T,ロー陽だまり
 晴天の下、ここはハートの海賊団の船の上。じきに到着する島に向け、それまで海の中を進んでいた彼らの船は海面へと上がり、舵を取っていた。もっと島に近づくまで海中を進みたいところだが、今回ばかりは仕方がない。次に向かう島の周辺には広範囲にわたって海底から突き出すように岩が伸びており、それに加え極端に水深の低い地点が点在している。様々な点を考慮した結果、やむを得ず浮上することとなったのだ。
 船長であるトラファルガー・ローは、甲板で眠るベポのお腹に寄りかかりくつろいでいた。刀を抱え、脚を延ばして腕を組む。久しぶりの日光浴に加え朝食のあとというのも手伝って、睡魔が彼を誘惑する。大した抵抗もしないままに目を閉じれば、すぐに睡眠が訪れた。彼はそのまま完全に寝入った……はずだった。ふいに感じた気配に、彼の意識が戻る。彼の睡眠を妨げたもの、それは一人のクルーの足音だった。ヒールをコツコツと鳴らしながらこちらに歩いてきたその足音は、彼の前で止まった。姿を見ずとも彼にはそれが誰なのかがすぐにわかった。眠りを邪魔されたローは少しだけ眉間に皺を寄せて顔を上げた。そこには背中まで伸ばしたミルクティー色の髪をなびかせる女が立っていて、顔にかかる髪を手で押さえながらローを見下ろしてした。
「…リオン」
小さく名を呼ぶと、彼女は少しだけ屈み、髪を押さえているのとは反対の手を自分の膝の上に置いた。
「場所をかわってくれる?わたしも少し眠りたいわ」
昨日は遅くまで起きていたから、すまし顔でそう告げた彼女にローは顔をしかめた。最初にここへ来たのは自分だ。それにこの場所を使いたいのだとしてもスペースがないわけではない。ローは体を少し横にずらして再び彼女を見上げた。
「おれがどく必要はない。横にくればいいだろう」
そう言うと彼女は柔らかく笑った。
「あなたの隣はいやよ」
なぜそんなことを言われなければならないのか、彼女の言葉に機嫌を損ねたローは鋭い視線を向けた。しかしリオンは特に気にする様子もなく、彼の腕から刀を抜くとまっすぐに立ち、高い位置に刀を差し出した。
「ほら……」
彼女に促され、これ以上言っても無駄だと諦めたローは仕方なく立ち上がった。そして彼女の手の中にあった刀をひったくるように取った。リオンはローがそれまでいた場所に腰を落ち着けると、ベポに寄りかかって目を閉じた。
「こいつの傍ならいいのか?」
ベポのお腹に頭を乗せ、気持ちよさそうにしている彼女を見下ろしてローが言った。
「ベポは別よ」
「……勝手にしろ」
舌打ちをこぼし、更に機嫌を悪くしたローはその場を立ち去った。

 ローとリオンは、いわゆる“そういう仲”である。始まりは些細なことだった。いや、というよりはいつから始まっていたのかわからない。そしてなにが理由で彼女に惹かれたのかも、ロー自身よくわかっていない。覚えているのは、いつか訪れた雪の降る島ではしゃぐ彼女の姿。まるでガキだと呆れたものの、その無邪気な姿に思わず視線を奪われた。その後も航海は続き、クルーたちに囲まれて共に同じ船で過ごした。他の者たちに対するのと同じで彼女に対しても仲間という認識しかなかったが、ローはいつからかリオンと目が合うととっさに視線を逸らすようになっていた。彼女がそれに気付いていたかはわからない。そんなことが続いたある日、深夜の海上を航海中に甲板に出ると、船のヘリに肘をつくリオンを見付けた。彼女を観察すると、左手には小さな瓶が握られていた。酒を飲んでいるようだった。ローはリオンの方へと歩いていった。
『女の一人酒か、寂しいな』
横に並んでそう声をかけると、それまで星空を漂っていた視線がこちらに向いた。月明かりに照らされ、真っ暗な夜の中で彼女の白い肌が輝いて見えた。
『フフ、もう眠るつもりだったけど、甲板に出てみたらあんまりに月が綺麗で……』
小さく笑ったあと、彼女は夜空を見上げた。そんなリオンの顔を一度眺め、ローは彼女の手から瓶を取ると口に当てて傾けた。
『…あなたが飲んでいるところなんて初めて見たわ』
驚いて笑いをこぼした彼女が言った。
『酒場に行った時はいつも飲んでるだろう』
『そうだったかしら?』
笑う彼女につられ、ローも柔らかく笑った。
 白く燈る光の下、口数は少なく、二人はそこにいた。ふいに風が吹き、リオンが寒そうに腕を抱いた。大丈夫かと訊ねると、彼女は少し赤くなった鼻先をこちらに向けて頷いた。ローはリオンの頬に手を伸ばした。冷たくなっているのではと心配したが、実際は酒のせいか仄かに熱を帯びていた。気遣って伸ばしたはずの手は、そのまま彼女の頬に留まった。視線を外さずリオンの瞳をまっすぐ見つめると、彼女はパチリと瞬きをした。ローはそのまま顔を近づけた。距離が縮まるにつれ、彼女の瞼がゆっくりと下ろされていくのがわかった。それにつられ、無意識のうちに自らの目も細められた。互いの目が完全に閉じられた時、そこにはなくなった視界のかわりに柔らかな感触があった。優しい、暖かな感触。それ以来、彼女はローと距離を置くようになった。視線が合うと、彼女はこちらに頬笑みかける。それが二人の唯一のやり取りになった。

 島に到着したハートの海賊団は陽のあるうちに買い出しをすませ、夜は宿を取らずに全員船に戻った。ベポとシャチ、そしてリオンの三人は、夕食後島の酒場へと出かけていった。いくつかある酒場の中からわりと綺麗な店を選んで中に入った。店内には大勢の客がいて賑わっている。三人はカウンターに並んで座り、注文をすませた。そして今後の航海についてあれこれ意見を言い合った。
二時間ほど経った頃、会話は弾み、それによって酒も進んで気付けばベポとシャチはベロベロに酔っていた。シャチに至ってはつぶれかけている。
「大丈夫?わたし一人じゃあなたたちを船まで運べないわよ?」
飲み過ぎて気分が悪くなり始めた二人を見ながらリオンが慌てて訊ねた。
「そうだね、もう戻ろうかな……。今ならまだ歩けるし。シャチはおれが支えてくよ」
真っ青な顔をしたベポが言った。リオンは安心してため息をついた。
「そう…」
リオンは手元の瓶に残っていた酒を飲み干した。そして瓶をテーブルの上に置くと、脚を組みかえて告げた。
「気を付けてね、わたしはもう少し飲んでくわ」
「え、帰らないの?」
彼女の言葉に驚いたベポが顔を上げた。そんなベポを前に彼女は無邪気に笑った。
「せっかくの停泊よ?今のうちに陸でのお酒を楽しんでおかないと」
そう言って彼女は新たに酒を注文した。彼女はハートの海賊団の中で一番の酒豪だ。リオンからしたらこの程度の酒ではまだ物足りないのだろう。それはわかるのだが……。ベポは今度は違う意味で顔を青くした。
「一人で残すのは心配だよ。それにおれたちだけで帰ったらきっと船長が怒る……」
おろおろとベポが言った。彼女は店主から瓶を受け取って頬杖をついた。
「心配してくれるのは嬉しいけど、わたしだって海賊よ?自分の身ぐらい自分で守れるわ」
「そうだけど、でも……」
なんとかつれて帰ろうとベポは必死だった。船長に怒られることが余程恐いのだろう。しかし彼女はそんなベポに笑いかけるだけで帰ろうとはしなかった。
「大丈夫よ。ローにはわたしに無理矢理帰らされたって言っておいて」
遅くならないようにするから、そうつけ加えてにっこりと笑った。それを見てベポは言葉に詰まってしまった。きっといくら言っても彼女はこの場を動かないだろう。渋々と言った様子でシャチを抱えて、ベポは船へと帰っていった。その背中がドアの向こうに消えるまで見送ると、彼女はふうっとため息をこぼした。
 彼女が再び酒を注文する頃には、あれだけ賑やかだったこの店も客が帰り始めてだいぶ静かになっていた。店内には静かな音楽が流れ、一人でゆったりと酒を飲むのにちょうどよかった。しかしそんな雰囲気に浸っていると、ドアが開き十五人ほどの男たちが店へと入ってきた。静かな方が嬉しいのだが、まぁ仕方がない。再びがやがやし始めた店内に、リオンは残念そうに笑いをこぼした。男たちが席を選んでいるのを尻目に瓶を手の中で回していると、男たちの中で最初に店に入ってきた男が彼女の方へとやってきた。それに気付き、リオンは敢えて視線を手元に戻し、瓶を口に運んだ。厄介事はご免だ。今日くらい穏やかに過ごしたい。そんな彼女の願いも虚しく、男は彼女のすぐ横までくると隣の席にどっかりと座った。そして彼女の顔を覗き込んで声をかけた。
「姉ちゃん、一人か?」
やれやれ、と一瞬顔を伏せ思い切って男に顔を向けた。誘いならやんわりと断ろうと思っていた。しかし予想外の相手にリオンは驚いた。そこにはキッドがいた。
「キッド!!!」
リオンの顔から愛想笑いが消え、彼女は代わりに嬉しそうに目を細めた。キッドはフッと笑った。
「誘いだと思ったろ?」
先ほどの作り笑顔を思い返しながら言うと、彼女は笑いをこぼした。
「…だって、まさかあなたがいるとは思わないでしょ?」
キッドは彼女と同じ酒を注文し、二人は瓶を当てた。彼の仲間たちは気を利かせて少し離れたテーブル席に落ち着いた。
「元気そうね。ここにはいつからいるの?」
リオンは酒と一緒に注文したドライフルーツをつまみながら訊ねた。
「昨日からだ。食料が尽きかけててな。買い出し目的だ」
「そう」
リオンはドライフルーツを口に入れると、その味を楽しんだ。そして酒を飲み、再びキッドに顔を向けた。キッドの率いる海賊団と、ローの率いるハートの海賊団、ライバル同士ではあるがそれ以前にキッドは古くからの友人である。小さな島で出逢い、二人はこうしてよく酒を飲んだ。夢を語り、志高く日々を生きた。やがて海に出て思いがけずそれぞれ別の海賊団として再会した時は心底驚いたものだ。久しぶりの再会に、彼女は顔を綻ばせた。そしてふと気付いて言った。
「でもこの島に着いた時、あなたたちの船は見かけなかったわよ?」
思い返してみるが、見かけた船は商船ばかりで海賊船など一隻もなかった。彼は肘をつき、瓶を持った手の人差指をクイッと立てた。
「お前らどこに停めたんだ」
「どこって…、西の海岸よ」
リオンが答えると彼は立てた人差指をトントンと瓶に当てた。
「この島には東西二か所に船着き場がある。俺らが停泊してるのは東側だ」
「そうだったの」
感心したように彼女が言った。
「おいおい、なにも知らねェのかよ」
恐らくこの島の地理を全く理解していないであろう彼女を前に、キッドは呆れて片眉を上げた。
「……だが、おれにはお前がこの島にいることはわかってたけどな」
キッドはそう言って瓶を傾けた。
「え?」
リオンは不思議そうに彼を見つめた。彼は瓶を置くと頬杖をついて視線をこちらに向けた。
「お前のとこの船長を昼間見かけたんだ。医療品を扱う店でな」
そう聞いた彼女は、買い出しの途中でローが薬品を買いに行くと別行動をとっていたのを思い出した。
「まぁ、向こうは気付いてない様子だったが…」
なるほど、それで彼は今夜この店にきたのかと彼女は納得した。リオンの酒好きも店の好みも、キッドはよく知っている。同じ島にいるなら酒場で会えるかもしれないと考えたのだろう。そして考えたとおり彼女はこの店で飲んでいた。キッドとしては、あの闇医者も一緒にいる可能性を懸念したのだが、運のいいことに彼女は一人で店にいた。そして彼女と久しぶりに酒が飲めた。しかしそこまで考えて初めて、ローがいないことに疑問を抱いた。キッドは背もたれに寄りかかって彼女に顔を向けた。
「そういや奴はどうした?」
海賊とは言え、こんな時間に女が一人で酒場にいるのは不自然に思えた。見たところ他の船員たちの姿もない。キッドは内心、無神経な男だとローに舌打ちをこぼした。
「船長なら船にいるわ。本をたくさん買っていたから、それでも読んでるんじゃないかしら?」
彼女はあっさりと言った。キッドもローと彼女の関係を知っている。彼女の返答にキッドは首を傾げた。
「わからねェな、お前のとこの船長は女に付き添いもつけないのか?」
一先ずそう訊いてみる。すると彼女は否定をこめて笑いをこぼした。
「一緒にいた船員はわたしが帰らせたのよ」
ローに対する軽蔑を含んだ彼の言葉に、一人でいるのはあくまで自分の意思であるとリオンは言った。彼女の言葉にそれなりに納得したキッドはそうか、と呟いた。しかしそうなってくると別の問題がある。リオンが自分と酒を飲んでいることを、彼女の船の船長は快く思うだろうか。
「お前、奴をほったらかしておれといていいのか?お前らの内輪モメに巻き込まれるのはごめんだぜ」
ローを気遣ってやる義理はないが、面倒事は避けたかった。今の状況を見て決していい顔をしないであろうあの男の姿を、キッドはぼんやりと頭に思い浮かべた。
「あら、だったらわたしはここにいない方がよかったのかしら?」
せっかく久しぶりに会えたのにそういうこと言うのね、と多少の嫌味を利かせて彼女が訊ねた。そういう意味じゃないと慌てて弁解するキッド。彼女は悪戯に笑い、冗談よと言った。
「……ローとはしばらくまともに話してないわ」
瓶を傾け、酒を飲んだ彼女がぽつりとこぼした。なんとなく察したキッドが穏やかに笑った。
「なにかあったのか?」
「あったというより、最初からよ」
そう言って彼女は手元を眺めた。

 始まりは些細なこと。あの時のことは今でもはっきりと覚えている。雪の降る島でベポと遊んでいると、ふいに視線を感じた。彼女がそちらを向くとそこにはローがいた。彼は、彼女を見ながら笑っていた。その穏やかな顔が焼き付いて頭から離れなかった。その後も航海は続き、共に同じ船で過ごした。そしてある時から、彼は目が合うと視線を逸らすようになっていた。今思えば、あの島を出た直後からだったような気がする。その度リオンは、なにかやらかしてしまったかとやきもきしたものだ。あの夜もそんな気持ちを抱えながら、彼女は一人甲板にいた。船のヘリに肘をつき、キッチンから持ってきた酒を手にぼんやりと空を眺めた。綺麗な景色を前にしても、彼女の気持ちは曇ったままだった。どうしたものか、そんなことを考えているとふいに気配を感じた。それはゆっくりとこちらに近づいてきて、隣に並んだところで静かに告げた。
『女の一人酒か、寂しいな』
そう言われ、視線を向けるとそこにはローが立っていた。彼女は内心驚いたが、なんとか平然を装おうとした。
『フフ、もう眠るつもりだったけど、甲板に出てみたらあんまりに月が綺麗で……』
彼の笑顔がまるであの時のようで、彼女は視線を夜空に逃がした。白く、優しく燈るあの月がまるで彼のようだと思ったことは、恥ずかしくてとても言えなかった。彼はリオンの手から瓶を取ると、それを口に当てて傾けた。
『…あなたが飲んでいるところなんて初めて見たわ』
『酒場に行った時はいつも飲んでるだろう』
彼の行動に驚きつつ取りつくろうようにそう言うと、彼は呆れ顔で言った。
『そうだったかしら?』
本当は知っていた。それはきっと、自分が彼を目で追っていたからだろうと思った。笑いをこぼすと、それを見た彼も柔らかく笑った。
 散りばめられた光の下、口数は少なく、二人はそこにいた。ふいに冷たい風が吹き、リオンは腕を抱いた。彼は顔をこちらに向け、大丈夫かと訊ねた。リオンは頷いたものの、鼻先が冷えて赤くなったのが自分でもわかった。上着を持ってくるべきだったと後悔していると、彼の手が頬に触れた。突然のことに思わず頬が熱を帯びる。彼はまっすぐとリオンを見つめた。彼女は動揺し、大きく開いた目を一度閉じて、再び彼を見た。彼はそのままゆっくりと顔を近づけた。驚きや緊張、恥ずかしさ、色々な感情が混じり合い、リオンは目を開けていることができなくなった。完全に視界がなくなった時、口元に柔らかな感触が触れた。それは穏やかで、暖かな感情。二人の感情が混ざり合い、それまでの不安やわだかまりと共にゆっくりと溶けていった。そして新たな思いが生まれた。それ以来リオンは、彼と距離を置いている。思いはそのままに、彼に微笑みかけながら。

 リオンは再びドライフルーツに手を伸ばすと、それをつまんだまま食べるでもなくキッドに顔を向けた。
「志高い一船の船長が、私なんかにかまけてる場合じゃないわ」
リオンの言葉を聞いて、キッドはなにも言わずにフッと笑った。恐らく相当悩んだだろう。しかし彼女は海賊であることに、そしてローの船に乗っていることに誇りを持っている。感情に流されるのは簡単だが、互いに目指すべき場所がある。ならば自分は一歩下がり、間違っても後悔のないように日々を送ろうと決めたようだ。ふと思い返された昔の彼女もそんな強い女だった。
「しっかりしてんだな」
そう短く言うと彼女は悪戯に笑った。
「今更気付いたの?」
リオンは片眉を上げ、つまんでいたドライフルーツを口に放った。

 自分の船の上でローは苛立っていた。もうどれくらいの時間こうして甲板に立ち船着き場の向こうに視線を向けているだろうか。彼の後方ではベポとシャチが彼の様子を見ていた。リオンにああ言われたものの、やはり船長が怖かった二人は、船に戻り誰にも気付かれないうちに部屋に行こうとしていた。しかしそううまくはいかないもので、船に入って早々ローと鉢合わせてしまった。リオンが一緒でないことに気付いたローは、眉をひそめながらも一応手順として彼女はどうしたのかと二人に訊いた。そして二人から話を聞くと一気に不機嫌になった。こうなってしまうと自分たちだけ先に寝ているわけにもいかない。二人は彼女が戻るまで船長と待とうと暗黙の内に決めた。
「遅い…」
ローはそう呟いて船着き場を見渡した。二人の話ではそう遅くならないということだったが、彼らが戻ってからもう数時間経っている。二人の話を聞いて初めは敢えてここに留まったが、やはり様子を見に行くべきか…。個人の行動に口を出すつもりはないが、しかし彼女を案ずる気持が先走り始めた。悩んだ末、彼は刀を取って船を出た。
 船着き場から街へと入っていく道の途中で、前方に人影が見えた。最初はリオンかと思ったが、すぐに女にしては大きすぎると気付いた。刀を強く握り、警戒しながらそのまま進んでいく。そして人影の顔がはっきりと見えるまで近付くと、ローは立ち止った。そこにいたのはキッドだった。
「おぉ、闇医者か」
同じタイミングでキッドも彼に気付き、足を止めた。ローは警戒心はそのままに口を開いた。
「ユースタス屋…。まさかお前がいるとはな」
「その台詞を聞くのは二回目だな」
「?」
ローはキッドに鋭い視線を向ける。しかしそうは言ってもローには気がかりがある。こんな所で話している場合ではない。思い直して再び歩き始めると、キッドが口を開いた。
「待てよ、こいつを迎えに行くつもりなんだろう?」
そう言って少しだけ体を横に向ける。気付かなかったが、彼はなにかを背負っているらしい。彼の背に視線を向け、それがなにかを確認したローは刀に手をかけてキッドを睨み付けた。
「ユースタス屋…!!!」
「おいおい、お前のとこのクルーをわざわざ運んでやったんだ。礼くらい言ったらどうだ?」
敵意をむき出しにするローにキッドは呆れ顔を向けた。
「なぜリオンがお前といる?」
「酒場でばったり会ったんだ」
そう言って道の隅にある木まで歩いていくと、キッドは屈んで彼女を下ろしその木に寄りかからせた。リオンを見ると、どうやら眠っているようだった。
「しかしまさかつぶれるとはな。久しぶりにこいつと飲めたのは嬉しいが……手の焼ける女だ」
そう言ってローに顔を向けた。ローは相変わらず睨みを利かせたままだった。
「眠ってるだけだ。早く船へ運んでやれ」
キッドの一言一言が彼の機嫌を損ねていった。ローは一先ずリオンのもとへ行って彼女を抱え上げた。頬を染め、ぐっすりと眠る彼女は気持ちよさそうに寝息を立てていた。その顔を見て安心したものの、彼の苛立ちは収まらなかった。ローは再びキッドを睨んだ。
「ユースタス屋…、キッド海賊団の船長は他の船の女をこんな時間まで連れ回すのか?」
「連れ回したわけじゃねェ。一緒に酒を飲んだだけだ。とはいえ、そいつがそうなっちまったからな…」
一度言葉を切ると、キッドは彼女を見やった。
「送り届けたことで筋は通したつもりだ。お前こそ心配ならそいつについているべきじゃなかったのか?」
キッドはやれやれと頭をかき、これだから面倒事はごめんだとこぼした。そして小さく告げた。
「いい女だ。お前には勿体ねェが……、まァそこはそいつの気持ちを尊重する」
彼は背を向けると、来た道を戻っていった。ローはしばらくその背を見つめ、やがて自分も船に戻った。
 甲板に着くと、ベポとシャチが駆け寄ってきた。そしてリオンの様子を見てベポがおろおろと言った。
「リオンがつぶれるなんて…、よっぽどおれになりたかったのかな?」
理解しかねたローが訊くと、ベポは酒場での会話のことを話した。酒を飲んでいる時、彼女がぽつりと言ったらしい。
『わたしもベポだったらよかったのに。そうしたらきっと、もっと昼寝を楽しめる』
それを聞いて、今朝のことがふと頭を過ぎった。そしてなんとなくだが、彼女の言いたかったことがわかった気がした。ローはため息をこぼし、彼女の部屋に向かった。部屋の前で彼女の首に掛けられた鍵を取ると、ドアノブの下の小さな穴に差し込んで中に入った。初めて訪れる彼女の部屋は几帳面に片付けられていた。彼はリオンをベッドまで運んで寝かせた。彼女に布団をかけて見下ろすと、顔にかかった髪をどけてやった。彼女はすやすやと眠っていた。まるでガキだと呆れ、ローは笑いをこぼした。彼はベッドの脇に腰を下ろし、しばらくその寝顔を眺めていた。それだけで彼の中の苛立ちは徐々に消えていくように思えた。
「当分酒は禁止だ」
ローは小さく言って、彼女の頭を撫でた。そして部屋を出ると静かにドアを閉めた。

 翌朝、船員たちが食事をとっているとおぼつかない足取りでリオンが現れた。寝癖のついた髪を指で梳きながら空いている席に座る。彼女はグラスに水を注ぐと、ズキズキと痛む頭に手をやった。
「大丈夫か?」
「頭が割れそうよ…、こんなにひどい二日酔いは初めて……」
横から声をかけたベポにリオンが言った。そこへ食事を終えたローが通りかかった。
「調子に乗るからだ」
足を止め、彼は短く告げた。リオンがローに顔を向けると、彼はなにかを差し出した。受け取ってみるとそれは自分の部屋の鍵だった。
「ありがとう」
礼を言えばローはフイッと顔をそむけ、そのまま行ってしまった。
 しばらく経ってローが甲板に出ると、そこにはベポと眠るリオンがいた。ローは近付いていき、二人を見下ろした。
「ベポ」
声をかけると、眠っていたベポがゆっくりと目を開けた。
「…船長。どうしたの?」
「頼みがある」
 
リオンは目を覚まし、欠伸交じりに甲板を眺めた。いつもの場所、いつもの景色。しかし、今日はなにかが違った。視線を泳がせながら考えてみると、その答えはすぐに出た。彼女は仰向けになってため息をこぼした。そして頭上に目を向ける。陽の光が眩しくて額に腕を置いた。
「ベポと寝てたはずなんだけれど…」
彼女は静かに言った。視線の先にはローの顔があった。彼女はローの膝に頭を乗せて横になっていた。リオンの言葉にローは一瞬眉を寄せたが、すぐにそれを消した。
「たまにはいいだろう」
そう言って彼は、あの日のように柔らかく笑った。それを見た彼女もまた、無邪気に笑った。二人はそのままくつろいだ。訪れた睡魔が二人を誘惑する。陽だまりの下、大した抵抗もしないままに目を閉じれば、すぐに眠りに落ちていった。

【♪:The Time To Sleep−Marble Sounds】
http://www.youtube.com/watch?v=T8PHNeT_x1U


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