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「名前ちゃん、お疲れ様」


そう、手を挙げて挨拶をしてくれたの夜久さんの姿は、随分と見慣れた光景になってしまった。

ピアノ教室の帰り道に絡まれていたところを夜久さんに助けて貰った翌日、練習を終えてピアノ教室を出た私の目に映ったのは、街灯の下で携帯を片手に立っている夜久さんの姿だった。

“余計なお世話かもしれないけど、心配でさ”

そう言って笑った夜久さんに、なんとも言えない気持ちになってしまった。

“あの…そんなに心配して頂かなくても…”

“いやいや、そうはいかないって。こんな時間に女の子が1人で帰るのを放っておけないよ”

“でも、”

“じゃあ、黒尾と研磨に言ってもいいかな?”

“そ、れは…”

“黒尾と研磨には秘密にしててあげるからさ、ピアノの練習後は俺に送らせてよ”

「ね?」と片目を閉じて悪戯っぽくそう言った夜久さん。ここで首を横に振れば、「じゃあ、あの2人に言うよ?」と帰ってくるのは目に見えている。
夜久さんか、クロと研磨か。二択のように見えて、私が選べるの答えはただ一つ。諦めて「…よろしくお願いします」と頭を下げた私に、夜久さんは満足そうに笑って頷いてくれた。

その日から、私と夜久さんという奇妙な組み合わせの帰り道が始まった。


「名前ちゃんは、いつからピアノしてるの?」

『3歳の時からです』

「え、そんなに小さい頃から?すげえなあ」


感心したように声を上げる夜久さんに、そんなことはないと首をふる。


『夜久さんは、いつからバレーボールを?』

「俺?俺は、小学生の時から」

『…クロと研磨と同じですね』


何気なく返ってきた答えに、思い浮かべたのは小さな幼馴染みたちの姿。あの頃の私達は、何も気にすること無く一緒に遊んでいた。クロがいて、研磨がいて、二人の後を追いかける私がいて。それが、普通だった。
ぼんやりと、懐かしい光景を思い出していると、申し訳なさそうに眉を下げた夜久さんが少し気まずそうに声をかけてきた。


「…あのさ、名前ちゃんは、アイツらのこと嫌いなの?」

『…嫌いじゃ、ないです…』

「それなら、どうして2人を避けようとしてるの?」

『……それは…』


足を止めて俯くと、隣を歩いていた夜久さんの足も止まる。震える唇を噛んだまま何も言わずに黙っていると、少し慌てたように夜久さんが声を上げた。


「ごめん!」

『っえ?』

「なんか気になって聞いちゃったけどさ、3人の問題なのに、俺が首突っ込むのは間違ってるよな」


「だから、ごめんね」ともう一度謝ってきた夜久さん。ああ、この人は、どうしてこんなに優しいんだろう。なんだか鼻の奥がツンとする。「行こうか」と優しく微笑んで歩き出した夜久さんに、引き結んでいた唇を解くと、さっきまでの震えがいつの間にか消えていた。


『……夜久さん、』

「ん?どうかした?」

『……ありがとう、ございます』


紡ぎ出したお礼の言葉はやけに頼りなく小さいものになってしまった。それでも、夜久さんは、ほんの少し目を見開いた後、嬉しそうに笑ってくれた。



***



「名前、最近音が明るくなってきたわね」


ピアノ教室の先生にそんなことを言われ、思い浮かべたのは、ここ2週間ほど、この教室の後に迎えに来てくれる夜久さんの顔。
夜久さんは、優しい。だって普通なら、いくらチームメイトの幼馴染みだからって、練習後の疲れた身体で私なんかを家まで送り届けたりなんてしない。それに、夜久さんは、決して会話上手とは言えない私の話も、相槌をうちながらきちんと聞いてくれる。面倒見がいいんだろうな。なんて、いつもの待ち合わせ場所で夜久さんを待ちながら考えていると、暗い道の向こうから誰かが歩いて来た。夜久さんだろうか。「名前ちゃん、」と声をかけてくれたのはやっぱり夜久さんで、リュックを背負いなおして駆け寄ると、「ごめん、待たせたかな?」と眉を下げられた。


『いえ、全然』

「ホントに?それならよかった」


ホッと安心したように笑った夜久さん。ああ、眩しい。夜久さんの笑顔ってどうしてこんなに輝いて見えるのだろう。
「?どうかした?」「いえ、なんでも」「?んじゃ、行こっか」「はい」と、いつもと変わらないやり取りをして歩き出した私と夜久さんは、傍から見たら一体どんな組み合わせに見えるのだろうか。


『…あの、今更なんですけど、夜久さんって彼女とかいないんですか?』

「え?彼女?」

『はい。その、もしいるんだとしたら……私、更に迷惑をかけてるなって……』

「あはは。それなら、大丈夫大丈夫。残念なことに、今は部活が恋人って感じだからさ」


冗談まじりに笑う夜久さん。そっか、彼女いないのか。思わずホッと息を出すと、「名前ちゃんは?
」と首を傾げられた。


『私も、いません。女子中学なので、出会いもないし…』

「…そう言えば…校区的には黒尾や研磨と同じ中学の筈だよね?」

『私のピアノの講師の先生が今の学校の卒業生で…そこなら、コンクールとかのサポートもしてくれるって教えられて、それで、そこに通ったらどうかって勧められて……』

「ああ、それで」


なるほどと納得したように頷く夜久さんには、もう一つの理由は言えなかった。クロと研磨もいないから、なんて。
「ピアノが大事なんだなあ」と感心したように言う夜久さんに、曖昧に笑って返すと、夜空を仰ぎ見た夜久さんが、思い出したように呟いた。


「…聴いてみたいな。名前ちゃんのピアノ」

『え…』

「ピアノの事はあんま分かんないけど…でも、名前ちゃんのピアノは、スゲエ聴いてみたいんだ」


柔らかく目を細めて、そう言ってくれた夜久さんに、ジワジワと頬に熱が集まる。

私も、夜久さんに聴いてほしい。

そう伝えたら、夜久さんはどんな顔をするだろう。多分、いや、きっと、心底嬉しいに笑ってくれるのだろう。

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