運命は迎えに来た




自室に戻ってベッドに倒れ込む。あの魔道書について、とりとめのない考え事がぐるぐると回っていた。

書庫の隠し部屋。切り取られた頁。未完成の円。流れ込んできた情報量の多さはキャパシティを超えている。
確かにもとの世界への帰り方を探していた。そしてなんの手がかりもない荒唐無稽な状況から一転、それは突然現実味を帯びる。そして同時に浮上する問題。
──魔法陣の右半分、切り取られた頁はどこにあるのか。
何のために頁を切り取ったのか、もしかしたらもう処分されているのでは、何故隠し部屋なんて作ったのか……。

帰り方は近づいたようで遠ざかる。
残念なような、ホッとしたような複雑な胸中を抱えながら寝返りをうつ。まぶたを閉じてみたけれど、眠れる気は到底しなかった。



──





結局、寝付けたのは朝方になってからだった。当然起きるのもそのぶん遅くなり、目が覚めたのは昼過ぎ。
寝起きのぼんやりとした頭に真っ先に浮かんだのは「結局、今日もタクミくんの鍛練を観に行かなかったな」だった。
昨日は隠し部屋に行ってそのまま、今日は寝坊。二日間の無断欠勤だ。

毎日押し掛けてきた女がいきなり不機嫌になって、その後ぱったり顔を見せなくなったら……タクミくんはどう思うだろう。
めんどくさいやつとか、意味のわからないやつだと思われてるかもしれない。……嫌だなあ。





──


とにかく当面の果たすべき目標は定まった。
帰還するための魔法陣の片割れが描かれている、切り取られた頁を捜すこと。

そうと決まれば捜索だが、どこから探そう。
書庫の一冊一冊を探すのは途方ない。書庫に隠し部屋まで作っておいて、その片割れが書庫内の書籍になんの仕掛けもなく紛れているものだろうか……などと言い訳をして、一冊ずつ地道に調べて回る事から逃避する。だって果てしなさすぎる。
まずは、聴き込みをしよう。






──


帳簿と睨めっこしていたアンナさんは、私の提案に振り向いてぱちぱちと瞬きをした。

「……え?召喚師を召喚した場所に行きたい?」
「はい。何か帰る手がかりが得られるかなと。だめですか?」
「もちろん構わないけれど、いきなりどうしたの?」
「いきなりじゃないですよ!私、ずっと帰り方探してるじゃないですか」
「そ、そうね……分かったわ。それじゃあブレイザブリクを捧げた間に行きましょうか。でもちょっと待って!この帳簿合わせが終わってから……夕刻……いいえ、明日でお願い!」



──



「お、李依だ。……え?ブレイザブリクに説明書が付いて無かったかって?いや、無いけど……」



──



「おい、頼むから俺を見つけた途端に突進してくるな!」


──



「やあ李依。さっきロンクーがすごい勢いで逃げて……って、召喚師を召喚する儀式について何か分かったかって?
……すまない、何か分かったら報せるようにするよ」



──



「あ、李依だー!さっきロンクーが走っていったけど、鬼ごっこ?ノノもやるー!」




──



アンナさん、絵倉くん、ロンクーさん、ルフレ、ノノ……訊いて回ってみたが、一先ず成果は無い。明日はゼロさんを訊ねてみよう。
自室に続く角を曲がって──ぎょっとする。
私の部屋の前に、タクミくんがいた。



──




とっさに踵を返して、元来た道を引き返す。
足音や気配でばれているだろうか?心臓がうるさい。
もう何日も会っていない。会う約束をしていたわけでもないが、最後に話した内容が内容なだけに気まずい。最近は近すぎたり突き放したりと、彼との距離感を見誤っている気がしてどう接すればいいのかわからない。
わざわざタクミくんが私の部屋を尋ねてくるというのも、ただならぬ事態を感じさせた。そこまでの事をやらかしたつもりはないけれど、もし怒りに来たのだったらどうしよう。

無意識のうちに足はいつもの弓道場へ向かっていた。……ここはタクミくんの行動範囲だ。駄目だ、もっと別の場所に行かないと。






──



辿り着いたのは英雄召喚の間だった。
広い石床の広間。野晒しと言ってしまうと風情がないが、不思議と雨が降ったことも土埃が被っていることも無い。
今は陽が落ちて、薄暗い中に石碑がぼんやりと浮かんでいる。嵌め込まれた宝石がきらめいた。

どうせ来たのなら探索していこう。
石碑に近づいたところで、何かが足下に舞い落ちる。黒い羽。見上げると、上空からカラスが石碑上に着地するところだった。
神聖さを感じるこの場所に不釣り合いな気がして違和感を覚える。エサも無いだろうに。

「あらん。あなたが李依ね?」

──カラスが、喋った。

「噂は聞いているわよお。召喚師と同時に召喚された人間」
「……アスクって……喋るカラスがいるんだ……」
「聞いてる?しょうがないわねぇ」

瞬きの間に、カラスは消えていた。代わりに──と言うにはあまりに違いすぎる──とんでもない美女が、石碑に座っていた。

「驚いて動けないのね?可愛いわねえ、食べちゃいたい」
「え、…えっと……」
「ふふ、あなたはあの召喚師のように分析しないのねえ」

言われて、自分の唯一のスキルを思い出した。美女をじっと見つめる。
……ロキ、炎の王国ムスペルの軍師、悪戯好き……。

「ふふ、そんなに見つめられたら焦げちゃいそう」

身をよじるとたわわに揺れる胸。このいちいち含みのある会話、何かデジャヴを感じる。……ゼロさんだ。

「ええと、ロキさん。他国の軍師さんがどうしてここに?絵倉くんに会いに来たなら呼びますけど」
「召喚師と同じく強さが見えるって言うのは本当なのねえ……。
今日は“あなたに”会いたいって人が居るから連れてきたのよん。ねぇ?ヴェロニカ皇女?」
「……?」

ロキさんが振り返る。いつの間にかもう一人、少女が立っていた。
見つめる。名前は……ヴェロニカ。エンブラ帝国の皇女……英雄たちを使い、アスクに侵攻する……。……え?
冷や汗が流れた。アスクの敵国であるエンブラ。その皇女が何故ここに?

「あなたが、李依?」
「……そう、だけど」
「良かったわねえ、ヴェロニカ皇女。期待通りこの子が召喚師と同じ能力を持っていて」
「……」

なんなんだ、何が起きている。
ヴェロニカ皇女と目が合った。年齢にそぐわないアンニュイな表情。不機嫌ともとれるネガティブな視線。
ヴェロニカ皇女が私に向かって両腕を伸ばす。

「異界をしはいしても、いつもあのエクラにかいほうされてしまう。ならあなたをつかうわ」
「……そう言われておとなしくついていくと思う?」

なるほど、この“目”が目当てか。
平常を装いながら、一歩下がる。召喚の間には絵倉くんが召喚を行うとき以外誰も入らない。声を張り上げても誰の耳にも届かないだろう。どうしよう、どうすれば、

「おいで。李依」

包容を求めるように伸ばされた小さな両手。思わず見入った。動けなくなる。
この子は、何て悲しい、いびつな笑い方をするのだろう。