34 復讐の黒板
「あ!おはようございます!苗字先輩!」
『あ、おはよう。高尾くん』
朝、玄関で上履きにはきかえた所で、高尾くんに会った。
元気よく挨拶をしてくれる彼に、笑って返すと高尾くんが隣に並んできた。
それから、途中まで一緒に行って、別れるところで「明日の試合、よろしくですよ!」と高尾くんが確認するようにいってきた。
そういえば、見に行く約束だった。
「うん、分かった」と返してから、彼と別れて教室へ向かうと、なんだか視線を感じる。
不思議に思いながら自分の教室の扉を開けると、黒崎くんが目にはいった。
『黒崎くん、おは…』
おはよう、そういつものように挨拶をしようとしたのに、言葉が途切れる。
目を丸くした黒崎くんの見つめる先。
そこには黒板に張られたある新聞記事と、白いチョークで書かれた大きな文字。
“苗字名前は人殺し!!”
『な、…んで……』
「っ!苗字っ…」
黒板に釘付けだった黒崎くんが、ようやく私の存在に気づいた。
ダメ、彼の目を見ちゃダメ。
きっと、アノ人たちと同じ目をしてるに決まってる。
突き刺さる回りからの視線に逃げるように教室から出ると、後ろから黒崎くんの声がした。
それも聞こえないふりをして、駆け出すと誰かにぶつかった。
「…名前…?」
『っ』
ぶつかった相手は総悟くんだった。
前にもこんなことあった気がする。
でも、今日は謝っている暇なんてない。
総悟くんから視線をそらして、また走り出すと黒崎くんと同じように総悟くんからも声をかけられた。
振り返ることができない私は、弱虫なのだろうか。
逃げるように教室から出ていった苗字の背中は、酷く小さく見えた。
愕然としたまま固まっていると、アイツが出ていってから開きっぱなしだった扉から総悟が入ってきた。
「…っ、なんでぃ…これ…」
奇妙なものを見るように俺を見た後、総悟の視線は黒板に移り、瞳に嫌悪の色が映った。
苗字に対する嫌悪じゃない、こんなことをした奴に対する嫌悪だ。
ギリッと奥歯を噛んだ総悟は、鞄をその辺に投げると、黒板に貼ってある新聞を取り去り、文字を消し始めた。
「…総悟、」
「…アイツは、こんなことす?やつじゃねぇ」
迷うことなくそう言った総悟に驚いた。
と、同時に笑ってしまう。
お前、やっぱスゲェよ、総悟。
他の奴等はもちろん、俺だってどうすればいいのか、なんて考えちまった。
けど、総悟は違う。
どうすればいいのか、なんて考えることなんてしない。
総悟の中には“苗字を信じる”って選択しかなかったんだから。
「そうだな」と笑って、総悟と同じように黒板の文字を消し始めると、ドタドタと廊下から足音が聞こえてきた。
「名前は!!??」
「お前ら…!」
入ってきたのは恋次や春野たち。
珍しくシカマルも慌てた様子でいる。
心配そうに此方を見てくる春野たちに眉を下げると、それで何かを感じ取った春野たちは泣きそうな顔をした。
「黒崎っ!」
「に、仁王先輩…」
春野たちを押し退けるように入ってきたのは仁王先輩やその他の3年生たち。
「苗字は!?」と焦って聞いてくる先輩に首をふると、仁王先輩は拳を握ってドアを殴った。
この人にこんな顔させんの、アイツだけだ。
やりきれない様子の先輩を見ながら、そんなことを考えてしまうと、先輩たちが入ってきたのとは反対のドアが開いた。
「…黒崎先輩、」
「赤司か…」
消しかけの黒板を見た赤司は少し眉を下げたあと、小さく「…やはりな」と呟いた。
ちょっと待て。それ、どういう意味だよ?
そう聞こうとすると、俺よりも早く総悟が先に動いた。
「どういう意味でぃ?」
「…いつか、こうなるかもしれないという予測はしていました」
「予想してたって…」
「俺は、彼女がこの学校へ初めて来たとき、一番始めに彼女と出会いました。けれどそれは、偶然ではありません。彼女がどんな人物か、それを見極めるためでした」
なんだよ、それ。
どうしてそんなことする意味があったんだよ?
そんな俺の視線に気づいたのか、赤司は少し笑って眉を下げた。
コイツにしては珍しい表情だ。
「彼女が前の学校でどんなことを起こしたのか、生徒会の跡部会長と、それに副会長の俺は元々知っていたんです。だからこそ、見極める必要があった。この学校にふさわしいかふさわしくないか」
「…で?てめぇの見立てでアイツはふさわしくなかったのか?だからこんな真似して…!」
「まさか。むしろ逆です」
「…逆?」
今にも赤司に殴りかかりそうな総悟。
そんな総悟に動揺することなく、堂々と首をふる赤司に春野が怪訝そうに眉を寄せた。
「人を見る眼はあるつもりです。俺は彼女を“ふさわしくない”なんて判断していません」
「じゃあ、誰がこんな…」
「一人ではありません。この教室と同じように全ての教室の黒板がされていましたし。」
全ての教室が、つまり、全校生徒に行き渡るようにしてあるというのか。最悪だ。
見知らぬ犯人相手に拳を握っていると、何がおかしいのか、赤司が笑みを溢した。
こんなときに何笑ってんだよ!
そんな意味を込めて赤司を睨むと、「大丈夫ですよ」と赤司が口元を引き上げた。
「犯人は大方分かっています」
「は!?マジかよ!?」
「はい。ですが、今はそんなことよりも苗字先輩のほうが心配です。彼女がこの学校に転校してきたのは、その記事がきっかけですし」
「けど…こんな名前も出されてない記事で、どうやって…」
「ネットで知ったんやろ。一部では名前も顔も曝されてたしな」
財前の言葉にその場がシンッと静まった。
どうするか。先ず何をすべきか。
未だに落ち着かない頭の中を整理していると、隣にいたはずの総悟が、いつのまにか放り投げた鞄を拾って教室の扉に向かった。
「総悟?お前、なにして…」と総悟に尋ねると、真っ直ぐな、けれどどこか怒りを孕んだ目と眼があった。
「追いかける。それ以外、何があるってんでぃ」
「お前…」
「このまま、いなくなられるなんてごめんでさぁ」
今日は総悟を見直してばかりだな。
自嘲気味に笑ってから、総悟のあとを追おうとすると、総悟が開けようとしていたドアが勝手に開いた。
いや、勝手に開いたというより、廊下側から開けられた。
「たくっあのババア人使い粗いっつーの…」
「さ、坂田!…先生…」
「おうおう、勢揃いで込み入ってるとこ悪ぃが、とりあえず…今日は苗字に会いに行ったりすんな」
「は!?」
担任の言葉にすっとんきょうな声をあげると、坂田は面倒そうに頭をかいた。
「さっき、学校から出る前に一応捕まえたが…今日はダメだ。“そういう”状態じゃねーの」
「や、けどよ!」
「今、無理矢理話したところで、アイツには何も届かねぇっつってんだよ」
坂田の言葉に、全員が押し黙るなか、赤司の口がゆっくり開いた。
「…では、彼女が落ち着いてからならいいということ、ですね?」
「そーゆーこと。他の奴等もいいな?」
念を押すように言ってくる坂田に渋々頷いてみせると、小さくため息をはいてから「んじゃ、全員各教室に戻れ。んで、この下らねぇ黒板の文字を綺麗にしろ」と言って、坂田は教壇に立って消しかけの文字を消し始めた。
その日の授業は何一つ頭に入ってこなかった。
それはきっと、他の奴等も同じだろう。
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