大学1年になりました16
※視点変更有り
主人公→日向
辰也も翔一くんも清志くんも、真くんのいう“笑って誤魔化すことのできない相手”だ。3人とも、真くんが言っていた通り、私の中に踏み込んで来ようとしている。それが、私には怖い。
踏み込まれてしまえば、和也さんのことを忘れてしまうんじゃないか。和也さんとの思い出がなくなるんじゃないか。そんな風に考えてしまい、気づくと、指輪を握りしめる。
大丈夫。忘れないよ。大好きだよ。
和也さんだけが、好きだよ。
この世界にきてから、幾度となく自分に言い聞かせてきた台詞。清志くんに“好きだ”と言われた夜もそうだった。ベッドの中で指輪を握りしめて、ひたすら繰り返した。そうして朝になって、手の中にある指輪があることを確認して、頭の中で、和也さんの笑顔を思い浮かべる。
ああ、ほら、大丈夫。今日もまだ忘れてないよ。和也さんの笑顔を、忘れてないよ。
私が守らなければいけないのは、この指輪と和也さんだけなのだから。
「やめる?」
『…はい。急で申し訳ないんですが…』
「すみません」とマスターに頭を下げると、困惑した顔をしたマスターは「顔をあげて」と柔らかく微笑んでくれた。
「何か、あったのかい?」
『…いえ、ちょっと大学の勉強に集中しようとおもいまして…』
「…そうか…。名前ちゃんがいなくなるのは寂しいけれど、仕方ないね」
「いつでも戻ってきていいからね」と優しく笑いかけてくれたマスター。その笑顔に、意図せず目頭が熱くなった。
皆と距離をとろう。
そう決めたのは、何も3人だけが理由ではない。
今まで、この世界に1人になることを恐れて、自分を甘やかしてきたけれど、それじゃあ駄目だと気付かされた。自分を甘やかしたぶん、和也さんだけだった私の中に、皆が侵ってくる。
“本気であんたに踏み込んでくる人間が居たら、笑って誤魔化すなんて出来るわけねえよ”
真くんの言う通り。本気で踏み込んで来ようとする相手を笑って誤魔化すなんてできなかった。辰也然り翔一くん然り、そして清志くんも。
だから、踏み込まれる前に距離をとることにした。
日向くんに聞かれたら、怒られそうだ。
怒る彼を想像して小さく笑いつつ喫茶店を後にした。
side日向
「…どういうつもりですか?」
責めるような口調になってしまったのは、少なからず怒っているから。
約1ヶ月。それは苗字先輩から音沙汰がなかった時間だ。監督のところでのバイトもやめてしまい、学校も始まったこともあったので、初めは忙しいのだろうと気にしていなかったけれど、送ったメールの返信も来ない上に、それが俺だけではないときた。
監督や伊月、黒子に火神。他にも黄瀬やら緑間やらとにかく色んな奴が彼女に電話やメールをしても、何の反応も帰ってこないらしい。
暗い顔をみせるチームメイトたちを見て、小さく息をはいた。ダメもとでかけてみるか。
部活を終えて帰りついた自室で、カバンを置きながらかけた番号。そういえば、先輩に電話をするのは初めてかもしれない。長いコールを音を聞きながら、やっぱりダメかと思った時。
〈…もしもし〉
スピーカーから聞こえてきた声が、酷く懐かしく感じた。
そして、冒頭にいたる。
どういうつもりか、という問に、小さく笑った先輩は、「ごめんね」と謝ってきた。
「謝れって言ってるわけじゃないんすけど」
〈…うん、そうだよね…でも、ごめんね〉
「…どうして避けるんすか?皆心配してますよ」
〈…〉
「…それも和也さんのためですか」
〈………日向くん、どうしてそう鋭いかな…〉
ああ、やっぱりか。どうせ、そうだろうと思ったよ。
困ったように笑う姿を想像して、眉間に皺を寄せると、「怒ってる?」とどことなく沈んだ先輩の声が聞こえてきた。
「当たり前っすよ」
〈だよね〉
「…夢の中で和也さんに、俺らを“避けろ”とでも言われたんすか?」
〈…違うよ。これは、私の問題。私が…私が、忘れたくないから。和也さんを忘れたくないから、だから〉
「俺らがそばにいると、和也さんを忘れそうになるってことですか?」
返ってきたのは沈黙。つまりはイエスということだろう。
この人は本当に馬鹿だ。忘れるわけないのに。そんなに大事にしているものを、忘れるなんて、簡単にできるはずないのに。
呆れてため息をつくと、それをどう受け取ったのか、電話の先で先輩もふっと息を零した。
〈私はね、日向くん。和也さんが大事なの。和也さんとの思い出がなきゃ生きていけないの。だから……少しでも、その思い出を消しそうになる自分が嫌なの〉
「…先ぱ〈これ以上、〉っ」
〈これ以上、踏み込まれたら、和也さんとの思い出だけじゃない、“和也さん自身”も思い出にしてしまいそうで、怖いのっ…〉
小さな嗚咽が鼓膜を揺らす。泣いて、いるのか。
苗字先輩にとって、市ノ瀬和也という人物が、どれだけ大事なのか、少しは分かっているつもりだ。でも、この人は何も分かってない。だから、こうして俺たちを避けることができる。
「…俺たちは、あんたにとってなんなんすか…」
〈…皆のこと、好きだよ。でも……私の中の和也さんを守るために、私は、〉
さよならを言わなくちゃ、ダメなんだよ。
その言葉を最後に、苗字先輩の声が聞こえなくなり、代わりに無機質な電子音が聞こえてきた。
「先輩、あんたやっぱり何も分かってねえよ」
どうして、俺たちといると和也さんを忘れそうになるのか、それさえも気づかないあの人、本当に馬鹿だと思う。
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