絡まる糸 03 がらりと扉を開けて入ってきた、長身痩躯で眼鏡の、冴えない容貌の教師。眼鏡を取れば顔はそれほど悪くはないのだけれど、物腰というか、雰囲気というかが、パッとしない。 それでも、恭介は太陽が昇ったみたいな笑顔になって振り向き、ナイフもパレットも放り出して、美術教師である彼──塩谷 涼平の胸に飛び込んだ。 「涼平!」 「こら、学校ではくっつくな」 「いーじゃん誰も来ねーし」 「あ、あの。じゃあ僕、帰りますね…っ」 猫のようにじゃれつく親友を見ているのが恥ずかしくなって、ぺこりと頭を再び下げると、美術室を後にする。 教室を出る直前に、少しだけ振り返る。 恭介を救い出したのは、あの教師なのだという。 もちろん、男でなくていい。 だが、霙にもそうした支えになる存在がいたらいいのにと、どうしようもなくお節介に過ぎないことを思い、隼人はそっと首を振った。 「お疲れぇー」 ぽん、と肩を叩かれて、遊糸は我に返る。 「──あ。お、お疲れ様です」 へらりと笑うのは、宝条 伊織。遊糸の敬愛する居酒屋アルバイトの先輩だ。美術系の大学の2年生だと言っていたはずだ。 少し癖のある銀色の髪が、甚平のような制服に妙に似合う。 「どないしたん。上がりやのに元気ないやん」 独特のイントネーションも、遊糸にとっては既に馴染みだ。彼はいつも笑っていて、だからなのか、彼といると自然と笑えるはずなのに。 今日は──今日からは、仕事が終ることが、苦痛で仕方ない。 何故なら家には、あいつがいる。 「先輩、」 「んー?」 声を掛けかけて、「…いえ。お疲れ様でした」やめた。逃げれば、また誰かが毒牙にかかる。 次は海か。それとも晶か。もしくは──この伊織とて、例外とは言えないのだ。 ──伊織先輩が、あんな、目に…? ぞっと背筋に冷たいものが走った。 巻き込めない。 あんな異常に、巻き込むわけにはいかない。 [*前] | [次#] 『カゲロウ』目次へ / 品書へ |