ゼロと冷戦



「うう、寒い……」

いつかのデジャヴで、フェリシアに頭から紅茶を掛けられた。何もないところで躓くのはもはや芸術。お約束と言っても過言ではない。紅茶が冷めていたのが不幸中の幸いだ。とりあえず着替えようと自室への帰路を辿る。
城内のひんやりとした空気と濡れた服とが相まって、とても寒い。

「おや、珍しいな」
「ゼロさん」

廊下の向かいから出くわしたのはゼロさんだった。
初対面の時に少し話をしただけだが、苦手なタイプかもしれない。いや駄目だ、人を先入観や第一印象で決めつけては。
臆する心を叱咤して、ゼロさんを見上げる。彼はフッと唇を綻ばせた。

「震える身体に濡れそぼった髪……イイ眺めだな」

あ、やっぱり苦手だ。

「あはは……じゃあ、私着替えるので、また」
「ふぅん。俺に尻尾は振らなくていいのか?」
「はい?」

質問の意味がわからず、通り過ぎようとした足を止めてゼロさんを見上げる。
ゼロさんは瞳だけこちらに向け、形のよい唇を片方だけ上げて楽しむように私を見下ろしていた。どこか試されているようなその笑みは、向けられて心地よいものではない。
俺に尻尾は振らないのか。それはつまり、私が他の誰かに尻尾を振って媚びているという意味で。

「召喚師はエクラ一人だけだと聞いた。そしてあんたは戦うでもなく、城でひとり自分を慰めていると……」
「ニュアンスがおかしい」
「だが、白夜の……タクミ王子に取り入って居場所を得ているんだろ?」

取り入る。それはまるで、私がタクミくんを利用しているような言い方だった。

「……何が言いたいんですか」
「ならイってやろうか?
お前がタクミ王子を純粋な思慕ではなく、自分がここに居る理由のために利用していると。
気に入ってもらえれば戦えなくても衣食住には困らない。そんな風に考えているいやらしい人間だと……」

いきなり人を呼び止めたと思えばこの言われようだ。
なるほど他人から見れば、私がタクミくんに媚びているように見えるのだろう。事実無根だ。
……けれど、もしかしたら。もしかしたら、見ようによっては事実なのかもしれない。

私は召喚師じゃない。戦えない。本来なら私はアスクにはいない人間で、いらない人間なのだ。
考えないようにしていた劣等感が滲み出る。

タクミくんを尊敬する気持ちは嘘じゃない。けれどタクミくんと仲良くなって、戦わない私が居られる場所があることに安心できて。自分に都合のよい展開に、打算的な安堵を感じることが本当に無かったかと訊かれたら……きっと否定できない。
少しは的を射た言葉。
だからこそ今、目の前の男に腹が立っている。

「イイな……その嫌悪と屈辱に塗れたカオ。生きるための苦労なんて全く知らなそうなお前を好きになれそうだぜ」
「そうですか。私はたった今あなたのことが嫌いになりそうです」

苦手、から決定的な決裂。言われてばかりでは腹の虫がおさまらない。
彼を睨み付け、何か一矢報いてやりたいと彼の情報を見い出だす。ゼロという名前、シーフという職業、レオンという人物の臣下……。
反撃の糸口が見付かり、口元がいびつに綻ぶ。自分でもわかるくらい性格の悪い笑みだ。

「……ずいぶんと躾の悪いシーフさんですね。ご主人様の程度が知れる」
「! お前……」

ゼロさんの表情が崩れた。うまく地雷を踏めたらしい。
これ以上なにか言われる前に、今度こそ通り過ぎて、廊下を駆け抜ける。
腹が立って、悔しくて、そして、悲しかった。








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廊下に佇みながら、ゼロは先ほどまでのやり取りを思い返す。

睨み上げる視線。不適な笑み。言い逃げされた台詞。
ただのうのうとなんの苦労もなく生きてきたような顔をして、なかなかどうして強かだ。ただ権力者に媚を売るだけでは無いらしい。
ゼロは嗜虐的な笑みを浮かべた。

「李依か。か弱い鼠かと思えば面白い。
……ああやって抵抗する強気な女は、めちゃくちゃに虐めてやりたくなる」