シクラメンの雫
(ドレミで8のお題)
(わたしは、いとうさんがキライだ。)
─ぐちゃ
(わたしのダイスキなひじかたさんのテキだから)
─ぐちゃ、ぐちゃっ
(だから、キライ。)
(いとうさんなんか、キライ。)
形を留めていないカエルを左手で押さえ、私は右手を振り下ろす。
─ぐち、みちゃ
体液が、頬に跳ねる。
それを腕で拭う。
土に広がった赤は、カエルを泥で汚していく。
カエルが鳴かなくなったのは、もう何分も前の事だった。
─ぐちゃ
(しね)
─ぐちゃっ、ぐちゃっ
(しんでしまえ)
カエルを憎い奴に見立て、私は醜い肉塊に拳を振り下ろす。
私は土方さんに忠誠を誓ったのだ。
それなのに、伊東さんは土方さんを殺そうと、おとしめようとしている。
沖田さんのような、愛情の裏返しではない。
純粋に相手が邪魔で、けれど不純な、絆の裏切り。
わからない。
伊東さんは土方さんが憎いのか。
土方さんは伊東さんが憎いのか。
解らない。
─ギチ、ぐちゃ
分からないからこそ、私は伊東さんが嫌いだ。
(しんで、しまえ。)
「……何をしているんだい、君は」
潰す感覚すらなくなった元カエルを、ひょいと摘み上げて顔の前に持つ。
その視線の先に、奴は居た。
奴。すなわちそれは、会いたくない奴No.1の、伊東鴨太郎。
「それ、は……?」
私に握られた、グロテスクな塊を訝しげに見る。
それは何かと訊ねられたところで、どうにも答えられない。
だってこれは、カエルでしかないのだ。
ただ普通よりも醜くて、普通よりも薄くて
普通よりも、赤いだけの カエル 。
「……君が?」
私がやったのかと訊きたいのだろう。
両手が赤く染まっているこの状態を見て、私以外が犯人な訳があるか、普通。
─ぴちゃん
血が滴る。
伊東さんはそれに眉を顰(ひそ)めた。
(わたし、は、あなたがキライ。このカエルは、あなたよ)
私は伊東さんを見据え、手にしたカエルを投げ付けた。
肉塊は空中を弧を描きながら飛んで、
─びちゃっ
伊東さんにぶちあたる。
胸に赤い染みが広がった。
(まるで胸にナイフを突き立てたみたい)
そう思うと、心を包む黒い感情がチラチラと燃え出すのがわかる。
ひどく美しい血の染み。
カエルは重力に耐え切れずに、廊下へとダイブした。
「……何をするんだ、いきなり」
動じていないのか、冷静な声で伊東さんは言った。
私はそれに答えるように、にこりと笑う。
「死んでくれれば良いのに」
それは、私が伊東さんに向けた最初で最後の笑顔だった。
シクラメンと雫(目を丸くした伊東さんを、私はきっと忘れない。)
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