HAS | ナノ
エゴイストな悪魔

頭が重い……。ふらふらする気がする……。
私、何していたんだっけ……。ここ、どこ……? 
確か、えぇっと……なんだっけ……?

誰かの声が響いて頭を撫でられた……。何か、音が聞こえる……。なんだか眩しい……朝? 
出勤しないと……。企画も良い所まで進んで……。
企画? 確か、締め切りが、早まって。あれ、どうして早まったんだっけ……。確か、金塚さんが……。

「っそうだ!」

頭が一気に覚醒する。金塚さんじゃない、私に付きまとっていた犯人は金塚さんじゃなくて――

「……どこここ」

辺りを見回して恐ろしい程の静けさに恐怖が増す。狭い個室。ベッドと机しか置かれていない。眩しいと感じたのは、窓から差し込む夕日だ……。小さな窓から顔を覗かせると、そこには海が広がっていた。そりゃあ眩しいわけだ。

というか、私誘拐された? 監禁されてるの?
薄っすらと聞こえた何かの音は、唯一の出入り口である扉が閉まった音かな。この先に……高砂子さんが?

「どうして、高砂子さんが……」

ホテルのエントランスから出て、声を掛けられた。名前を呼ばれて心臓が飛び跳ねそうになったけど、高砂子さんの姿に少し安心してしまったんだ。千奈ちゃんと途中で拾って、車で待たせてあるなんて嘘、どうして信じてしまったんだろう。

車に乗り込む寸前に嗅がされた薬品の陰で、こんなに頭がぼうっとしていたのか。とにかく、逃げなくちゃ。鞄が手元にないから、スマホも回収されているみたい。ホテル出る頃には日が落ち始めていたし、そんな遠いところに来てないと思うんだけど……。

小さい窓のせいで海しか見えない。この部屋を出れば、もしかしたら助けを求めに行けるかもしれない。理由を考えている暇はないし、じっとしているわけにもいかない。鉄のドアノブがやけに冷たくて、心臓の鼓動を跳ね上げる。

「……」

ゆっくりとノブを回して、隙間からこっそりと覗き見ると、何か広いフロアが見えた。二階にいるみたいで、まるで工場みたいな鉄骨の床に階段が見える。どこだ、ここ。

「親父の工場なんだ」
「っひあ!?」
「おはよう、ミョウジ」

扉の隙間に目一杯高砂子さんの顔が映って、思わず腰を抜かせてしまった。
た、高砂子さん! 部屋から出ていったんじゃ!?

「歩けるまで回復したのか? そんな強い薬じゃないとは言っていたが、安心したよ」
「っ…っ……」
「怖がらなくていい。俺はミョウジに、危害を加えるつもりはないぜ」

嘘つけ、完全にもう危害加わってるわ。
叫びたくても、睨みたくても、唇が震えて何も言葉が出てこない。

「可愛いな。ミョウジはそういう表情もするのか」
「っや……!」

頬を撫でられた途端にぞわりと背筋が震える。なんだこれ、今までで一番気持ち悪い。触られたところから、全身に向かってぞわぞわする。

嫌だ、本当に。泣きたくなんてないのに、どうしてこんな涙が出て来ちゃうんだ。こんな人に、これ以上弱いところを見せたくないのに。

「どうしてって顔してるな。ミョウジって、仕事できるけど人覚えるの得意じゃないだろ」
「……っ」
「ミョウジが新人の頃、話したことだってあるんだぜ」

高砂子さんと、会ったことがある? 入職した時は本部で研修を受けていたし、金塚さんの仕事に同行もしていたから確かに会っていても可笑しくないけど……。まるで覚えてない。

「あの頃は初々しかったな。金塚課長に付いていく姿は、生まれたてのペンギンのようだったよ」
「…ど、して……」

そうやく喉の奥から出た声はか細くて、酷く震えている。自分の声だなんて思いたくもない。

「理由なんているか? お前に惹かれて、お前を追ってここまで来たって言うのに」

追ってきた? 
……本部からの異動は、家庭の都合だって……。

「さすがに本部から引き留められて、時間が掛かったよ。家庭の都合で誤魔化したってわけだ。……驚いたよ。何回か研修で顔を見かけてはいたが、こうして久しぶりに会ったら随分と美人になってたからな。女ってのは数年でよく変わるもんだ」

もう、その時点で狙われていたってこと? 全然気が付かなかった。だって普通にいい人だったし、いつも仕事付き合ってくれて……。家にも、送ってくれて……。これだって邪な思いがあったってこと?

「せっかくお前に会いに来たのに、まさか金塚課長が本部へ引き抜こうとするなんてな。やけに接触も多くて、さすがに焦ったぜ」

確かに、初めて手紙が来たときには、既に金塚課長がよく支店に来ていた。もうあの時点で私の家が割れていたってこと? 

すぐに自宅を見つけられるなんて……。私が気付く前からストーカーされてたいた? もはやホラーが過ぎる。勘弁してよ……。

「だからって、どうしてこんなことを……」

まだ震えている。でも、さっきよりも音声としてはっきり自分の耳にも届いた。かなりショックだ。あの高砂子さんが犯人だったなんて……。どんな顔をして、一緒に働いていたんだろう。

「声を掛けられたんですよね」
「っ誰だ!!」

工場の扉が開いて、一気に眩しくなった。聞いたことのあるような声が耳に届いて、咄嗟に腕が引かれる。
気付いたら高砂子さんの腕の中にいて――目が慣れてきて、ようやく人影が見えた。

「ナマエさん、お迎えにきましたよ」
「ナマエさぁん!!」
「千奈ちゃん!? 安室さんまで……」
「あれ? そこは僕の名前が先じゃないんですか?」
「……なんで……」
「何とかお元気そうですね」

全然元気じゃないし。全然千奈ちゃんの名前が先で間違いないし。
なんでいるの。なんでこんな所に千奈ちゃんまで連れてきたの……。助けに、来てくれたって言うの? あんな事言ったのに……。

「玉垣……。安室を連れてきたのか」
「高砂子さん……こんなの酷すぎます!」
「なるほど。僕のこともご存じだったわけですね」

高砂子さんが、どうして安室さんのこと……? 
思わず二人の顔を見ていると、忌々しそうな表情を浮かべる高砂子さんにまたしても背筋がぞっとした。

「金塚課長へのミスリードが失敗したってわけか」
「残念ながらね。貴方へ声を掛けてきた悪魔が、彼を利用するように言ってきたのでしょう?」
「参ったな。さて、どう逃げるか」
「高砂子さん、もう止めてくださいよ……! こんなこと、もう……ナマエさんを離してください!」

金塚課長? ミスリード? どういうこと?
頭がまた痛くなってきた……。金塚課長のせいでも、高砂子さんのせいでもないはずだ。

じゃあ、誰が。……私が、原因……?

「ミョウジは覚えてないだろ。俺が仕事で落ち込んでた時に、新人のお前が声を掛けてきたんだぜ」
「え?」
「陳腐な言葉で必死に慰めようとしてくれてよ。何も知らねぇガキがって苛ついてたはずなのに、段々上手くいかなくて涙目になったお前に笑っちまったぜ……。でも、必死に頑張るお前の姿を見て、今度は俺が支えたいって思ったんだ」

耳元で聞こえてくる高砂子さんの言葉が、何故か胸に響いた。

「なのに、肝心のミョウジときたら覚えていないどころか、見向きもしないもんな」
「……ごめん、なさい……」
「謝るなよ。本当は、傷つけたかったわけじゃ……。いや、怖いのを堪えているミョウジを見ていてエスカレートしていったのは、事実だな」

段々、首を絞めていた手が緩まっていく。高砂子さんへの恐怖が昂っていたはずなのに、なんで和らいでいくんだろう。今まで何をされていたのか思い出して、この人を突き飛ばして、すぐ逃げないといけないのに……。

「……高砂子さんの気持ちに気が付けなくて、ごめんなさい」
「止めてくれ…」
「覚えていなくて、ごめんなさい」
「止めてくれ!」

優しい人だって知っているからだろうか。自分が、たくさん助けられたからだろうか。どうしても、強く責めたい気持ちよりも、申し訳なさの方が高かった。許しては絶対にいけない相手なのに。

「こんなことさせて、…ごめんなさい…」
「なんでミョウジが謝るんだよっ! 悪いのは俺だろ! お前に何をしたか思い出せよ!!」
「……追い込んだのは、私なんですよね……」
「ッ俺が、弱かったから……だから簡単に、絆されちまったんだよ……」
「高砂子さん……」

崩れ落ちる体に手を差し伸べることも出来ない。一気に身体の力が抜けて、冷たい鉄骨の床に座り込んだ。千奈ちゃんが駆け寄ってきてくれて、何て声を掛けられたのかも覚えていない。

ただ、遠くからサイレンが聞こえた気がした。

「高砂子さん。貴方に声を掛けた人はどなたですか?」
「……。どうせ、アンタならもう分かってんじゃねぇのかよ」
「……」
「アンタが羨ましいぜ、くそが」


――……


ストーカー、誘拐、脅迫。さまざまな容疑が掛かり、当然メディアにも取り上げられたていと銀行のとある支店は再び一時運休となった。
本部で行われた記者会見の場に、金塚の姿はない。金塚と高砂子という二人も犯罪者を輩出したんだ。暫くは相当落ち着かない日々を過ごすことになるだろうな。

ポアロの前で、スマホで片手に見ていたニュースを消す。同時に、高いヒールの音が聞こえてきた。ふわりと揺れる髪の毛は良い印象を与えるが……。

「透クン、お待たせ〜! 外で待っててくれたのね?」
「ええ。少しお話をしたいと思いまして」
「もっちろん、いいわよ! どこかカフェ寄る?」
「僕の車ではご不満でしょうか」
「えっ? ……やだぁ、もう! 嬉しい! いいわよ…ふふっ」

館田さんを車へ導くと、彼女はすぐに上着を脱ぐ。ふんわりと鼻を擽ったのは落ち着いたバニラの香りだ。良いところの香水を使っている。持っているものもブランドばかり。相当気合を入れてきたな。

「実は、お伺いしたいことがあるんです」
「なぁに? 今なら何でも答えてあげちゃうわよ。あ、会社の内部事情は秘密ね?」
「ナマエさんに手を出した理由は何ですか」
「……え?」

綺麗に着飾っただけの悪魔。
ナマエさんを陥れた、醜い女に吐き気すらしてくる。とぼけたように笑う姿にも苛立ちが込み上げてきた。こんな女に手を出されて、どれだけナマエさんが怖い思いをしたと思っているんだ。

「ナマエって、前にポアロにいた人でしょ? 手を出すってなぁによ〜! 私は何も……」
「金塚孝長に声を掛け、彼女を僕と引き離そうとしたのでしょう」

平然と笑いながら、よく僕に近づけたものだ。

「だから何のこと」
「だが金塚はこれを断った。予想外の出来事だったが、すぐに好機が訪れる。……ナマエさんと同じ職場にいる高砂子克己だ」

隣で息を呑む。まさか、僕からここまで突き付けられるとは想像もしていなかったのだろう。ナマエさんがボロボロの精神で落ち込んでいるところを高砂子が慰め、僕とナマエさんとを切り離す。

「高砂子克己と館田さんは同じ大学だったようですね。彼の気持ちを知った貴女は、ターゲットを変えた。案の定釣れた彼を利用して、彼に指示をしたのも貴女なんでしょう」
「……ふふ、も〜透クンってば警察遊びは止めてよね? さすがの私だって怒るときは怒るんだからねぇ? ぷんぷんって!」

なんて単純で、単調で、くだらないんだ。軽蔑すらも湧いてこない。どうしてこの女を放置していたのか。もっと早く対処していれば、何か変わっていたのかもしれない。あれだけ、ナマエさんが苦しむことだって無かったはずだ。

「この手紙は貴女が用意しものですね」
「……」

直接、ナマエさんの職場へ届けられた茶封筒を見せる。

「今までナマエさんへ投函された手紙とは異なる人物が送ったのは、既に分かっています。そしてこの字……昨日ホテルで貴女が落とした紙に書かれていた文字と一緒だ。筆跡鑑定をすればすぐわかりますよ」

封筒から紙を取り出し、同時に二枚の写真も手渡した。指先で紙を撫でる。今までの手紙と唯一異なる紙質。これを、昨日僕は触れた。

「彼女が犯人を特定しづらくするために、金塚と高砂子と共にいる写真を盗撮。警察へ行くのを阻止するために脅迫状を送った。大方、ナマエさんの後輩が僕の所へ来たことと……高砂子と落ち合った時の彼の過激な行動に、そろそろ警察へ行かれると焦っての行動だったのでしょうが。……恐ろしい程典型的なミスをしましたね」

女はもはや何も言わない。こちらへと向いていた笑顔も消え失せて、バッグを握る手に力が入っていた。

「……だって、おかしいじゃない……どうして、透クンがあの女を気に掛けるの? ただの銀行員でしょ? 特別可愛いわけでも、愛想がいいわけでもない。口だって悪そうなあんなバカみたいな女の、どこがいいのよ……」

思わず、口を開きそうになる。ナマエさんの何が、この女に分かるというのだろうかと。けれど、ぐっと堪えた。相手の心情を吐き出させなければならない。

「私の方が、美人で、愛想だって良くて、仕事だってバリバリ出来るのよ? 私の方が、絶対にイイ女だし、絶対に透クンのこと愛してる!!」
「……」
「私の方が、絶対に透クンに合ってるのよ! 私の方が……私に合うのは、透クンしかいないの……」

次第に声の張りがなくなり、更に頭が垂れていく。好意を寄せられるのは初めてのことではない。時々、酷く迷惑な形でアピールをしてくる女性もいた。けれど、ここまで自分勝手で、尚且つ人を巻き込む人間は初めてだ。

タイミング良く、手配していたパトカーのサイレンが響く。彼女に付き合う時間はこれまでだ。




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