ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで | ナノ

ハマのヤ●ザと女医が同棲するまで

#  11

その日、ナマエは朝からスーツに身を包んでいた。暫く通していなかったスーツは、些か体に合っていないような気がする。怪我をしてから、以前のような食事をとれていなかったせいか。不格好ではない。が、やはり……不格好である。スーツ姿が会場に集っている中で唯一、松葉杖をついて歩いているのだから。

セッションの終わりを告げるアナウンスと共に皆々が席を立つ。ナマエは遅れて鞄を肩にかけて相棒に身を預けた。隙間なく置かれているパイプ椅子の合間を縫ってホールから出ると、既に人数は先ほどより大幅に減っていた。それでも、元々の人数が多いせいか、ホールの中は些か窮屈であった。


「次の時間まで時間はある、か……。」


軽食を摂ろうと思えば時間は許されるほどだ。だが、この状況だと座る場所を探すのも苦になりそうであった。ただでさえ動きが限られているのだ。もうすぐ夕刻、お腹にはもう少し我慢してもらった方がいいのかもしれない。

数十分すれば会場準備が出来るはず、とか、壁に背中を預けた時、ふと見知った姿を見た。普段は白衣ばかりを見ているからか違和感はあるものの、あの凛とした立ち姿はそうであろう。挨拶をしよう、と人混みを歩み進めると、彼は別の人物と話していた。――とても、同じ医師や従事するようには見えないが。


「おや、ナマエくん?」
「お久しぶりです、寂雷先生。」


こちらが声をかけるのを戸惑っていると、先に相手が気付く。目鼻立ちが相も変わらず上品であり、目尻はやんわりと細まった。


「す、すみません! 俺はこれで失礼いたします……!」
「こちらこそすまない。いい話を聞かせてもらったよ。」
「いっいえ。」


寂雷と話していた男は慌てて書類をしまい、頭を下げた。そのまま下がろうとした足を寂雷が止める。


「ああ、独歩くん。」
「はい!」
「今週末、行けそうかい?」
「も、もちろんです!」
「そうか。楽しみにしているよ。」


独歩、と呼ばれたその男性は隈のできたその瞳でナマエを一瞥して、礼儀正しくお辞儀をしたのちに立ち去った。どうやら、それなりの仲らしい。せっかくの話を邪魔してしまったようだと、ナマエは反省をする。


「ごめんなさい、お話し中だったのに。」
「いや、彼とはいつでも話せるからね。それより……。」


寂雷と向き合う。以前会ったときとまるで変わらない姿は、相も変わらず神々しい。いつも緩やかな笑みを浮かべている表情は些か暗い。視線は、松葉杖へと向けられていた。


「一体、どうしたんだい?」
「骨折してしまって。」
「それは大変だったろうね。……今は、大丈夫なのかい。」
「ええ、医学会に参加して歩き回れるほどには。」


骨折してからというもの、参加予定のセミナーや学会はすべてキャンセルをした。だが、これらに参加をしなければもらえない点数がある。意地でも、と今回はタクシーを使ってナマエはこの医学会に参加した。無論、彼には何も告げていない――。


「(あれから、会えてもないし……。)」


送迎は、もはや見知った部下や、銃兎が担当していた。不思議な縁を持った警官曰く、左馬刻は多忙らしい。本当にそうなのか。自分と同様に気まずくて顔を合わせたくないのか。後者は、ナマエが抱えている感情であったために、淋しくあるものの、ありがたさもまた感じた。


「次のセッションは聴講するのかな?」
「はい、その予定です。」
「なら良かった。せっかく会えたんだ、夕食でもどうだろう。」
「良いんですか?」
「勿論だとも。久々にヨコハマに来たからには何か満たしてから帰ろうと思っていたんだ。こんな可愛らしいレディーが付き合ってくれるのなら、光栄だ。」
「あはは、寂雷先生ってばお口が上手いんですから。せっかくなので、同行させてください。」


神宮寺寂雷――今はシンジュクに病院をもつ名医だ。経庵を介して何度か会ったことがあり、ナマエは彼の医師としての知識量、技術、考え方に深く敬意を抱いていた。イケブクロに勤めていた時には時折交流を深めていたが、ヨコハマに来てからはさっぱりだった。この学会に参加したのも、もしも会えたらという希望があったのは否めない。

寂雷に連れてこられたのは、会場からそう遠くない、見晴らしの良いレストランであった。どこからどうみても高そうなそこではあったが、勿論断る理由などはない。久しぶりの高級食に思わず舌がとろけそうになる。ぐっと我慢しても顔は綻んだために、目の前に座る男には薄く微笑まれた。

話は弾んだ。お互いの近況から始まり、種実屋経庵という共有の話題で笑い合い、休日の過ごし方での発散法について語った。今週は仲間と釣りに行く、と愉しそうに語る寂雷の手は何度もグラスを傾けた。そこにアルコールは含まれない。彼が、車だからだ。


「次お会いするときにはお酒を一緒に楽しみたいですね。」
「いい飲み屋知ってるので、今度行きましょう!」


デザートも目前、というところでも話はやまない。今までの積もる話をまるですべて吐き出す。時間だけが流れゆく中で、ナマエはワインを再び呑み干す。じわじわと満たされる体だったが、時は既に深夜に近付いてくる。

これ以上、寂雷を引き留めてはならないとチェックのために店員を呼び止めるが、既に支払い済みだとの返答。咄嗟に寂雷に視線を動かす。彼はただ艶やかな瞳を薄めて「お礼だ。貰ってくれるかな?」とだけ。そういわれては甘えないわけにはいかなかった。


「少しだけ、歩けそうかな。」
「もちろん。こんな時間なのに、送ってくださるなんて申し訳ないです。私だけお酒を頂いて、支払いまで……。」
「しー。その話はもう、終わっただろう? こんな夜分に女性を一人にするような男ではないつもりだよ。」


店から出ると心地のよう風が肌を擽った。自分よりも長く、絹のような長髪が隣で舞い踊る。ゆっくりとこちらのペースに合わせてくれる優しさに身を委ねながら歩を進めると、途端に隣の長いコンパスは静止した。


「寂雷先生?」
「……どうやら、呼ばない客が来たようだ。」
「えっ。」


男性特有の低い声が、酷く残念そうにそんな言葉を紡ぐ。一体どうしたのだろう、と再び声を発しようとした直後に、足元に空き缶が転がってきた。同時に通路に長い影が差す。


「ぁああ…見つけたァ。」


寂雷のそれよりも低く、感情を押し殺した声が突き刺さる。


「女ァ、ようや、見つけ…ようやく、復讐…!!」


影の中から、鋭すぎる隻眼が確かにナマエを睨みつけた。びくりと飛び跳ねた華奢な体を守るように、しなやかな長髪が靡く。目の前に立ってくれた大きな背中を見上げた。


「彼女に何用だろうか。」
「お前、復讐……アイツ、殺し…殺してやる、殺してやる!」
「……知り合い、」
「じゃないですよ!?」
「の、ようだが?」
「殺す……アイツ、同じ目に、目を、潰す……!」


寂雷の背後から盗み見るように恐る恐る、目の前の獣を伺うが、やはりその姿に覚えはない。ただ、其の獣はあまりにも手負いであった。吐き出す吐息は色を持ち、片方の瞳は黄ばんだ包帯で隠されている。唯一世界を映す瞳に光はない。ただ、ただ憎悪に満ち満ちた殺意をそこから感じた。

――怖い。
それ以外の感情がすべて消えた。途端、体がぶるぶると震える。


「ナマエくん、落ち着くんだ。」
「ッでも、あの人私を見てる、私だけ……!」
「ナマエくん!」
「私、殺されるっ…?」
「殺す…潰す、俺の……同じ目に……。」


ただただ繰り返す憎悪に満ちた言葉に、逃げたいと本能が叫んだ。思わず左足が一歩後ずさる。刹那、痛みと共に体が均衡を崩した。


「っきゃ!?」
「ナマエくん!」


体を支える存在のことを失念していた。ナマエの体は臀部から地面に衝突しする。寂雷はしゃがみ込み、ナマエの体を第一としたが、男の狂気は待つことを知らない。


「まず、お前、から……!」
「寂雷せんせっ後ろ!!」


振りかざされるのは――凶器だ。


「ッーー!!」


月光が照らす刃は眩しいばかりの銀色を発した。振り下ろす男の隻眼は黒く、対となる黄ばんだ包帯からは薄っすらと血液が滲んでいた。

こんな恐ろしい銀色は知らない。
こんな狂った赤色は知らない。

やだ、いやだ、助けーー!


「テメぇが死ねやゴラァ!!」
「がぅあっ……!」


怒声と共に、目の前の男が崩れ落ちた。

何が起きたのか、理解はできない。できないがナマエの恐怖に満ちた心が揺らいだ。何度も聞いた声。そして香りが訪れてきたのだ。


「ったく……夜中にうろついてんじゃねぇよ。」
「さま、ときく………。」


見慣れた、本当の銀色がキラキラと光を散りばめて降り立った。



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