50話 二口 と マッサージ
「名前ちゃんは覚えが早くて助かるよ」
優しく笑ってくれるのは最近お世話になっている岡先生である。
コーチの紹介してくれた岡埜さんという整体師さんは、嫌な顔1つせず丁寧に私を指導してくれている。
「先生のおかげですよ」と返すと、岡先生はいやいやと首をふった。
「部活で疲れてるのに、毎日毎日ここに通ってる名前ちゃんの力だよ」
『あ、ありがとうございます…』
なんだか恥ずかしくなってしまう。
少しだけ熱くなった頬を隠すように下を向いたとき「こんちはー」とお客さんがきた。
この時間に来るなんて珍しいな、とそちらを見ると思わず目を見開いてしまった。
「おや?二口くん、久しぶりだね」
「どもっす」
ペコリと岡先生に頭を下げた二口くん。
その様子を見ていると「名前ちゃん?どうかした?」と岡先生が心配そうにあたしを見てきた。
すると、それにつられて二口くんもコチラを見てきて、彼も同じように目を見開いた。
「なっ…苗字!?」
『こ、こんばんは、二口くん』
驚いて声をあげる二口くんに、とりあえず挨拶をすると「あれ?知り合いなの?」岡先生もちょっとだけ目を丸くした。
『お互いバレー部なので、前に試合で…』
「ああ、なるほど」
「苗字、どっか悪いのか?」
心配そうに眉を下げて聞いてきた二口くんに、違うよと首をふる。
まぁ悪いところもあるのだけれど、ここに通ってる理由は別だ。
『マッサージをね、教えてもらってるの』
「…マッサージ?」
『うん』
へぇ、とちょっと感心したように返してくれる二口くんにえへへと笑っていると、そうだ!と何かを思いついたように岡先生が手を叩いた。
「名前ちゃんがしてあげなよ。二口くんのマッサージ」
「え」
『ええ!?な、何言ってるんですか!?』
「でも、そろそろ実践してみた方がいいしね。その代わり今日はただでいいからさ」
「どうかな?」と二口くんに首を傾げる岡先生。
いくらなんでもまだ素人に毛が生えた程度の人間にされるのは嫌に決まっている。
二口くんの代わりに断ろうとすると
「いいっすよ」
『ええ!?』
「はは、決まりだね」
「荷物はそこの棚に入れて、こっちに来てね」「はい」私の意見を聞かずにドンドン話を進める二人。
どうしよう、と固まっているとポンっと岡先生に肩を叩かれた。
「大丈夫。教えた通りにしてごらん」
『でも…』
「君の先生を誰だと思ってるんだい?」
『お、岡先生です』
返答に満足したように笑った先生は大きく頷いて「自信を持ちなさい」と背中を押してくれた。
それに頷き返してみせてから、二口の元へ行った。
ここの売りは岡先生自らが時間をかけてやるマッサージだ。
もちろんお客様が待っている間にできる、マッサージ用の機器もあるけれど、やっぱり皆先生のマッサージ目当ててくるらしい。
学校の保健室のように、いつもはカーテンで仕切られている5つほどあるベッドは他のお客さんがいないので今日は全部開け放たれている。
一番右側のベッドに腰かけてネクタイを緩めている二口に「よ、よろしくお願いします」と頭を下げると、「んな固くならなくていいっての」と呆れたように笑われた。
「んじゃ、頼む」
『う、うん』
岡先生は横にたって見ている。
緊張を解すために大きく息をはいてから、ソッと二口くんの背中に手をおいた。
それから、岡先生に教わった通り、力加減を間違えないように筋肉を解していると「おおー」と二口くんが感心した声をあげた。
『な、なに?痛かった??』
「いや、岡埜さんとあんま変わんねぇなって」
『ほ、ホント?』
「おお、気持ちいいよ」
良かった。
嬉しくて緩んでしまった顔のまま岡先生を見ると、先生も笑い返してくれた。
「それじゃあ名前ちゃんに後は任せるよ」
『はい』
「若い二人でごゆっくり」とまるでお見合いのときのような言葉を残してカーテンを閉めた岡先生。
それに苦笑いしていると、うつ伏せになっている二口くんの耳が赤くなっていた。
「二口くん、もしかして暑い?」「は!?」「!い、いや、その…耳が赤いから…」「え、あ、あー…そうかも」「冷房いれる?」「…冷房じゃ意味ない気がするからいいよ」「?そうなの?」「あー…うん。だから気にしなくていいよ」
二口くん、よっぽど暑がりなのかな。
「分かった」と返してから、マッサージの場所を腰のあたりに返ると、「あーいいわ、そこ」とリラックスした声で言ってくれた。
『腰が痛いの?』
「あー…うん」
『背が高い人って、腰とか膝とか痛めやすいもんね』
よし、頑張ろう、とさっきよりも気合いを入れてマッサージをしていると、二口が徐に口を開いた。
「…俺さ、新キャプテンになったんだよ」
『え!凄いね!!』
「…けどなんか…全然うまく立ち回れてない気がしてさ」
少しだけ声のトーンを低くして話す二口くん。
ああ、悩んでいるんだな。
「メチャクチャ手のかかる後輩もいるし…俺、このままやってけんのかなぁ…」
『…いなくなるとさ、余計に分かっちゃうよね。先輩の凄さって』
「…そうだな。茂庭さん、なんだかんだで俺たちのことまとめてくれてたしな」
『…でもさ、その凄い先輩達が二口くんをキャプテンに推してくれたんだよね?』
「っ」
『最初からうまくできる人なんていないよ。二口くんは二口くんのペースで少しずつできるようになればいんじゃないかな』
「はい、腰のマッサージ終了」ポンと腰を叩いて、次は足のマッサージをしようとすると、今までされるがままだった二口くんの体が動いた。
あれ?と思っていると、二口くんは起き上がっていて、ベッドに腰かけるように座っていた。
何か悪いことでもしてしまっただろうか。
慌てて謝ろとすると
『っえ…』
「っ」
腕を捕まれたかと思えば次の瞬間、腰に彼の腕が回され引き寄せられた。
…て、これって…抱きしめられてる!?
驚きで固まっていると、二口くんの顔が肩口に埋められた。
『あ、あの…!』
「ごめん…なんか、こうしたくなった」
グッと込められた力。
その腕が、ほんの少しだけ震えているのに気づいた。
誰だって主将という立場に責任を感じないわけがない。
きっと不安で人肌が恋しくなったのだろう。
ゆっくりと二口くんの茶髪は撫でると、ピクリと彼の肩が揺れた。
『私は、主将になったことがないから、根拠のないことしか言えないけど……、そんな風に悩むってことは、二口くんがチームの事を考えてるってことだよ』
「っ」
『部員の人達だって、きっとそれを分かってくれる。だから…大丈夫』
「大丈夫だよ、」と言って、さらさらな髪を撫でてあげると、二口くんの腕の力がほんの少しだけ緩んだ。
離れようとしてるのだと思い、彼の頭から手を下ろすと、今度はその手を捕まれた。
『あ、あの…二口くん…?』
「…苗字さ、メチャクチャお人好しだとか言われね?」
『え?』
「いや…やっぱりなんでもない。
…ありがとな、アドバイスしてくれてさ」
『あ、アドバイスだなんてそんな…けど、二口くんの役に立てたなら良かった』
ホッとして笑顔を溢すと二口くんも目を細めて笑った。
彼もこんな顔をするのか。
やっぱりイケメンさんだなぁ、と思っていると、その綺麗な顔がだんだんと近づいてきた。
え、と口に出そうとしたとき
『…ん、!?』
「っ」
唇に感じた柔らかな感触。
前にも一度だけ経験のあるそれに、心臓が痛いくらいに音をあげた。
ちょっと待って、これって…
『っ!!な、なななななななんで!』
「え?なんでって……したくなったから」
『は???』
「あーけど勘違いすんなよ。したくなったからって誰にでもこんな事したりしないし」
それってどういう意味ですか。
そう聞きたいのに口がうまく動いてくれない。
そんな私を見て、フッと笑った二口くんは治療用のベッドから降りてカーテンの外へ出た。
「あれ?終わったのかい?」「はい、これお代っす」「え?今日はただでいいよ?」「いえ、マッサージの他にプラスアルファしてもらったんで」「え?」「いや、こっちの話です」
にこやかに岡先生と話す二口くんは、まるでさっきの事なんてなかったように普通である。
ゆ、夢だったのだろうか。
驚いた顔のまま二口くんの様子を見ていると、「苗字、」ひどく優しい声で彼が私を呼んだ。
「…また、頼むな」
『っ…ま、マッサージなら…』
フッと意地の悪い笑みを残した二口くんは、そのまま店から出ていってしまった。
今度彼が来たら、どんな顔をして会えばいいのだろうか。
長い長いため息をついていると「名前ちゃん、顔真っ赤だよ?」とさっきの二口くんのように意地の悪い笑顔で岡先生に言われてしまい、慌てて否定したのだった。
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