不和
“どうして…?ねえ、どうして?”
“なんで…なんでそんなこと言うの…?”
泣いていた。あれは、私だ。さっきまで黒子くんや赤司くんといたはずなのに、どうして泣いているのだろう。
まるで他人事のように、涙を流す自分を見つめていると、私と話していた相手の手がゆっくりと伸びてきた。それから逃げるように走り出した私は、そのまま、暗い影へと吸い込まれるように消えた。
これが夢だと気づいたのは、目が覚めてからだった。
「っ!名前!!」
意識がはっきりとしてから漸く食堂に顔を出すと、顔色を悪くしたさつきが駆け寄ってきた。どうやら、かなり心配を掛けてしまったらしい。
「大丈夫!?」「大丈夫だよ」と安心させるためにも、笑ってみせたけれど、さつきの表情は硬いまま。どうしてものかと内心苦笑いを浮かべていると、苦しそうに眉根を寄せた赤司くんがゆっくりとこちらへ向かってきた。
『あ、赤司くん…あの、ごめんなさい。私、急に倒れたみたいで…』
「…いや、いいんだ。それより、今はもうなんともないのかい?」
『うん、もう大丈夫だよ』
「心配してくれてありがとう」と笑ってみせると、ホッと肩の荷を下ろした赤司くんが、そっと目を伏せた。
『…赤司くん?』
まるで何かを覚悟するようにじっと目を伏せる彼に、首を傾げると、ゆっくりと瞼を持ち上げた赤司くんの鮮やかな赤色の瞳に、自分が映った。
「…もう、やめてくれないか…?」
『え…?』
「失くした記憶を探すのは、もう、やめた方がいい」
『っ、な、んで…なんでそんな事、』
言うの。そう言おうとしたけれど、赤司くんの強い瞳に言葉が喉の辺りで押し止まる。
「思い出そうとすると酷い頭痛がする。君が言っていた通り、あの時君は、尋常じゃない痛みで倒れてしまった」
『それは…』
「あんな風になる事を分かっているのに、無理矢理思い出すことに意味はあるのかい?」
赤司くんの声が脳に響く。問いかけの筈のそれが“思い出す事に意味は無い”と言うように聞こえて、唇が震えた。
『あ、あるよ、きっと。意味は、あるよ』
「君のご両親だって望んでいないのにかい?」
『親は関係ない!私の記憶の事は、私に決める権利がある!』
「けれどその君の自身が、思い出す事を拒んでいるじゃないか」
『え…』
赤司くんの言葉に目を丸くして彼を見つめ返すと、赤司くんの目が少しだけ鋭く細められた。
「赤司くん、」とそんな彼を諌めるように黒子くんが彼を呼べば、落ち着こうとするように、小さく息を吐いた赤司くんが少し視線を下へ落とす。
「人には、防衛本能と言うものがある。君が記憶を思い出そうすると、酷い頭痛がするのは、君を守るためにその防衛本能が働いているからではないかい?」
『そ、んなこと、ないよ』
「なぜ?どうしてそんな事言えるんだい?」
『っだって!忘れている事が!辛い記憶かは分かんないよ!!』
つい声が大きくなってしまった。溢れそうになるものを堪えて、赤司くんを見つめ返すと、視線を下げたまま、赤司くんが悲しそうに目尻を下げた。
「分かるさ」
『え……』
「君が失った記憶がどういうものか…分かるさ」
それが、どういう意味なのか、分からない筈がなかった。
「その上で、もう1度言うよ。…思い出そうとするのは、もう、やめてくれ」
『っ、赤司く「あら!名前ちゃん!」っ!』
「良かった!具合よくなったんだね!」
不意に現れた河野さんに、赤司くんへ投げかける言葉が遮られてしまった。
「大丈夫かい?」と心配してくれる河野さんに慌てて笑顔を作る。ペタペタと無事を確かめるようにほっぺたを触る河野さんに「もう大丈夫ですよ」と応えると、安心したように河野さんが表情を崩した。
「一応、お母さんにも連絡したら、予定より早く迎えに行くって言ってたわよ」
『っえ……あの、でも、』
「療養も兼ねてここに来たのに、倒れさせたんじゃダメよね。私も、早めに帰った方がいいと思うよ」
「明後日には迎えに来るみたいだから」と笑う河野さんに、思わず赤司くんの方を見ると、いつの間にか彼も、他のキセキの世代と言われていた彼らも居なくなってしまっていた。
赤司くん、貴方はずるいね。
そんな言い方されたら、もう、分かっちゃうよ。
ポロポロと落ちてきた涙。これを止めるには、どちらが正解なのだろうか。
思い出すのを諦めるべきなのか、それとも。
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