終戦、和解?





「へっくしょん! はあ、また風邪引かなきゃいいけど……」

着替え終わって、ため息を吐く。さっきのゼロさんとのやりとりのせいだ。
一部の人からは私をタクミくんに媚びを売る女として見られていたという事実、そして腹が立った意趣返しで人を貶めてしまった自己嫌悪。鬱々とした気分が胃の辺りで重たく渦を巻く。

「はあ……」

しばらく本を見つめていたが、勉強する気分になれない。こんなときは弓道場でぼんやりするに限る。この時間だともうタクミくんはいないだろうけれど、好都合だ。
日本に似た雰囲気のあの場所は心が落ち着く。……それもやはり、ゼロさんが言ったように私がタクミくんを利用している副産物なのだろうか。





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アスク城内は広い。ゼロさんにはもう会わないようにしよう。
会うとしても、第三者を交えて二人きりにならないように。そうじゃないとまたどんな言葉を言われるか分からない。
そう決心して、廊下に続くドアを開いた。そして後ろ手に閉める。

「よお」
「いやぁああああああ!!?」

無駄にねっとりとした良い声が隣から。聞き覚えのあるというか一度聞いたら忘れないというか今まさに会いたくないと考えていた人間の声だ。
跳ねるように距離をとって睨み付ける。壁に凭れて腕を組んでいたのはゼロさんだった。

「イイ叫び声だな」
「なんで居るんですか!?ここ私の部屋!」
「知ってるに決まってるだろう。シーフをなんだと思ってる?その気になれば夜這いだって……」
「いい、いいです。聞きたくないです。なんで居るんですか」
「簡単に言えば、お前を虐めたくなった」
「訊かなきゃ良かった。もうなんなんですか……私の事が嫌いなのは分かったから係わらなきゃいいじゃないですか」
「それと、レオン様を侮辱する言葉は取り消してもらおう」

どうやら本命はそれのようだった。声の真剣さが違う。

「……謝りませんよ。最初に喧嘩を売ってきたのはそっちだ」
「ふぅん……。やっぱりイキがイイな」
「その意味深長な言い方なんとかなりません?」

会うまいと決めた矢先に向こうから会いに来た。……彼の真意が読めない。
たぶん、というかほぼ間違いなく彼は私の事が好きではない。苦労を知らなそうだと蔑まれた言葉がよみがえる。

「……貴方、さっき私の事苦労してなさそうって言ってましたよね」
「ああ。怒ったか?」
「異論はありますが、否定はしませんよ。少なくとも物には困らない世界でしたから。
貴方こそどんな苦労したらそんな性格になるんですか」
「へえ、気になるのか」
「人の事あれだけ言うんだから、さぞ大変な人生を送ってきているんでしょう?」

いけない、また好戦的な言い方になってる。
頭を振って気持ちを振り払う。

「イイぜ。その小さくて狭い穴に、俺のをたっぷりイれてやるよ」
「耳ね。耳の事ね」
「……俺は物心ついた時から貧民街にいた。父は産まれる前に消えて、母親も物心つくまえに行方知れず。
そんなだから生きるためになんでもやった。生きるためなら誰の言うことも聞いた。が、最後には仲間に裏切られて囮として差し出された。
……差し出された先でレオン様と出会うまでは、それはひどい生活だったな」
「……」

あまりにさらりと言われてしまって、反応に困る。
とんでもない過去だ。簡略された説明の中にはおぞましいエピソードがいくつも隠されているのだろう。

「……なるほど。貴方がひねくれた理由はなんとなく分かりました。苦労してなさそうな人が気に入らない理由も、レオンという人を悪く言われたくない理由も」

生きるか死ぬかというレベルの話に、物に恵まれ、衣食住に困ったことのない私みたいな人間の苦労は苦労のうちに入らないだろう。
泥を啜るような人生を送った彼が、のうのうと生きてきた人間を好かないのは不思議じゃない。
だからと言ってからかわれるのは不服だが。

「とりあえず、そのレオンって人に対しての言葉は訂正しておきます。こんな暴れ馬、躾けられるわけない」
「ほう……?案外素直だな」
「勘違いしないで欲しいんですが貴方の言葉に従った訳じゃなくて、事情を知って見方が変わったってだけですからね」
「俺も変わったぜ……お前の見方が。お前もひねくれている。タクミ王子とは随分態度が違うんだな」
「いや…私だって、最初から悪意剥き出しの人に友好的に話そうとはしませんよ」
「俺の……剥き出しのコレに警戒してたのか」
「なんでそこ言い直した?」
「どっちが本当のお前だ?」
「えぇー……」

二重人格のような言い方をされてしまったが、ゼロさんへのアタリが強くなるのは彼の突っ込みどころ満載の口ぶりのせいであって、私の性格に二面性があるからではない。と、思う。

「あなたこそ、きっとそのレオンさんへの態度と私みたいな人間への態度は同じじゃないでしょう?
どっちが素っていうよりも、どっちも素、っていうか」

確かにタクミくんの前だと明るく振る舞う自分がいる。元の世界ではもう少し大人しく過ごしていた。けれど今の自分が百パーセント演技かと問われるとノーだ。
自然とタクミくんの前では素直に誉め言葉が出てくるし、反応が楽しいから、ちょっと強めにからかいたくなってしまう。きっとそれだって素の自分。

アスクに召喚されてから、素直に喜んだり、心から感動したり、裏表無く誰かと交流する機会が増えた。……交流の範囲が狭いから、大体の出来事はタクミくん由来だけど。
褪せて、すれた心が少しずつ活力を取り戻していくような気がしていた。きっと私は、ここで出来た繋がりが大切なのだろう。

「人の性格って一面だけじゃないし、一方だけで決めつけるのは違う……と思う」
「……ああ、本当に見方が変わったぜ。
正直、こうして話してみるまでお前の事は啼いて懇願するまで虐めたいと思っていたが、訂正する」
「ゼロさん……!」
「李依……お前を心身ともに裸にして悦ばせ、硬くなった芯を解したい」
「衛兵さーん!」

この人と会話するのもういやだ。
さめざめと啜り泣く私の内心などお構いなしにゼロさんは続ける。

「正直俺の身の上を話せば同情されると思った。同情して、謝られるとな」
「そりゃあ……大変だとは思いましたけど、私が軽々しく同情していいような内容じゃ無かったし」

同情とは一種の憐れみだ。見方によっては見下している事にもなる。
そもそも彼の過去は凄まじすぎて同情する余地がなかった。

「なるほどな」
「ちなみに、私が同情していたらどうするつもりだったんですか?」
「同情されたら、今度こそ啼くまで虐めるつもりだった」
「衛兵さーん!!」

この人もうほんとにやだ。

「安心しろ。もうお前を虐める気はそんなにない」
「そんなに」
「ああ、そんなにだ」
「不穏すぎる」
「俺の思っていたほど甘ちゃんじゃなかったからな。李依、今度はお前の話が聞きたい」
「えー。貴方のインパクトのあとじゃ……残念ながら、貴方の嫌いなさほど苦労してない人間なわけで」

ゼロさんに比べると大体の苦労は苦労のうちに入らないだろう。なにか、普通じゃない苦労を経験しただろうかと頭を捻る。

「……あ、ひとつありましたよ。苦労話」
「なんだ?」
「突然異世界に呼ばれて、帰り方が分からない」
「そいつは……。……大変だな」

ゼロさんを一瞬でも絶句させられたので、満足だ。