tenth
“考えてみては、もらえませんか?”
赤葦くんの言葉が頭から離れない。
授業中だというのに、上の空で窓の外をみると、体育の授業中なのか、木兎くんがサッカーをしていた。サッカーをする木兎くんは初めて見るな。あ、でも、バレーをしている所も見たことないかも。
ぼんやりしながら、まるで小さな少年のように走り回る木兎くんを目で追っていると。
「苗字!」「っ!は、はい!」「どうした?具合でも悪いのか?」「い、いえ…すみません。ちょっと、ぼーっとしてて」「そうなのか?…じゃあ、ここの和訳してみろ」
と、先生にあてられた文を慌てて訳す。ダメダメ。ちゃんと集中しなきゃ。そう思っているのに、また、窓の外をみてしまうのは、どうして?
「え?木兎と、行かないの?じゃあ私たちと行こうよ!」
優しい友達の誘いがあり、土曜の夏祭りには、参加することとなった。わざわざ嘘をついて助けてくれた赤葦くんくんには、報告した方がいいかもしれない。
放課後。ほとんど訪れたことがない、部室棟へと足を運ぶと、運動着に身を包んだ人たちが沢山居て、ちょっといたたまれなくなる。
男子バレー部の部室ってどこだろう?
近くを通ろうとしたテニスウェアの女の子に尋ねると、にこやかに笑った彼女は「1番端の部屋ですよ」と答えてくれた。いい子だなあ。「ありがとう」と頭を下げて、教えて貰った部屋に辿りつくと、中から話し声が聞こえてきた。あ、木兎くんの声も聞こえる。赤葦くんもいるかな?
ホッとして、ドアをノックしようとしたとき。
「それにしても、いくら下心からだった、お前が本読むとはなー」
「うっせー!別にそれだけじゃねえよ!!」
「とか言って、ほとんど読み進めてないじゃん」
「うぐっ…しょ、しょうがねえだろ!こう、字が並んでんの見ると、スゲエ眠くなるんだよ!」
「まあ、嫌いなもんを簡単に好きにはなれないわな」
…今のは、どういうことだろう。
ノックする寸前聞こえてきた会話に目を丸くする。
だって。でも。そんな。木兎くんが、本を、読みたいって、そう、言ってた、よね?
目の前が真っ白になっても、中から聞こえる会話だけは聞こえてくる。
「木兎が本読んでたときは、天変地異の前触れかと思ったわ」「てんぺんちい?なんだそれ?」「…まあ、それだけありえない事ってことだよ」
耳に届く会話が、知らず知らずのうちに目頭を熱くして、気がつくと、両目から何かが頬を滑った。
「あれ?苗字先輩…?」
『っぁ……ご、ごめんなさいっ!』
「っえ、ちょっ」
不意に声をかけてきたのは赤葦くんだった。あ、今来たんだ。どこかぼうっとそんな事を考えてから、ハッとして、零れ落ちた涙を拭うこともしないまま、その場から走りだすと、呼び止めるような声が聞こえてきた。
それに、振り向かなかったことを、許して欲しい。
『(嘘、だったんだ…)』
走って走って走って、漸く校門をたどり着き足をとめる。荒くなった呼吸を整えるため、大きく息を吸うと、また、涙が落ちる。
そういえば、なんで泣いてるんだろう。
制服の袖口で、少し乱暴に目を擦ると、小見くんの声がやけに鮮明に頭の中に響いた。
“まあ、嫌いなもんを簡単に好きにはなれないわな”
…そっか。木兎くん、本を読むの嫌いだったのか。
自嘲気味に笑ってしまうのは、自惚れていた自分に呆れたからだろう。
よく考えれば分かるのに。図書室に来て、本を読む彼はいつだった眉間に皺を寄せて、難しそうにしていたじゃないか。それに、木兎くんは、教室で静かに本を読むより、今日見たように、外で走り回っている方がずっと似合う。
馬鹿だなあ、私。でも、それでも。
『…嬉しかったのにっ…』
地味で大して取り柄もないような私が、本を読むという事を通して、木兎くんと少しずつ仲良くなれたら。そう考えると図書委員の仕事が楽しみになった。昼休みに、彼に会えるのが、待ち遠しくなった。楽しそうに笑ってくれるだけで、それだけで、良かったハズなのに、それなのに。
今、嘘をつかれたのだと知って、酷く傷つく自分がいるのだ。私の相手をしていたのだって、きっと、何かの気まぐれなのだと思うと、心臓の辺りが痛くて痛くてたまらない。
この痛みに名前をつけるなら、これは、きっと。
『(恋、だ)』
そっか、私、木兎くんが好きなのか。
そしてこれは、赤葦くんの問いの答えでもある。赤葦くんはわかっていたのだろうか。私が、木兎くんに惹かれていることに。だとしたら、どうして彼はあんなことを聞いてきたのか。
『(…別に、そんなこと関係ない、か…)』
どうせ、諦めなくてはいけないのだから。
失って気づくとはよく言うけれど、私もその一人だ。これが恋だと分かっても、私には、木兎くんを好きだという資格も、度胸すらない。
だからせめて、せめて、早く終わらせよう。この恋に、ちゃんとケジメをつけて、そして、木兎くんと関わるのもやめよう。
そうすれば、木兎くんだって、嫌いな読書をしなくて済む。つまらない私なんかと、一緒に居なくて済むのだ。
『……好きです、木兎くんっ……』
届くことのない想いを空に向けると、まるで私の涙のように、冷たい雫が空から落ちてきた。
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