友人の条件





食堂で李依と話していると、視界の隅で屈強な巨躯を捉えた。熊を思わせるその姿は食堂の賑わいの中でもよく目立った。欠かさず隣にいた存在を思い出さなかった日はない。さほど日数は空いていないはずなのに、その名を口にするのはひどく久しぶりな気がした。

「ドゥドゥー!」

彼は俺の声を聞き付けると、真っ直ぐこちらへ向かってくる。

「殿下!殿下もこちらにいらしていたのですね」
「ああ、十日ほど前に。お前は」
「おれはつい昨日です。……そちらは」

ドゥドゥーの視線が、俺の正面に座る李依に映る。 

「李依だ。この世界について色々と教わっている」

李依はぺこりと会釈をするとドゥドゥーと俺を交互に見、俺を見つめて「殿下」と零した。

この時が来てしまった。
身分差の無い交友関係に憧れるあまりに身分を隠して騙すような真似をしてしまった俺を、彼女は軽蔑するだろうか。それとも近づき難いと距離を取るだろうか――想像すると、身が裂かれるような心持ちがした。
李依は「ああ」と納得の声を上げた。……納得?

「もしかしてディミトリ…殿下の従者の方?」
「……ああ。おれは殿下にお仕えしている」
「そっか。それなら一緒にいる方が安心だね」
「おまえは?」
「さっきの紹介のとおり……というかむしろ、私の方が話に付き合ってもらってて」

会話は平然と続けられている。俺が王子であることを前提として、だ。

「少し待ってくれ李依……一つ聞きたいんだが、その、俺の身分について」
「うん?王子なんだよね」

何を今更、と言ったふうな口振りだ。

「驚いていないように見えるが……いつから気づいていたんだ?」
「身分が高いんだろうなっていうのは、最初から。この城に喚ばれるのは身分の高い人ばかりだし……。ディミトリ殿下は立ち振る舞いから結構わかりやすい方じゃないかな?」

タクミくんに比べればだけど、と言い添えて彼女は笑う。タクミというのは彼女との会話で時折聞く名だ。恐らくその彼も王族に連なる身分の人間なのだろう。身分を知った上でなお「タクミくん」と親しく呼び慕い、接している。俺の身分を察した上で、友人として接していたように。
――最初から知っていたんだ、彼女は。
顔を片手で覆う。必死に身分を隠そうとしていた自分がどうしようもなく滑稽だったことに気がついて、笑いが漏れる。

「で、殿下?」
「何かまずかった…?」
「いや、敵わないな。李依には」

漏れる笑いが止められずにいると、ドゥドゥーと李依は顔を見合わせ、同時に首を傾げる。

「李依、こんなところにいた」

不意の声掛けに、ぴしりと李依の体が緊張した。それも一瞬のことで、すぐに笑みを作って振り返る。

「タクミくん、こんにちは」

彼が“タクミくん”。李依の話によれば、彼もまた異界の王族だということだ。タクミ王子はため息まじりに腕を組んだ。

「こんにちは、ね。朝稽古の見学には来なかったけどどうしたんだ?」
「寝坊しちゃって」
「ふうん……まあいいや。そっちは?」
「そうだ、タクミくん。彼だよ、一日で槍と扉の取っ手どっちも壊しちゃった人」

話の矛先がこちらに向いて、しかもその内容が不甲斐ないものだったから苦笑いする。タクミ王子の信じがたいものを見るような眼差が、俺のつま先から天辺まで往復した。

「お話はかねがね伺っております。ファーガス神聖王国第一王子、ディミトリ・アレクサンドル・ブレーダッドと申します。こちらは従者のドゥドゥー」
「名乗りが遅れてすまない。白夜国が第二王子、タクミだ。従者は今は離れている。
……聞いていた話だともっと筋肉達磨みたいな奴かと思ってたけど、本当なのか?」
「本当だよ。槍も取っ手もしっかりした作りに見えたけど、もうポッキリ」
「……殿下、そのような事が。お怪我はありませんでしたか」
「ああ、怪我は問題ない。むしろ借り物の武具と宿先の設備を壊してしまった方が問題なんだが……アルフォンス王子とアンナ隊長には謝罪して了解を得ている」

李依が目を丸くしてタクミ王子の腕をつついた。

「すごい。殿下だって、タクミくん。王子様だね」
「僕の肩書きも思い出してくれると嬉しいんだけど?」
「タクミおうじー」
「その敬意のなさにはびっくりするよ」

俺と話しているときよりも幾分砕けた様子の李依とそれに応じるタクミ王子のやりとりは二人の付き合いの長さと親しさを感じさせた。最初に見せた緊張が嘘かと思うほどだ。

「二人は随分仲が良いんだな」
「まあね、李依は特別だから」
「タクミくんねえ…!」
「そうか。気のおけない関係というのは羨ましいよ。俺もそんな関係を持てるだろうか」
「……殿下。今のはそういった意味合いではないかと」
「?そういった意味合いというのは」
「殿下っ!私からしたら、殿下とドゥドゥーも特別で素敵な関係に見えます!」
「そ、そうだろうか?ありがとう。それと、今まで身分を隠しておいて虫のいい話かもしれないが……殿下なんて余所余所しい呼び方はやめてくれ。今まで通り、ディミトリで構わない」
「私は構わないけど…ドゥドゥーはそれでいい?主が呼び捨てにされてたら嫌じゃない?」
「……。ここは、フォドラではない。殿下がいいと仰るなら……俺は構わない」
「分かった。今まで通りにするね」
「……李依」
「タクミくんは勝手に外堀を埋めようとしない」

不満げなタクミ王子と半眼になる李依。だが険悪さはなく、親しいからこその無遠慮だということは見て取れた。
ああ、やはりいいな。ドゥドゥーが不思議そうに俺を呼んだ。

「いや、タクミ王子のことを話す李依はとても楽しそうだったからな。きっと互いを大切に思っているんだろう」

率直な感想だった。李依の話しぶりからタクミ王子を親しくも尊敬しているのは明らかで、タクミ王子は李依が特別だという。
俺の言葉を聞いた李依が、バッとこちらに顔を向けた。瞳はこぼれ落ちそうなほど見開いている。

「ディミトリ、余計なこと言わないの……!」

それは忖度も萎縮もない、友人の心からの非難だった。
……なるほど、ドゥドゥーが言っていた意味合いにも合点がいった気がするよ。






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