forth
“ありがとう、木兎くん”
その笑顔を向けられた瞬間、俺の中に何かがストンと落ちた。そっか。これが恋に落ちるってことなのか。
妙に納得してしまったあの時の俺は、一体どんな顔をしていたのだろうか。
『こんにちは木兎くん』
「お、おう!!」
本を持って図書室へ行くと、苗字が笑顔で迎えてくれた。グルリと部屋を見る限り、他には誰もいないらしい。他に誰もいないと苗字が沢山喋ってくれるから、今日はいい日だ。
左手に数冊の本を抱えて、右手で1冊1冊棚に戻す作業をしている苗字に近づいて、抱えていた本を取ると、驚いた顔をしたあと、苗字は嬉しそうに笑って「ありがとう」と言った。
あ、そっか。俺が本持ったから礼言ってくれんのか。単純にこの方が苗字の傍に居れるからしたのだけれど、まあいっか。
『あ、木兎くん、その本読み終わった?』
「え!?…い、いや、まだ…」
『部活もあって忙しいもんね。無理して読まなくていいからね?』
「む、無理じゃねえし!!苗字がわざわざ選んでくれたんだから、ちゃんと読むよ!!」
『そ、そう?』
「おうっ!」
『…ふふ、ありがとう。でも、図書室であんまり大きい声出しちゃダメだよ』
あ、また笑った。クスクス笑いながら人差し指を唇の前にたてる苗字に慌てて「ごめんっ」と謝ると、何が面白いのか、また小さく笑われてしまった。
まあ、なんでもいいや。苗字が笑ってんならそれで。
『でも意外だった。木兎くんが本に興味あるなんて』
「そ、それは…」
『あ、変な意味じゃないよ?木兎くんが本読みたいから教えてって言ってくれたとき、嬉しかったんだよ?私、本読むの好きだから、木兎くんも本読むって知れて良かった』
「は、ははっ…ま、まあな!」
グサグサと何かが胸に刺さっていく。なんだこれ。スゲエ胸がいてえ。
話題を変えようとして、思い浮かんだのはつい最近でのバレー部でのこと。そういや、苗字に彼氏いるのか知らねえんだった!
「苗字!」
『っ!?え、な、なに?』
「彼氏!いるの!?」
『え!?か、彼氏!?』
驚いたのか目を丸くする苗字。はっ!またでかい声出しちまった!
慌てて口を抑えると、そんな俺を見た苗字も同じように口を抑えて、キョロキョロしだした。
「…あ、そっか」「?」「今、私たちだけだから大丈夫だね」
少し照れくさそうに笑って手を放した苗字。そんな彼女に倣って手を離す。「どうなんだ??」質問の応えをもう一度尋ねると、耳まで赤くなった苗字は顔を俯かせた。
『…か、彼氏なんていないよ…できるハズないし…』
「!!ホントか!?」
『え?あ、うん。本当だけど…』
ついついガッツポーズをしてしまうと、怪訝そうに眉を寄せられてしまった。
慌ててゴホンと咳をして誤魔化したけれど、それでも苗字は、どこか不満そうに唇を尖らせている。思わず唇を見て、柔らかそうとか、キスしてえとか思うのは…なんていうんだっけ…?ああ、そう。フカコウリョクだ。
『人に彼氏がいないの喜ぶなんて、木兎くんって少し意地悪だね』
「はっ!?ちがっ…!そ、そういうわけじゃ…!」
『…ぷっ…ふふ、冗談だよ。でも、どうしてそんなこと気にするの?』
「…それは…えっと…そう!あれだ!俺の友達の友達の友達に頼まれて!」
『え?お、お友達のお友達のお友達さん?』
「そうそう!友達の友達の友達の友達…あれ?だよな?」
『っあははっ…もう、木兎くんて面白いんだから』
あ、やっぱり今日はついてる。苗字がメチャクチャ笑ってくれる。柔らかく静かに笑うのもいいけど、こうして声をあげて笑うのも好きだ。
ジッと苗字の笑顔を見ていると、それに気づいたのか、目が合うと慌てて顔を逸らされてしまった。
え、俺なんかした?
『…ぼ、木兎くん、そんなにじっくり見られると恥ずかしい…かな…』
「え?あ、悪い。苗字が笑ってるの見るの好きなんだよ」
『…私も、木兎くんが楽しそうにしてくれるのを見るのは好きだけど…見られると、ちょっと困る』
「…気をつけます?」
『…ふふ、なんで疑問形なの?』
そう微笑むと、また棚に本を戻し始めた苗字。
作業が始まれば、苗字は本と棚にばかり目をやるから、喋るのも相槌程度。けど、俺の話はちゃんと聞いてくれているし、苗字の横顔を見るのは嫌いじゃない。それに、仕事してる間は、どんなに見てても怒られることはない。
この前耳朶に黒子見つけて、つい触っちまったときはちょっと怒られたけど。
少しして本の片付けが終わると、漸くカウンターの内側へ入り、椅子に座る苗字。その向かい側にパイプ椅子持ってきて座るのが俺の定位置。
他に生徒がいるときにそこに座ったら司書?のセンセーに怒られたけれど、ここが1番好きだ。
『そういえばね、木兎くん』
「?どうした?」
『今日小見くんに、“バレー部の勉強会に来ないか”って誘われるたんだけど…』
「…え、マジで!?」
『う、うん。それで、その…私、行ってもいいのかな?邪魔にならない?』
「邪魔じゃねえし!むしろ来てください!!」
『ふふ、なんで敬語なの?…でも、キャプテンさんからもオッケー貰えたし…行こうかなあ…』
うおおおおおおお!マジか!!マジでか!!小見のやつナイスプレーじゃねえかよ!!
テスト期間は部活出来ねえし、おまけに図書室にも人が増えるらしいからお呼びじゃなかったが、今は、今すぐにでも来て欲しいくらいだ。
今度は表に出さずに内心ガッツポーズしたつもりだったけれど、またしても俺は苗字の前で思いっきりガッツポーズをしていた。しかも両手で。
慌てて腕を引っ込めたけれど、苗字にはバッチシ見られてしまったらしく、またクスクスと楽しそうに笑われてしまった。
ああ、早く好きだと言っちまいたい。
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