久しぶり




タクミくんの背中を見送って数十秒。どっと疲れが出て、正座の姿勢のままベッドに倒れる。
そのまましばらくぼんやりしていると、控え目なノックの音がした。
起き上がって声を上げる。

「どうぞー」
「李依!」

入ってきたのは元気な声と小柄な人影。誰かを視認する前に、それは私に向かって飛び込んできた。
勢いに押されて、ベッドへ仰向けに倒れる。

「ぎゃ」
「えへへ、李依だ!」

飛び込んできた“誰か”は私の胸から顔をあげる。太陽のような笑顔を持つ少年だった。タクミくんから譲り受けた、白に近い灰色の髪。

「キサラギくん……?」

夢でも見ているのだろうか。
驚いて、押し倒されたまま呆ける。人のお腹の上でキサラギくんは溢れんばかりの笑顔を振り撒いていて、大型犬も顔負けの懐きっぷりは久々だ。
遅れてアルフォンスが入ってくる。ノックをしてくれたのはこっちだろう。

「ええと、大丈夫かい?」
「アルフォンス」

とりあえずこの状況をどうにかして欲しい。





────


元の世界では夜中だったらしい。
ひとしきりはしゃいだあと、私の膝を枕にすやすやと眠るキサラギくんは羨ましいほどに純朴だった。

「李依、体は大丈夫かい?」
「うん、もうすっかり。お騒がせしました」
「……良かった」

アルフォンスは安堵して微笑む。
一息ついたところで、いくつか疑問が浮かぶ。
どうしてキサラギくんを連れてきたのか。
どうしてキサラギくんが私を覚えているのか。

「アルフォンスがキサラギくんを連れてきてくれたの?」
「ああ」
「英雄たちは、元の世界に帰ったらアスクでの事は忘れるんじゃなかった?もしかして帰ってなかったとか……」
「いや、彼は一度彼の世界に帰ったよ」

アルフォンスはベッド脇の木椅子に座る。長い話になるらしかった。

「英雄達が元の世界に帰る方法は二つあるんだ。
ひとつは、エクラの神器の力で“送還”する方法。普段はこの方法に頼っている。
もうひとつは……僕たちアスクの王族が持つ扉を開く力で、英雄が元居た世界に繋いで帰す方法。」





──




「世界を繋ぐ扉は無数にあって……アスクが扉を開く力、エンブラが扉を閉じる力を持っているのは知っているだろう?」

頷く。エンブラが世界に繋がる扉を閉じる事を辞めて、繋がれた先の世界達を乗っ取ってしまった。そのままアスクに侵攻を始めたから、アルフォンス達は召喚師の力を借りることを決めたのだ。

「エンブラが異界の扉を閉じる役目を放棄してから、原則として新たに扉を開く事は禁じられたんだ。扉を開かなければエンブラに侵攻されることもないからね。
直接世界に英雄を還す“送還”は記憶を失うけれど、代わりに扉を開く必要がない」
「キサラギくんが私のことを覚えてるってことは……つまり」
「ああ。僕が扉を開いて、元の世界に還した」
「でも、禁止されてるんだよね。どうしてわざわざ」

アルフォンスは規律正しく、真面目な人だ。禁止されている方法をわざわざ選ぶのには何か理由があるのだろう。

「……送還するためにエクラのもとに向かっているとき、彼が……キサラギが話してくれたんだ。
普段は会えない父親に会えたこと、優しくしてくれた君のこと、最後にとても嬉しい思い出ができたこと……」

アルフォンスは瞼を伏せる。いけないとわかっていつつも、そうしてしまった懺悔をするように。

「……君たちのことを、忘れさせたくないと思ってしまった」

ハッとする。確かにアルフォンスは真面目な人だ。
でもそれ以上に──優しい人だったのだ。

「本当はここはもう連れてくるつもりはなかった。でも君がエンブラに連れ去られた時から……ずっと後悔していたんだ。
もしかしたら僕が、いずれ英雄たちの記憶が無くなる事を説明したせいで君を傷つけてしまったんじゃないかって……それで帰る方法を探しに、エンブラへ行ったんじゃないかって」

そこまで行動を見透かされているとは思わず、ぎくりとする。とても恩知らずな行動をしてしまったような罪悪感。
アルフォンスは続けた。

「君は知っていたんだね。召喚師を還す術が、アスクとエンブラで二分されていることを」
「えっ」
「えっ?」

初耳である。

「……いや、知らないけど……続けて?」
「え、ああ、うん……。 神代とも呼ばれるほど遥か昔。その時代から、アスクとエンブラは異界を繋ぐ扉の管理国として手を取り合っていた。
そしてその時代に召喚された召喚師は、今のエクラと同じように絶大な力を使って数多の世界を平和に導いたそうだよ。
大いなる救世主。アスクとエンブラに留まらず、あらゆる民たちから支持されていたと記されている」

召喚師が大いなる救世主と呼ばれるのは、歴代の召喚師も世界を救う偉業を成したかららしい。
アルフォンスの顔が曇る。

「そしてその絶対の力を失うことを恐れたかつてのエンブラとアスクは、召喚師が元の世界へ還る術を二分して、それぞれの国に秘匿したと言われている。
召喚師が自身の意思では還れないように。
しかしもし召喚師が二国に逆らうようなことがあれば、その時は強制的に還せるように。」
「……」
「どこまでが本当かは分からない。けれど、召喚師を元の世界へ還す術が失われているのは確かだ」

アルフォンスは、書庫の隠し部屋のことを知っているのだろうか。
訊ねてみたかったけれど、不用意に教えてしまうのは取り返しのつかないことのような気がした。もし知らなかったなら、あの隠し部屋の魔道書は私の手の届かないところへ保管されてしまうかもしれない。

「僕たちは……今も昔も、僕たちのエゴで召喚師に頼ってしまっている。
今回君が無事に戻ってきてくれたから良かったけれど、もしなにかあったらと思うと……本当にすまない……!」
「い、いいよ、こうして無事に帰ってこれたんだから。ね?
王子が一般人に何度も謝ったら駄目だよ」

そこに膝の上のキサラギくんがむにゃむにゃと「ちちうえー……」と呟いて、寝ぼけながら幸せそうに笑った。
私を慕ってくれるキサラギくん。私たちを忘れないでいてくれた。
可愛くて、つい頭を撫でてしまう。彼にまた会えたのもアルフォンスのおかげだ。油断すると泣いてしまいそうで、それを振り払って思いきり笑う。

「むしろ今はお礼を言いたい気分だよ。
またキサラギくんに会えてすごく嬉しい。 ありがとう、アルフォンス」
「李依……」
「返事は?」
「あ、ああ……どう、いたしまして」
「よろしい」