▼  波の音、潮の風






無言、そして無表情。
海を渡ってきたというベレトの髪は風に煽られたらしく、無造作に暴れていた。レイネは会話の糸口を見つけて口を開く。

「ねえ、そこの椅子に座って。あなたの髪、潮風に晒されてボサボサだわ」
「……」
「……無理に梳かすのもよくないね。少し待っていて」

座れと言われて座り、レイネがぬるま湯と櫛を持ってくるまでじっと座ったまま。ベレトは言われるがままだった。
緊張している風でもないのに不気味なほど表情は動かず、口数も少ない。意思があるかも疑わしくなり、レイネは段々と不安になる。

「大丈夫?嫌じゃない?」
「……よくわからない」
「痛かったり、止めて欲しいと思う?」

訊ね方を変えるとベレトはふるふると左右に降った。
会話は途切れる。二人の少年少女はただ、時折窓から吹き抜ける風と、遠くから聞こえる港町の活気に耳を傾ける。
ゆっくりと流れる時間の中、毛先から一房ずつ丁寧に櫛が通されていった。ざらついた髪は次第に柔らかさと従順さを取り戻してゆく。

「あなたの髪、いい色だね」
「そうかな」
「深い緑。落ち着いていて、好きな色だよ」

沈黙を破るのは常にレイネからだった。
それは普段話し慣れないベレトと沈黙に居たたまれなくなったレイネの焦燥によるものだったが、短い会話を重ねるうちにレイネの胸中に疑問が芽生える。

――どうしてここまで口数が少ないのだろう。
――どうしてここまで表情に乏しいのだろう。

興味や好奇心からというよりは、ベレトの少年らしからぬ寡黙さに抱く不安めいた疑問だった(レイネ自身が年不相応であるのは置いておいて)。


「……」

きっと、過酷な傭兵業についていると育つべき情緒も育たないのだ。
レイネは彼についてそう結論付けると胸を痛め、手に取った一房にいっそう心を込めて櫛を通すのだった。





――




用意してもらったぬるま湯がすっかり冷めた頃。仕上げに花香油を通してようやく一連の整髪は終わった。
 
「さあ、もう動いて大丈夫。おつかれさま」
「……」

生来の質か、毛先は多少跳ねるものの後れ毛もなく指通りも滑らか。本来の髪質を取り戻して見違えた髪を見、達成感と満足感に頷く。
ベレトは自分の髪に不器用に何度か触れた。

「ぜんぜん違う」
「でしょう?あなたのお父さんに見せに……」

ぐううううう。
響き渡る轟音。音源である胃袋の主はまさに何食わぬ顔で立ち尽くしている。

「ええと……あなた、ここに来る前に昼食は食べたの?」

返事は頭を左右に二回。そんな素振りはおくびにも無かったというのに。

「夕飯にはまだ時間があるから、お茶にしましょうか。」