世界が変わった2分前






元の世界への帰る方法に、具体的な希望が見えた。
英雄たちがアスクでの記憶を失わずに済む術がある。
今までの悩みが急速に解消された気分で、つい自然に顔がほころんでしまう。タクミくんがそんな私を微笑ましいものを見る目で見るものだから、お互いニコニコと笑い合う。

……何か大事なことを忘れている、ような。


──好きだよ
──僕と白夜に来ないか
──帰りたくないって思わせるくらい、幸せにしてみせるから


理解できずに流していた言葉が脳裏に再生されて、瞬間、笑みが固まる。
これって、まさか、告白。……告白?

「……」
「李依?」
「ス、ストップ!」
「すとっぷ?」
「止まって!」

近づいて来たタクミくんを手を伸ばして牽制する。彼は怪訝な顔をして首を傾げた。
ぐるぐるとパニックになる頭の中は表情にも表れていたらしい。

「……もしかして、今更照れてるの?」
「こ、混乱してるの」
「何が違うんだよ」

笑った声と表情は慈しみを含んで、今まで見てきたどの笑みよりも柔らかい。
理解に感情が追い付いてきて、血の流れが逆流しているような、頭がくらくらして足元がふわふわしてくるような、そんな羞恥心が伴った緊張の中では平衡感覚を保つのがやっとだった。
何か言葉を繋がなければ。このまま彼に話の主導権を握らせてはいけない。

「タクミくん、正気?」
「気が心配なのは李依の方なんだけど」
「呪いとか掛けられてない?」
「呪い掛けられてたのは李依だろ」
「それはそうなんだけどそうじゃなくて」
「僕の言ったこと、信じられない?」
「にわかには……」

彼とは住む世界が違うのだから。
彼はきっと元の世界の誰かと結婚するのだから。
お互い、いずれそれぞれの世界に帰るのだから。

だから心のどこかで高を括っていた。あり得るはずがないと、思考すらしなかった。異世界の英雄に好かれるなんて。

「なら、何度でも言ってあげる。僕は君が好きだよ」
「わ、分かったから!伝わったから!それ以上はいい……!」
「もっと恥ずかしいこと、李依は僕に言ってきたのに?」
「え!?い、言ってない!」
「かっこいいとかすごいとか……散々言っただろ。今更“好き”ぐらいで照れるの?」
「それは単純にそう思ったからで……そもそも“好き”の方が恥ずかしいでしょ……!」

こんなことになるなんて。迂闊だった。
一体いつから距離感を間違えていたのだろう。振り返りさかのぼればそれはきっと、アスクに召喚された矢先に敵兵に襲われたあの瞬間。
助けられてはいけなかったのだ。
振り返ってはいけなかったのだ。
称賛してはいけなかったのだ。
相手が違ったならそれらは何も引き起こさなかったのだろう。けれどそうはならなかった。相手が劣等感と共に育ってきた、タクミくんだったために。

「李依が深く考えずに僕を褒めてたのは知ってるよ。率直な言葉だったから僕も素直に受け止められたし」
「……」
「今度からはちゃんと“そういう意味”で言ってもらえるようにするさ。……それとも、僕のことは嫌い?」

ずるい。そんな聞き方は卑怯だ。
どこからも逃がせずに雪だるま式に膨れ上がっていく恥ずかしさに追い詰められて、口は素直に開いた。

「嫌いなわけ、ない」
「じゃあ、好き?」
「それは……命の恩人だし」
「命の恩人、ね」

不服そうに唇をへの字に曲げた彼は見慣れた拗ね顔で、少しだけほっとする。同時に少し余裕が生まれた。息を整える。

「あのさ、やっぱり何か間違ってない?」
「はあ?」
「タクミくんのことはすごく尊敬してるし、感謝してるし、た……大切だと、思うけど。そこまで好かれる事をした覚えは無いし……」
「好きになった説明が必要なら、一から説明する?」
「だめです無理です耐えられない」
「李依が信じられないのは僕の気持ち?それとも、李依自身の価値?」

タクミくんの真っ直ぐな言葉に詰まる。核心を突かれたような気がした。答えられない私を置いて、彼は続ける。

「やっぱり僕たちは似てるかもね。まあ、李依の気持ちがどっちにしろ」
「……どっちにしろ?」

続く言葉を、恐る恐る待つ。それが間違いだった。

「逃がさないから、覚悟しなよ」