置いてある?

ポケットに、慌ててしまいこんでしまったメモには『鍵はポスト』と書いてあった。
ナマエさんの話と合わせるに、昨日来ていたという友だちは、左馬刻で違いないのであろう。夜までいたのだろうか。何をしていたのだろうか。どうして。


「なんで、どうしてなんだよ。」


あれだけ言ったのに、近付くなと。関りを持たないでほしいと。
もしかして、あの時から既にナマエさんとあの人はそういう関係なのだろうか。そんなバカな。認めたくない。認められない。やっぱり、ヨコハマ転勤なんて時点で、無理やりにでも引き留めておけばよかったのだろうか。そうすれば、関りを持つことなどなかったのだろうか。


「いや、まだ、そうと決まった訳じゃねえ。どうにかしてでも、せめて左馬刻のやろうには、絶対ェに渡さねえ……絶対に。」


メモをくシャリと潰して、ポケットにしまい込む。
ああ――弟たちにはなんて言おうか。このことを告げれば、顔を真っ赤にしてヨコハマに乗り込むに違いない。そんなことさせれば、お互いに無傷では済まないはずだ。黙っているしかないか。


「ナマエさん……。」


出たばかりのマンションを見上げて、再びバイクを走らせた。

* * *

一郎とヨコハマを散策し、美味しいラーメンを食べた。バター醤油と、有名だという醤油とを頼み、互いのラーメンをつまみながら味の感想を言い合った。また来たいと言えば、彼は嬉しそうに頷いてくれるわけだから、その素直な表情に心が現れるようだった。

彼が部屋を後にしてから、ナマエは珈琲を淹れて、テレビをつけた。


「うーん、美味しかったなぁ。」


彼が買ってきてくれたスイーツは、イケブクロでも有数の有名店のものだった。洋菓子を数種類も買ってきてくれたため、お言葉に甘えて2つも頂いてしまった。「俺は1個でいいんで、明日にも食べてください。」と、残りの1つは冷蔵庫にある。年下にここまでさせてしまって申し訳がない、という思いもありつつ、スイーツには勝てないのが本音だ。


「……。」


珈琲に口付けながら、ふと思い出す。左馬刻に昨日珈琲を出したとき、淹れ方が下手だと言われた。もちろん、インスタント珈琲だったためそりゃそうかもしれない。けれど、そういうということは、


「左馬刻くんは、珈琲淹れるの美味いのかなぁ。」


あ。また考えてしまった。
ナマエは頭を抱えた時、スマホがぶるぶると震えた。すぐにそれに手を伸ばすと着信がきている。画面には、左馬刻の文字があった。まさに思い浮かべていた相手からの着信にどきりとしつつ、ゆっくりとスワイプする。


『遅ぇ。』
「……一言目がそれ?」
『俺様からのコールにはぱっぱと出ろ。』


横暴だ。そう思いながらも、彼らしいと思ってしまう時点で麻痺しているのかもしれない。ナマエは珈琲を一口味わって耳元に意識を集中させる。


「ね、いろいろありがとう。」
『あ?』
「先に寝ちゃってごめん。ご飯、ありがとうね。」
『別に。』


電話越しに緩やかな、長い吐息が聞こえた。大方、いつものように煙草を吸っているのだろう。そこで思い出す。


「灰皿、持ってったでしょ。」
『不要なもの回収してやったんだよ。』
「それ、結構高かったから大事にしてね。」
『あ? 忘れてなかったらな。』
「元彼への初プレゼントなの。」
『壊す。』


やめてってば。そうクスクスと笑顔が零れると、耳元に鼻で嗤うような音が届いた。向こうも、おそらくはこの冗談のようなやりとりを愉しんでくれているのかもしれない。ナマエは瞼を閉じた。


「ねえ、なんか喋って。」
『はぁ?』
「左馬刻くんの声、結構落ち着くんだよね。」
『……あほか。』
「照れた?」
『殺すぞ。』
「照れてる。」
『テメェ……。』


お怒りの声は聞こえたが、その後に諦めたように細長い溜め息が零れた。


『明日の迎えだが。』
「あ、うん……。」


左馬刻は忙しい。何度も彼の部下と謎の繋がりを持つ銃兎が送迎をしてくれていた。きっと明日以降も変わらないのだろう。そうして、この足はもう良くなって……。先を考えると、浮かんでいたはずの笑顔が消えていくのが分かる。


『いつもの時間で良いか。』
「……うん。午後からの、いつもの時間でお願いします。」
『……。』
「あ……左馬刻くん?」


声も、酷く落胆したものになってしまった。慌てて繕って声を出すが、左馬刻からの返答はない。送迎してもらっている身のはずなのに、態度が悪かったのだろうかと反省していると、再び鼻で嗤う声が聞こえた。


『午後からか。その前に飯でも食いに行くか?』
「え!?」
『んだよ……。』
「左馬刻くんが、来てくれるの?」
『俺様じゃ不満だなんて言わないだろうなァ。』
「まさか! 嬉しい!」


反射的に、声が出た。自分で驚いたように気付き口元に手を当てる。当然、電話越しの声も音を失くした。


「……あ、いや、そうじゃなくて……。」
『はっ、嬉しいねぇ? 』
「だ、だからそれは…。」
『食いたいもん、考えとけよ。 』


それだけ言われて、勝手に切れた通話。


「…………も〜〜!」


何を言っているのだろう、自分は。
ナマエは頭を抱えてテーブルに伏した。



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