HAS | ナノ
脱却への道のり

夜、何度も目が覚めた。
金塚さんから教えてもらった日々が、高砂子さんと頭を悩ませた日々が、次々に浮かんでは霧散する。金塚さんは、そりゃ変態で嫌な上司だったけれど、信頼していたんだと改めて思わされた。高砂子さんだって、根は面倒見の良い人で、寄り添って一緒に考えてくれる最高の先輩だった。

信頼できる先輩を二人も失った穴は、思いのほか大きかったらしい。連泊しているホテルのベッドが不思議と居心地が悪い。満足な睡眠をとれないまま、シャワーを浴びてホテルを出た。


今日は、警察から呼び出しを受けていた。
金塚さんと高砂子さん、二人から被害を受けた自分に対して事情を聞きたいと。所謂、事情聴取というやつだろうか。どうやら本部の人たちも呼ばれていたらしくて、事情聴取が終わると、見知ったお偉いさんたちに出会った。

「ミョウジくん……君も来ていたのだね」
「はい」
「良く、眠れたか」
「……はい。この度は多大なるご迷惑をお掛けして、誠に申し訳ございませんでした」

深々と頭を下げると、数人のお偉いさんたちは顔を見合わせて言葉を詰まらせていた。私に対して何と声を掛ければ良いのか分からないのだろう。それとも、大事な人材を失わさせ、会社の失態の中心人物として蔑まれるのだろうか。

昨日の安室さんからの言葉に、どこか気が楽になったはずなのに。また、大きく心が沈んだ。

「ああ、いや……。我々も金塚くんの行き過ぎた言動を見て見ぬふりをしていたからな……」
「君の所の係長からも、支店長からも、ミョウジくんが真摯に仕事へ向き合っていることは耳にした」
「わざわざ、我々のもとへ君のことを告げてきたくらいだ。良い上司を持ったな」
「それに比べて、私たちの監督不行き届きであったことは、認めざるを得ない」

係長……いつも汗ばかりかいて、まるで助けてくれなかったのに。この人たちに言ってくれたんだ……。支店長は、素直に喜んでお礼を言えないところがあるけれど、でも口添えしてくれたんだなぁ。

「中には君が不埒をしていると口に出している者もいるが、気にしないでくれたまえ」
「……はい」
「ミョウジくんの今後に、我々も期待していきたい。心が落ち着いてからでも良いから、また戻ってきてくれ」
「……ありがとうございます……」

不埒。どうせ、この人たちだってそう考えていたんだろうな。なんて、自分らしくもない被害妄想をしてしまう。嫌だ、こんな事考えるような自分ではなかったはずなのに。

小さく息を吐くと、お偉いさんらは顔を見合わせて気まずそうに会社へと戻っていった。後始末が残っているらしい。

「……なんか、嫌だな」

気持ちが沈む。
警察に今までの経緯を話したからなのか。この人たちと話したからなのか。自己嫌悪に陥って、今みたいに被害妄想をして、自分で自分を貶めてしまっている。早く部屋へ籠りたい。でも、あの部屋には戻りたくない。もう暫くホテルに滞在しようか。

「ナマエ!!」

暗い気持ちで署を出たら、太陽みたいな明るい声が耳に届いた。大好きな大好きな、高い声。咄嗟に俯いていた顔を上げると、満面の笑みが近付いてくる。そのまま、細い腕で抱き着かれた。

「ナマエっ! もうっ、凄く凄く心配したんだからっ……! 早く会いに来てよ、ばか!」
「……梓ちゃん……」

ふんわりとした甘い香りが鼻を擽って、不思議と口角が上がった。凄い、梓ちゃんパワー凄すぎる……。

「ごめん。会いたかったなぁ、梓ちゃん」
「私だって会いたかったわよ! 行き倒れてないか冷や冷やしてたし、落ち着いたらたくさんご飯作ってあげようと思ってんだからね!」
「なんとか、生きてた」
「なんとかじゃダメ!」

相変わらず可愛いなぁ。なんで泣いていない私よりも、もう涙目になってるんだろう。本当に、可愛くて、優しくて、大好きな梓ちゃん。途端に心が躍るんだから、もう女神の領域だよね。

「話疲れてない?」
「平気だよ。休み休みだったし……まあ、職場のお偉いさん方と会って心が疲れたかも」
「えっ、変なこと言われてないわよね!?」
「大丈夫。ただの気疲れだから」
「んもう! 今後は絶対に私に相談すること! じゃないと絶交なんだからね!?」

絶交は困るなぁ……。
力なく笑いながらそう告げたら、梓ちゃんは頬を膨らませて「嘘じゃないんだから!」と声を上げた。真剣に、まるで自分のことのように心配してくれる梓ちゃんにお礼を告げる。

巻き込みたくなかっただけなのに。
こうして心配かけてたら世話ないなぁ。

「ね、この後空いてるでしょ?」
「うん。ホテル戻ろうかなって」
「その前にご飯食べましょ! 美味しいもの食べないと、元気でないんだから!」
「……うん、そうだね」

どうやら行く場所は既に決まっているようで、梓ちゃんに手を引かれながら歩き出す。梓ちゃんと外食なんて、大分久しぶりだ。いつもポアロで会っていたし、それ以前にポアロ自体行ってなかったしなぁ。

じわじわと憂鬱さよりも期待が増して、心が明るくなったのに。

「……梓ちゃん、どういうこと」
「え? ご飯だよ?」
「違う。この人いるなんて聞いてないってこと」
「昨日眠れませんでした? 少しお肌が荒れていますね」

事実だとしても腹が立つ!

「安室さんも一緒の方が安心でしょ?」
「いや全然。むしろ不安しかない。嫌悪しかない。梓ちゃんと二人きりだと思ってたのに」
「も〜〜そうやって照れ隠しするんだからっ!」
「可愛いですよねぇ」

喋るな……!!

「美味しいイタリアンあるって、教えてくれたの! 徒歩で来るには遠いし」
「車で待機していただいても結構ですよ」
「酷いなぁ、ナマエさん。せっかくの外食楽しみましょうよ」
「安室さんが居なければ楽しめました」

梓ちゃんと二人きりだと思っていたのに、余計なガングロまで付いてきてしまった。
まあ、ここ来てみたかったからいいか……?

「う〜ん、アマトリチャーナ最高!」

梓ちゃんの幸せそうな顔が見れれば、いっか!

「……何ですか」
「いいえ。楽しそうで、僕も嬉しいなと思いまして」
「じろじろ見ないでくださいよ」
「ふふ、ソース付いていたら取って差し上げますね」
「結構です」

ディナーだとお高いけれど、ランチはお手軽だから来てみたかったんだよね。濃厚なカルボナーラに舌が歓喜している。そういえば、最近食べていたのを思い出すのも大変なくらい、まともに食事摂っていなかったなぁ。

ポアロで食べた煮込みカレーも、美味しかった。安室さんからの差し入れも美味しくて……。あれが無かったら死んでいたかもしれない。まあ、本人には言わないけど。

「ナマエ、仕事はどうするの?」

メインを食べ終えて、デザートを待っている間に、気まずそうに梓ちゃんが聞いてきた。今後を、気にしてくれているのだろう。優しい子。

「一週間はお休み。その後、上層部と面談するところまでは決まっているよ」
「続けて……大丈夫?」

対人の仕事もしている。私のことを知っている企業や民間の人も多くいる。そんな中で、事件の後に続けられるのか。

「……分からない」
「……」
「でも、……今までやってきたことを無駄にはしたくないかなって」
「そっか。行き詰ったら連絡してね? あ、行き詰らなくてもだけど!」
「ありがとう、梓ちゃん」
「当然よ!」

まだ、悩んでいるけれど。金塚さんや高砂子さんから教えてもらったことを、二人と歩んだ職場を離れるのは寂しい。何よりも、口添えしてくれた係長や、助けてくれた千奈ちゃんにも申し訳がないし。……何だかんだ、あの仕事は嫌いじゃないから。

「辞めたら養ってね」
「はいっ!」
「安室さんじゃないです」
「えぇ?」
「いい大人が口尖らせないでください」

なにより、いつまでも逃げていられないから。分かってはいるから……暫くは、気持ちを落ち着かせたい。

まさかのランチを、安室さんが奢ってくれた。いいと何度も断ったのに、「格好つけさせてください」とか言って。以前食事に行った時も奢ってもらったから、申し訳ないのに。


午後からシフトが入っている梓ちゃんをポアロまで送り、そのまま車はホテルへと向かってくれた。楽しく話していた空気が一変して、静かさが戻ってくる。

「ナマエさん、ホテルはいつまで押さえているんですか?」
「明日までなので、延長を希望しようかなとは」
「あの部屋は……」
「さすがに、引っ越しますよ」

職場からも近いし、家賃安いから結構お気に入りだったんだけど。さすがにもう住めないし、住みたくもない。部屋に置き去りにした異物たちは警察の人たちが回収してくれたけれど、やっぱり……気持ちが悪くなってしまう。

「次はセキュリティを意識します」
「そうですね。本当は僕のお隣でもと思ったんですけど」
「一番ありえないです」
「あはは。まあ、おんぼろアパートなのでオススメも出来ないです」

おんぼろアパートなんだ。車は上品なのに、意外。懸命にアルバイトして、一番は車にお金を使うタイプなのかな。……って関係ないか。

「実は、良さげな物件がいくつかありまして」
「はい?」

赤信号で停まった所で、安室さんがどこからか用紙を差し出してきた。大人しく受け取ると、言葉通りの物件が印刷されている。
どれも無理のない家賃なのが内情を知られているようだなぁ。6件もあるし……。

「最低限必要な防犯機能は完備。職場からもそう遠くない場所で、スーパーも近くにあるため住みやすいと思います。どこも知り合いの不動産会社なので、敷金はもう少し交渉できるかと。後、家賃が高い物件に関しては、値段相応なのでオススメです。ペットも買えますよ」

……凄い。けど、なんでここまでこの人がするんだ。私よりも先回りし過ぎてて逆に引くわ。いや、ありがたいけれど。

再び発進した車は、ゆっくりとホテルの駐車場へと入っていく。助手席から降りると、一緒に安室さんまで降りてきた。

「どこまで来るんですか」
「え? お部屋に入るまで見届けますよ。だって、まだ怖いんでしょう?」
「…………」

凄く、腹立たしい。

「人が通るたびによく目線が動く。前のナマエさんなら、全く気にすることがなかったのに」
「……呆けているだけは止めたんですよ」
「そういうことにしておきますね」

一緒にエレベーターへと乗り込む。少し動いただけですぐ止まって、団体さんが入ってきた。酔っ払いのおじさんを支えている青年が、申し訳なさそうな顔をしている。

「?」

ふと、知らない間に、壁の隅に位置していることに気が付いた。人は多いのに、全然苦しくない。こういうところがスマートだよなぁ。

「大丈夫ですか?」
「……おかげさまで」
「良かった」

にっこり笑顔に心がぞわぞわする。
良かった、こういう嫌悪感は変わっていないらしい。

エレベーターを降りて、部屋の前まで辿り着いた。再び安室さんのポケットから紙が手渡される。

「これは?」
「僕の連絡先ですよ。ナマエさんが一向に教えてくださらないので」
「……だからって、こちらも要らないのですが。燃やしていいですか」
「登録してから燃やしてくださいね」

……まあ、登録しておくだけならタダ?

「住居に関しても、僕が仲介しますから連絡してください」
「え? それはさすがに……」
「良いんですよ。それに僕も内見してみないと安心できませんし」

なんで私の住居選びで安室さんの安堵が関係するんだ。

「何なら、二人で住んじゃいます?」
「断固拒否」
「……キレが戻ってきましたね」




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