あなただから知りたい―3
からんころん、
来客を告げる鐘の音は、基本的にどこも同じだ。
時々、やけにやかましい高音が響くが。
「いらっしゃいませ。」
「…………。」
「お待ちしていましたよ、ナマエさん。」
まるで語尾に音符かハートマークかがついていそうな声色。
気持ち悪い。
「どうぞ、こちらへ。」
「どうも。」
安室さんに誘導されて、普段よく座るカウンター席に腰を落ち着かせた。
すぐに彼は珈琲を淹れる準備を始める。
「安室さん、言いたいことは分かっていますね。」
「ええ。」
今日の私は珈琲1杯で穏やかになるほど甘い波じゃない。
こう、心の奥からふつふつと湧きあがってくる思いは何なのか。
殺意とか怒りとか、とりあえず負の感情なのに違いはない。
「なんで来たんですか。」
「ナマエさんに会いに。」
「もはや吐き気モンです。」
「そんな単語出さないでくださいよ。」
普段はにっこり笑顔の安室さんも、今はどこか困った表情だ。
だがその顔をしたいのは私であることを履き違えてもらっては困る。
「本当に、たまたまだったんですよ。」
「たまたま?」
「ええ。」
ほんのりと、鼻を擽るあの芳ばしさが漂ってきた。
「今日は探偵として、依頼主に会っていたんです。
家主である彼と話をしている最中に、奥さんがいらして住宅ローンの話を始めたもので。」
そう、私が窓口でお相手をした方との内容はまさに住宅ローンの話だ。
「いつの間にか、両者の間にちょっと良くない空気が流れてしまって。」
「想像つきます。」
「あはは…。それで依頼主に訊ねられたんです。『いいアドバイザーを知らないか』と。」
まさか、それで私の職場に来たのだろうか。
そしてまさか、端から私に対応させるつもりだったのだろうか。
「で? わざわざ私の職場に?」
「ええ。ナマエさんの職場にはやり手の方がいるでしょう?
本当はそのアドバイザーの方に、お相手願おうと思っていたんですけど。」
どうやら、私が担当したのは予想外だったらしい。
良かった……。本当に私に対応させるつもりだったら今ここで帰ってた。
それにしても、運が悪い。
「あいにく、そのやり手のアドバイザーは先日退職しました。」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。」
まさか紀本目当てだったとは。
確かに紀本の立てるプランは好評で、生涯の付き合いをしたいというお客様は多くいた。
「それは……。」
「あのお客様には悪いことしました。紀本ほどのアドバイザーはうちにいません。」
だから退職すると聞いた時は周囲が総出で止めていた。
とは言え、結婚という素敵な門出を邪魔するわけにもいかない。
渋々退職届を受け取っていた姿は今も良く覚えている。
「でも、良かったですよ。」
「え?」
白いカップに、艶のある珈琲が注がれる。
同時に立つ白い湯気がふんわりと宙で踊ってみせた。
「ナマエさんが担当してくれて安心です。」
「……私、本当は担当外なんですけど。」
「けど、外れることはないのでしょう?」
「一度お相手した方から満足いただけるまでは。」
「僕としては最高のアドバイザーを紹介したと思っていますよ。」
「ああそうですか。」
これが安室さんでなかったら、一職員として喜ばしい言葉なのだけれども。
どこか納得いかずに思わず口から息が零れた。
「どうぞ。」
「どうも。」
目の前に置かれた珈琲を一口含む。
「それはともかく、どうしてどさくさに紛れて口座作ってるんですか。」
「言ったじゃないですか。『今度からあそこ利用しようかな』って。」
「しなくていいわ。」
信じられない。
そんな有言実行は不要だ。
「にしても、1ついいですか?」
「なんですか。」
「帰り際、周囲から視線を感じたんですけど……僕、変なことしました?」
ええしました。安室さんがいるだけで充分変なことです。
「……知りません。」
私はそう思うけれど、実際、安室さんに惹かれていた人の目だろう。
職員のみならず、他のお客様からの視線も獲得していたこの容姿。
性格がこんなのでなければ、私も好意を持ったのかもしれないけれど……。
「ところで梓ちゃんはどこですか。」
「え? 今日はおやすみですよ。」
「え?」
あれ?
おかしい。梓ちゃん、今日入っているはずじゃ。
「急に予定が出来たそうで、僕が代わりに午後から出ているんです。」
「ああ、そうですか……。」
なんてことだ。
「じゃあこれ飲んだら帰りますね。」
「えぇ?」
「なんですか。」
「もっといてくれるものだと。」
気持ち悪い。
なんでこんな甘い声を出しているんだ。
「ほら、お客様が待っていますよ。」
「……。」
視界の隅にちらりちらりと顔をカウンターに向ける女性がいる。
喜んでもらうしかないと、安室さんを行かせる。
途端明るくなった彼女の表情は、大方、安室さんに好意を寄せているのだろう。
「もったいない性格。」
顔はいいのに。
ふと、自分の携帯に連絡が入っているのが分かった。
どうやらメールのようで添付画像がついている。
「千奈ちゃん?」
本来、今日仕事が入っていた千奈ちゃんからのメール。
『今日はごめんなさい。ありがとうございます♪』
という文字が白い背景上に浮かんでいた。
添付画像を開くと、大きな無人のステージが映し出されていた。
どうやら本日行われるライブ会場らしい。
「こんなの送ってこなくたっていいのに。」
それでも、口元が自然と緩む。
『しっかり楽しんでよ?』と、ちょっとだけ上からの言葉を返信した。
思えば、近頃は地元に帰る以外遠出をしたことがなかった。
外に出たとしてもデパートでちょっと服買ったり、ここに来たり程度。
「今度どっか行こうかな……。」
「旅行ですか? どこにしましょうか。」
「…………。」
「?」
いや、……。
「なんで安室さんまで着いてくる前提なんですか。」
「え、ダメですか?」
「当然でしょう。」
「えぇ〜?」
「そんな子供みたいな声出さないでください。」
「いいじゃないですか、偶には。」
「偶にも結構です。」
言葉通り、珈琲だけをもらって席を立った。
安室さんは心底残念そうな顔をしているけど、気付いてほしい。
先程、安室さんに熱い熱い視線を送っていた女性が、
今はまるで般若のような形相で私の背中をキツく睨んでいることに。
こんな状態でポアロにこれ以上いられるだろうか。
いや、いられまい。
「もう来ないでくださいね。」
「いやだなぁ、当然行きますよ!」
「結構です!!」
荒々しく感情のおもむくままに扉を閉めると酷い鐘の音が鳴った。
思わず大きなため息が零れて、体内に蓄積した二酸化炭素を吐き出した。
そのままポアロから遠ざかると、対向から可愛らしい小学生が数人。
和気藹々と楽しそうに話をしている姿を見ると、荒ぶる心が少し落ち着いた。
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