HAS | ナノ
暗雲にて背を丸める

「あの、大丈夫ですか……?」
「……んだよ。誰だあんた」
「今年入職したミョウジです。もしかして、ご気分が悪いのですか?」
「うるせぇ、放っておけ」

休憩室から離れた場所にある廊下に、蹲っていた。声を掛けるのは怖かったけれど、体調が悪いのではと考えると、口が動いて。口調と目つきの悪さに後悔したっけ。

「あ、あの、これ良かったら!」
「……」
「えっと、…その、おばあちゃんお手製のスープなんですけど! 芯から温まれるので、落ち着けるんです! 胃にも優しいですし……ええっと……」

休憩に行こうと、たまたま手にしていた水筒を手渡す。でも、何を言っても迷惑そうに溜め息を吐かれて、逃げないとなんて思ったなぁ……。

「こっこれからお世話になります!!」
「あ? お、おい!」

結局、水筒を置いて立ち去ったから二度と会えなかった。必死に言葉を紡いだところで、所詮は世間を知らない新人の言葉。きっと、相当苛立たせていたかもしれない。

廊下を走り去りながら、この逃走という行為こそ失礼だったのではと顔が真っ青になった所で、丁度良く金塚さんが来てくれた。研修が終わって、現場入りしてから積極的に指導をしてくださる、頼りがいのある先輩だ。

「ああ、そこにいたのかミョウジくん」
「金塚さん! すみません。ちょっと……道に迷ってしまいまして」
「ここは無駄に入り組んでいるからな。ついておいで、こちらだ」
「はいっ!」

どこから、間違えてしまったのだろう。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
考えても、考えても。結局行きつく場所はなく、自分が何か悪いことをしでかしたのだと自責に駆られてしまう。

金塚さんも、高砂子さんも、元々良い人なのだ。今だって胸を張って言える。仕事も出来る自慢の先輩たちなのだと。

それが、何で――


「ナマエさん」

柔らかな声色に、瞼が自然と開いた。
意識がいつのまにか沈んでいたらしい。

「……安室さん……」
「おはようございます」
「……そんな時間じゃ、ないですよね」
「ええ。でも、起きてくださったから」

高砂子さんが警察によって連行されてから、安室さんと千奈ちゃんと共に借りていたホテルの一室へと戻った。荷物を置いただけの綺麗な部屋で、事情を聞くだけ聞いて眠ってしまったような……。正直、まだ頭がぼうっとする。

「何時ですか」
「16時です。大分、お休みでしたね」
「……」
「薬はもう切れていますが、調子は如何ですか」
「……まあまあです」
「そうですか」

夕暮れが差し込んでいる。あの、工場でも差し込んでいた夕日。昨日の出来事は、嘘ではなかったんだと、どこか他人事のように一瞬考えてしまった。

「高砂子と金塚の件はニュースに早速取り上げられています。暫く仕事もお休みになるでしょう」
「……」
「彼らを焚き付けた主犯も、警察が捕らえました」

三人も、何かしら関与をしていた。主犯とやらは、昨日安室さんが心当たりがあると言っていたけれど……。本当に捕まったんだ。

はは、これで事件終わりってこと? 
勘弁してよ……。一番、私が追いつけない。

「ナマエさん」
「……」

というか、なんで安室さんがここにいるんだろう。まさか昨日からずっととかじゃないでしょうね。……なんて、どうでもいいか。

今回の事件は、全部――

「貴女のせいでは、ありませんよ」
「!」

心を、暴かれた気がした。
咄嗟に俯いていた顔を上げると、安室さんが困ったように眉を下げて微笑んでいる。何度も見たことがあるけれど、今までで一番愁いを帯びている気がした。墓地で会った時よりも。

「金塚も高砂子も、主犯だって。全ては自分の心の弱さから道を外れた。きっかけが貴女の存在だったとしても、向き合う方法を誤ったのは彼ら自身だ」
「……それでも……。私がいなければ……」
「ナマエさんが居なかったら、金塚は後輩育成に力を入れなかったかもしれませんね」

え?

「貴女がいたから、自分の出世だけではなく後輩にも目を向けていたのでしょう。金塚は、上層部以上に後輩たちから信頼を得ていたようですから。それも、貴女が入職してからですよ」

……何も、知らない癖に。
そう言えればいいのに、安室さんの言葉に嘘が感じられなかった。

「高砂子も、当初は仕事が上手くいかずに荒れていたようです。ですが、途中から人が変わったように穏やかになった。ワンマンだった彼は、チームを大切にするようになったと突然評判が上がっています。……きっと、心の優しい人に触れたからでしょう」

見たことないはずなのに。
安室さんには、あの時の出来事を知っているんじゃないのだろうかと、疑ってしまう。……あのスープで、高砂子さんの心を、温められたのかな……。

「ナマエさんの存在が、二人を。更に言えば会社を変えたといっても過言ではないでしょう」
「……でも、今じゃ私のせいで失態。メディアのいいカモですよ」

失笑してしまう。銀行強盗に襲われてお休み。次は、一人のスタッフを巡って二人も事件を起こしてお休み。笑えない。

「確かに失態です。会社が、しっかりとナマエさんたちを守れなかった失態だ」
「……もう、いやです……」

弱音なんて吐きたくないのに。ましてやこんな安室さんに、聞かれたくもないのに。でも、喉の奥底から出た言葉は、震えた情けない声だった。

「怖い思いを、たくさんしましたね」
「……」
「気が付けずに本当にすみません」

だから、どうして安室さんが謝るんだろう。どうしてこの人は……。目尻が熱くなって、唇を噛み締めた。

どんなに突き放してもうるさいくらい傍にいて。気が付けば助けてくれていて。達観した口調が心を暴いてくる。それに、救われている自分が悔しい。

「助けに行くのが遅くなって、すみません」
「っ……やめてください。安室さんには、関係ない」
「ありますよ。伊達に、ナマエさんを見てきていないんですから。些細な変化に気が付けないなんて、情けないです」

情けないのは、私だ。結局、私一人じゃ何もできなかった。事態を悪化させて、皆を巻き込んで。社会人として、大人として、人として、ダメな人間だ。

「ナマエさん。どうか、恐れないでください」
「……」

本当に、人の心を見透かしたように的確な言葉を掛けてくる。
人が、怖い。人からの好意も、優しさも、もう何もかもが嘘なんじゃないかって……。裏ではこうやって犯罪に手を染めているかもしれない。裏に別の感情があるのかもしれない。……怖い。人の好意が、優しさが、存在が、全部怖い。

「貴女の周りには、確かに信頼できる人たちがいます。梓さんも、千奈さんも。不束者ですが、僕だって」
「……ふつつかです」
「はい、不束者です。だから、脱却するまでは関わらせてください」

……金輪際関わらないでって、言ったのに。

「次が無いことを祈りますが、次こそ、貴女を守りたい」
「……なんで、そこまで」
「あれ? 忘れちゃったんですか?」

安室さんが、ようやくいつものアホみたいな笑顔をにっこりと浮かべた。久しぶりに見た表情に、酷く

「貴女のことが好きだからですよ。ナマエさん」

嫌悪感よりも、懐かしさに心が満ちた。

「……って満ちてないし!」
「え?」

危ない危ない!
安室さんのこの上辺に、騙されてはいけないんだった。この人だって結局、私に好意を抱いていると言いながら、金髪美女の彼女がいるんだから。金塚さんや高砂子さんと同類だ。いやそれ以上に犯罪的だ。

まるで穏やかな空気に絆されかけていたけれど、この人が変態でクソなのは変わらない。
落ち着け、私。落ち込んでいるところで漬け込もうとする典型的な手段だ。金塚さんと一緒だ。それ以上だ。

「だから以前も言いましたけれど、気を持たせて何が楽しいんですか」
「ああ、その件! 何なんですか? 本命とか仰ってましたけれど」
「……ここまで来てしらばっくれるんですか」
「ですから! 僕にはサッパリ分かりませんよ! 説明してください!」

こんなやり取り、いつぶりだろう。嫌悪感があるのに、やっぱり別の温かい感情に包まれてしまう。違う違うと心に言い聞かせて、安室さんに睨みを利かせた。

「彼女さんがいるくせに、堂々と告白しないでくださいってことです」
「……はい?」

大きな目をぱちくりさせたって、可愛くとも何ともない。

「知っていますからね。金髪の大美女彼女さんがいるんでしょう」
「え……っえ!? ま、待ってください……それは、えーっと……」

珍しく安室さんが動揺している。やっぱり、彼女なんだ。もしかしたら奥さんって可能性だってある。私が何も知らないと思ったら大間違いだっての。

「金髪の大美女って……。もしかして、髪の長い外国人ですか? いつ見たんです?」
「桜の綺麗な日に。お花見楽しまれたんですってね」
「……あぁ」
「ほら、嘘つき。良さげな言葉並べて誤魔化そうたって、騙されませんからね」

元気だったら暴言の一つや二つ吐き出したいところだ。頭を左右に振る安室さんに、やっぱりこの人はクソだったんだなと改めて胸にすとんと落とさせる。
早々にポアロも止めて頂いて、梓ちゃんからも離れてもらわないと。ああ、梓ちゃんの顔も、見たいなぁ……。

「ナマエさん、それ勘違いです」
「はい?」
「その人は僕の依頼人ですよ。恋人だなんて冗談じゃない!」

……勘違い?
でも、あの金髪美女は楽し気にしてたし。また明日って……。お花見も楽しかったって。

「その割には、親しそうに感じとりましたけど……」
「何度か依頼を受けているからです! 日本でのお花見もしたことがないというので、その日も依頼されて付き添っただけで!」

……。本当に勘違い?

「まさか、彼女から直接何か言われてませんよね!?」
「え、ええ……。言葉は、交わしてませんけど」

目が合っただけで、何も交わしてない。どうして、安室さんがここまで慌てるんだろう……ますます怪しい。

「違いますからね。恋人なんて絶対にありえません! ただ彼女は……距離感の近い言葉を吐いたり、相手に誤解を与えるような言い回しをするので……」
「はぁ……」
「もしナマエさんに不快な思いをさせていたらと」
「まあ、何も話していないので」
「そうですか! 良かった」

……安室さん、まるであの人のこと嫌いみたいな言い方だ。少なくとも恋愛の好意は感じられない。だったら、本当に彼女じゃないの? 

「ずっと誤解させてしまったんですね。あぁ……だからナマエさん、ポアロにも来てくださらなかったんですか?」
「……別に、違います」
「そんなに彼女いたことが、ショックでした?」

にやにやとした顔が腹立って、手元の枕を投げつけた。いつだかのように、簡単にキャッチされて尚更腹立たしい。

「あぁ、もう! ナマエさんってば可愛いですね。大丈夫ですよ、僕の心はナマエさんがしっかりキャッチしてますから!」
「キャッチ出来るようなツマミはありません。お帰りください」
「またまたぁ! ふふ、しっかり心の中心に僕がいて嬉しい限りです!」
「いませんから。一切どこにもいませんから」

くそう、なんだか無性に腸が煮えくり返るような気分になってきた。

「お腹すきました!!」
「ふふっ。では、すぐに用意してもらいますね」
「……ポアロに、行きたいです」

……悔しいけど、欲しているのはここの食事じゃないから。

「では、一名様ご案内しますよ」
「今日のメニューは」
「煮込みカレーは如何ですか? 今なら杏仁豆腐もプレゼントしちゃいます!」
「悪くないです」
「丁重にエスコートしますよ」

少しだけ、扉を開けるのが怖かった。でも、腹が立つけど! 安室さんが、先導してくれたから……ゆっくりと足を踏み出せる。

怖い。人が怖い。好意も、優しさも、裏を考えてしまう。きっと元にはすぐに戻れない。

でも、それでも変わらずに接してくれる信頼出来る人たちはいるから……。その人たちを、信じていたいから……。この暗闇から、少しでも出ていきたい。また、平穏を過ごしたい。

「安室さんは」
「はい?」
「……変わらずバカやっていてくださいね」
「バカって……愛情ですよ、愛情」
「はいはい」




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