88話 赤葦 の 想い
“赤葦はさ、名前ちゃんのことどう思ってる?”
夏の1週間の長期合宿を終え、烏野の人達を見送った後のこと。不意に雀田さんに問われた問いに脳裏には、まるで花が咲くように笑う苗字の顔が過ぎった。
セッターをしてる所以なのか、ポーカーフェイスは割と得意だ。
「いい子ですよね」と当たり障りなく返す内心では、心臓がやけに高鳴っていた。
『へえー…これが五重塔…』
ほうっとした表情で上を見上げる苗字。目が輝いて見えるのは気の所為ではないだろう。
『日本史の授業で資料だけは見たことあるけど…実物ってやっぱり違うね』
「そう?」
『うん。なんかこう…神々しい、みたいな?』
「…ふふ、神々しい、か」
『あ、今ちょっと馬鹿にしたでしょ?』
「田舎者イジメはんたーい」と冗談混じりで口をへの字に曲げる苗字に、更に笑ってしまうと、それにつられてように彼女も笑顔を見せてくれた。
苗字は、表情が豊かだ。コロコロと変わる表情は見ていて飽きないし、何より、その中でもよく見せてくれる笑顔がとても眩しい。もっと見ていたい、なんて、俺らしくないだろうか。
一頻り顔を見合わせて笑っていると、「見てみて、あそこのカップル可愛いね」と後ろから小さな声が聞こえてきて。それに気づいたのかハッと表情を変えた苗字は次の瞬間には顔を真っ赤に染め上げた。
「…顔、赤いね」
『だ、だって、今、その…か、カップルなんて、言われたから…』
「まあ、そう見えると思うよ。こういう観光スポットに2人で来てるわけだし」
『…なんか、ごめんね』
え。どうしてここで謝るのだろうか。
不思議に思い首を傾げると、申し訳なさそうに眉を下げた苗字が赤い顔をそのままに、ほんの少し俯いた。あ、この顔。まるで、あの時みたいだ。事故でキスをしてしまったとき、謝ってきた、あの時みたいだ。
「なんで謝るの?」
『私なんかとカップルに間違われて、申し訳ないなって…』
「別に謝る事じゃないよ。苗字は何も悪くないんだし。それに、」
『それに?』
「…少なからず、ラッキーだなんて思ってる俺の方が申し訳ないよ」
『え?』
ポツリと呟いた台詞。小さな声で言ったため苗字には聞こえなかったのだろう。「今なんて?」と首を傾げられた。
「何でもないよ」「そう?」「うん、そう」
とさらりと誤魔化すと、苗字はどこか納得出来なそうにしながらも、それ以上は追求して来ない。これも彼女の良いところなのかもしれない。
少し眉を下げる彼女の手を徐に握り、「次に行こうか?」と顔を覗き込むと、目を丸くして顔を赤くした苗字が気まずそうに視線を彷徨かせた。
『…あ、あの、赤葦くん?』
「なに?」
『えっと…なんで、手を…』
「ああ、俺たちまではぐれたら大変だろ?だから、この方が安心かなって」
つらつらとそれらしい事を言うと、呆気なく「それもそうだね」と信じてしまう辺り、苗字は本当に危機感がない。以前月島が言っていた意味がよく分かる。
嘘、ではない。はぐれたら大変だとは本当に思っている。けれど、手を繋いだのはそれだけが理由じゃない。繋ぎたかったらから繋いだ。
もし、そう言ったなら、彼女はどんな顔をするだろうか。また顔を真っ赤に染めるのだろうか。
『?赤葦くん?どうしかしたの?』
「っえ?」
『なんだか心ここにあらずって感じだったから…。人に酔っちゃったなら、少し休もうか?』
「大丈夫だよ」
『ううん、休もう?赤葦くんが体調崩したりしたら、みんな心配するよ』
「行こう」と今度は苗字が手を引いて歩き出し、引かれるがままに彼女に付いていく。
軽く座れる所を探して、見つけたベンチに腰掛けた彼女は、ポンポンと隣を叩いて座るように促してくる。苦笑いを零して、ゆっくりと隣に座れば、苗字がホッとしたように微笑んだ。
『何か飲み物買ってこようか?』
「いや、本当に平気だから。さっきはちょっと考え事してただけで、」
『考え事?もしかして何かに悩んでるとか?』
「……悩み、かどうかはよく分からないんだけど、」
好きな子が、いるんだ。
そう、言ってみせると、苗字の目が大きく見開いた。
『好きな、人?』
「うん、そう。好きな人」
『そうなんだ…。ちょっと意外かも』
「なんで?」
『赤葦くんは、何ていうか…恋愛とかそういうのでも、こう…サラッと上手く立ち振舞えそうだなって思って』
「…そんな事ないよ。実際、ちゃんと誰かを好きになったのだって、これが初めてかもしれないし」
中学時代も高1の時も、彼女と呼べる存在はいた。だから、ある程度そういう経験がないわけじゃない。なんとなく彼女達の事を好きになっていたような気もする。
けど…こんなに欲しいと思ったのは、初めてだ。この子の隣に居るのは自分がいいと、そう望んでしまうのは、初めてだ。
眉を下げて緩やかな笑みを浮かべると、それを見た苗字が柔らかく目尻を下げた。
『素敵だね』
「え…?」
『そんな風に、誰かを好きになれるって素敵な事だよね』
破顔して笑う苗字に、小さく息を呑んだ。
「…そう、かな?」
『そうだよ。…赤葦くんがそんなに好きになるって事は、きっとその子も素敵な子なんだろうね』
「…うん、素敵な子だよ。頑張り屋で、優しくて、よく笑ってる。それに、」
“この手が、梟谷を支えてるんだね”
「……欲しい言葉を、くれたんだ」
『欲しい言葉?』
「うちは3年主体のチームで、レギュラーで一二年は俺と尾長だけ。だから…少し、不安もあったんだ。先輩たちの足を引っ張ってるんじゃないかって。でも、その子が、俺の手が梟谷を支えてるって言ってくれて…すごく、嬉しかったんだ」
『そっかあ…やっぱり、凄く素敵な子なんだね』
もしかしたら気づかれるかもしれないと思ったけれど、あの時の言葉を覚えていないのか、それともかなり鈍いのか、苗字は何の違和感も持たなかったらしい。なるほど、強敵だ。
小さく笑って「そうだね」と返すと、優しく頬を緩めた苗字がゆっくりと空を仰いだ。
『届くと、いいね。その子に、赤葦くんの気持ち』
「…届かせる、つもりだよ」
空からこちらへ動いた視線。いつかこの視線を独り占めすることが出来るだろうか。
目をあわせて微笑み合う俺たちの所に、はぐれていた木兎さんたちが突撃してくるのはそのすぐ後だった。
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