バギン。
外廊下を歩く途中。葉のさざめく音や小鳥のさえずりとは明らかに毛色の違う音が耳に届いて足を止めた。
パキン、ポキ、などといった軽いものとは違う。もっと鈍くて重たい何かが折れた、少々物騒な音だ。
音のした中庭に下りて音源を辿る。庭の真ん中には一人の青年が立ち尽くしており、こちらの足音に気づいたのか振り返った。
「エクラ?」
目映い金色の髪が朝日を受けてきらめく。済んだ水色の瞳もまた同じように瞬いた。
私の姿を認めて数秒、彼の形の良い眉がハの字を描いた。
「……ではないな。すまない。衣裳が似ていたから見間違えてしまった」
「あはは、紛らわしくてごめんなさい。それで、その手に持ってるのってもしかして」
「槍、だったんだが……つい勢いが余って折ってしまった」
「槍が!?うわ、本当だ真っ二つ……」
驚いて手元を覗き込むと、そこにはちょうど真ん中を二分された悲しい元・槍の姿。年季の入った木製であるものの、素人目に見てもしっかりしたつくりに見える。
ささくれだった断面をまじまじとながめて、ふと見上げると彼は目を丸くして私を見下ろしていた。少し馴れ馴れしすぎたかもしれないな、と過去の失敗を思い出して反省しつつ身を引く。
「怪我はありませんか?」
「あ……ああいや、怪我はない」
「本当に?良かった、英雄さんに何かあったら大変だから」
――――
青年は折れた槍の置き場と新しい槍はどこにあるか尋ねてきた。申し訳なさそうにしょぼくれる彼に大きなゴールデンレトリーバーの幻影を重ねつつ、武器庫への案内を引き受けた。
並んで回廊を歩いていると、彼が尋ねてくる。
「エクラと同じような衣裳だが、君は?」
まっとうな疑問だ。けれど自分の正体を素直に伝えれば反応に困らせるに違いない。
仮にも召喚師服に身を包む人間がただの部外者などと、彼が知る由もないのだ。絵倉君の召喚に巻き込まれた異世界の一般人などということは、さらに。
ならばどう伝えるべきか、と少し考える。
「……ファン?」
「ファン?」
「あー、召喚師を応援してる一人です。それで、城の雑事や調べものなんかを少々」
元の世界に帰るための、と内心で言い添える。嘘ではない。
「そうなのか。てっきり召喚師が複数居るのかと思ったが」
「こんな服装だと紛らわしいですよね。私は李依と言います」
「俺は、……ディミトリでいい」
「ディミトリさん。あ、様の方が?」
「いや、ディミトリでいい。気軽に話してくれ」
「なら遠慮なく」
初対面特有のなんだかくすぐったい自己紹介。少し話してみただけでも礼儀正しい真摯な人柄が伝わってくる。
目的地はそう遠くなく、いくつか言葉を交わすうちに到着した。
「あ、着いた。ここが武器庫」
「わざわざすまないな、李依。さて、訓練用の槍が出払っていなければいいが……」
ディミトリが扉を開けるためにリング状の取っ手を掴んだのを見、ふと思い出す。
「あ!武器庫に鍵が掛かってるの忘れてた」
「え?」
バキン。
本日二度目の不穏な音が響きわたった。
――
やってしまった。
手元には折れて二本になった槍が納まっている。
幼少からの体質とも言うべき権能との付き合い方は身についたものと思っていたが、英雄たちの集う異界に少々気持ちが昂ぶっていたらしい。
借り物の槍を壊してしまったことに消沈しつつ、果たして誰に報告をすればいいのか思案を巡らせる。ふと、土を踏む音が近づいてくることに気がついて振り返る。朝日を短く反射する金の装飾に目が眩んで、その衣裳の持ち主として思い当たるエクラの名前を呼ぶ。人違いだということはすぐに分かった。――女性だ。よく見れば服装も違う。
初対面で人違いをしてしまった俺に対しても朗らかに笑った彼女は、俺の手にある折れてしまった槍を見て目を見開いた。
歩き寄ってこちらに近づいて、そこからさらに腰を折り、槍を覗き込む。ぐっと距離が縮まった。
「うわ、本当だ真っ二つ……」
槍に視線を落とす伏せがちな瞼の本数まで数えられそうな距離は未だかつてないもので、つい驚く。
臆さない彼女と対して脳裏に一つの可能性が浮かび上がる。
ここは異界であり、郷土たるフォドラではない。初対面であれば互いの身の上など知る由もないのだ。槍が壊れた理由が老朽化や不整備に依るものではないことなどは、さらに。
彼女にとって自分はファーガス神聖王国の次期王ではなくただのひとりの傭兵でしかない。
――こんな機会は、この先無いのかもしれない。
「すまないが、武器庫への案内を頼めるだろうか」
――
武器庫への案内を快く引き受けた彼女は、城内に詳しいらしい。長くアスクに従事しているのだろうか。エクラと同じ衣裳を着ているということは彼女も同じ役職に就いているということか。
「エクラと同じような衣裳だが、君は?」
尋ねると想定した答えは無く、彼女は「うーん」と首をひねった。よもや複雑な事情かと軽率な質問を謝罪しようと口を開いたとき、返答があった。
「……ファン?」
「ファン?」
「あー、召喚師を応援してる感じ、かな……?」
「そうなのか。てっきり召喚師が複数居るのかと思ったが」
エクラを応援しているという彼女は李依と名乗った。
意図的に姓を伏せて名乗る。疑問を覚えることなく俺の名前を繰り返した李依、そして名乗るべき身分を明かさない不躾に少し後ろめたさを覚えた。
「しかし、それで服まで揃えたのか。すごい熱意だな」
「友達に仕立てて貰って。すごく上手でしょ?」
李依が歩きながら両腕を広げてくるりと回った。幅のある袖と長い裾が広がり、純白の布地も相俟って鳥の翼を思わせる。袖余りもなく、彼女のために丁寧に仕立てられている事が伝わってきた。
「ああ。似合っている」
「直接言われると照れるね……ありがとう」
はにかんで伝えられたありがとうは、今まで受け取ってきたどの謝辞より気兼ねないものだ。先程の後ろめたさはどこかへ吹き飛び、すでに気心知れたと錯覚するやりとりに心が沸き立つ。彼女の持つ堅苦しくない、親しみやすい雰囲気がそうさせているようだった。
そんな俺の内心をつゆほども知らない李依はふと足を止める。
「あ、着いた。ここが武器庫」
「わざわざすまないな、李依。さて、訓練用の槍が出払っていなければいいが……」
輪状の持ち手に手をかけ、引く。「あ!」隣に居た李依が唐突に叫んだ。驚いて掴む手に少し力が篭もる。
「武器庫に鍵が掛かってるの忘れてた」
「え?」
それを聞いたのは、既に扉をこじ開けてしまってからだった。