降って湧いた現実



いつもなら真っ直ぐ弓道場に向かっていく朝。けれど、今日は足が重い。
理由は単純。昨日、喧嘩腰でタクミくんに吹っ掛けてしまった自己嫌悪だ。
タクミくんの抱えている劣等感を前に、自分の方が辛いとわめき散らしてしまった。あのあと当たり障り無い会話ができたとはいえ、別れたあとに「なんなんだあいつ」と思われていたりして……。
深く、長くため息を吐く。最近はネガティブになる事が多い。いや、アスクに来てからがポジティブ過ぎたのだ。元の世界では、私はここまで日常を謳歌していない。何かに追われ、誰かに合わせ、何も掴めない流されるだけの日々。
そう、こちらに来てずっと朗らかに過ごしていた日々が特殊なのだ。

コツ、と自分のものではない足音がひとつ。顔を上げると、ゼロさんが立っていた。
汚い部分も腹を割って話したからだろうか。彼への敵対心は既にない。

「ゼロさん?おはようございます」
「お前が知りたがってた情報を持ってきた」
「へ」
「書庫二階の、二〇五番の棚に行ってみろ」
「書庫?どうして」
「どうするかはお前次第だ」

ゼロさんはそれだけ言うと私の横を通りすぎていく。私の知りたい情報?当人だが皆目見当がつかない。
書庫の二階、二〇五番の棚。そこに一体何があるというのだろう。








──────







いつもと変わらない筈なのにやけに静かに感じる書庫。ただでさえ利用者の少ない書庫は朝ということもあって誰も居らず、明るい陽光と静謐な静けさとが相俟って緊張感を覚えた。
目的の棚を、取り付けられた金板に彫られた番号を確認しながら歩く。

「……ここだ」

そこは持ち出し禁止書籍が並ぶ一角だった。古めかしく、不気味な雰囲気に気圧されながら足を踏み入れる。立ち並ぶ背表紙の一冊一冊に監視されているような居心地の悪さ。そうして棚の間、突き当たりの壁まで辿り着く。

……特に気になるところはない。けれどゼロさんがわざわざ伝えに来た情報だ。何かあるはず。この二〇五番の棚のどこかの本に“私の知りたい情報”が。

「……」

とはいえ、ひとつの棚にも相当数の本がある。しかも持ち出し禁止。探すのは骨が折れるだろう。ゼロさんも本の名前くらい教えてくれたらいいのに。
これからするべき行動量を思い、溜め息をつきながら突き当たりの壁に寄り掛かる。
カチリと壁の内部で小さな音がした。疑問を浮かべる隙もなく、壁が、動いた。




──



体重を預けていた壁が“動いた”。重心を失ってそのまま倒れる浮遊感の次に襲ってきたのは、床に叩きつけられた衝撃と痛みだった。

「いっ……たぁ……!」

理解が及ばず、目を白黒させて起き上がる。倒れこんだ先は壁の向こう側。
壁が消えてしまった。……のではない。壁の一部が四角く切り取られ、蝶番で繋がって外開きになっていた。私が寄り掛かった事で扉の役割を持つ壁が開いたらしい。露骨なまでの隠し部屋。
扉として目立つ切れ目は、普段は本棚によって隠されていたようだ。

四角い光が延びて暗い部屋の中を照らす。





──────







開いた先は、狭い小部屋になっていた。明かりはない。暗がりの中で木製のテーブルと、その上に置かれた一冊の本だけが鎮座している。

おそるおそる立ち入って、その本を開いてみる。紙はあまりに古くパリパリに乾いていて、少しでも雑に扱えば崩れてしまいそうだった。
ルフレから習った言葉や文法の面影がありつつも、形は微妙に違う。古代文字とでもいうのだろうか。
頁を捲っていく。文字、なぞの魔法陣、文字、魔法陣……。途中で頁を捲る手が止まる。そこにはブレイザブリクが描かれていた。

もうひとつ頁を捲る。
台座に置かれたブレイザブリクと、天から一人の人間が降りてくる絵。
天から降り立つ人間の服装は、絵倉くんの召喚師服を彷彿とさせた。絵の横には複雑な魔法陣が描かれている。
文字が読めなくても分かる。これは召喚師を喚ぶ儀式に間違いない。

ゼロさんが書籍名ではなく、大雑把に棚番号を指定したのは隠し部屋とこの古書の存在を指していたに違いなかった。
ゼロさんの言葉がよみがえる。"お前が知りたがってた情報を持ってきた"。
この頁に載っているのは召喚師を呼び出す方法。
なら──それなら、この次の頁は。




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次の頁を捲る。
その頁は本来、見開きで魔法陣が描かれていたのだろう。
しかし右片方の頁は丁寧に切り取られていて、左右に跨がって描かれていたであろう魔法陣は左半円の不完全な状態だった。

その魔法陣は、他に描かれていたどの魔法陣よりも複雑なものであることが半分の頁だけでも分かる。きっとこれが一番重要な魔法陣だ。

手元の半円を見つめる。
都合の良い推測だった。そして直感だった。
この魔法陣が完成されたときが、私の帰るとき。