やがて少女は足を止めた。
そして数歩後ろにいた青年を振り返る。
その顔に表情はない。

少女は自分の向こうを指さした。
水路に浮かぶ一隻の小さな舟。
青年はゆっくり言葉を発する。

「これに、乗ればいいのかい?」

少女もゆっくり頷いた。
青年は慎重に舟に乗り込む。
それを見届けた少女は手にしていた風鈴を青年に差し出す。

「くれるのかい?」

青年の問いに少女はまた頷く。
青年は少女の手から風鈴を受け取って、ごそごそとポケットを漁った。
確かどこかに入れたはず。

そんな青年の姿を見て少女は首をかしげる。

目当てのものは胸のポケットから発見された。
青年はそれを少女の手に落とした。

「少し形が歪ですまないけどね、風鈴のお礼だ。」

少女は手に落とされたそれに目を落とす。

蚊取り線香、向日葵、蝉、紫陽花などを模して作られた針金飾り。

青年が暇つぶしに細々と作っていたものだ。
色とりどりのそれらに少女の目が輝いた。
やっぱり女の子はそういうものが好きなのだなと青年が思っていると、唐突に舟は動き出した。

「じゃあね、案内してくれてありがとう。」


青年が手を振れば少女はためらう様子を見せた。
その間にも舟は青年と少女の間を離してゆく。
青年は少女の様子に笑みを浮かべ前を向いた。



「――ありがとう」




鈴の音を転がすような、という形容が似合う声が後ろから聞こえて青年は振り返る。

しかし、そこは少女と歩いた薄暗い世界の水路ではなく、よく知る紫陽花の小道だった。

呆然と青年はあたりを見回すが、いつもの小道だ。

いつの間に時が経ったのか、東の野にまばゆい太陽が昇るのが見えた。
かえり見れば西の山の陰に月が沈みかけている。青年は小道を上る。

不意に風鈴の音が聞こえて手元を見れば、少女からもらった風鈴が風に揺れていた。
ああ、夢ではなかったのだ、青年は思う。
カギロヒに潜む夏の不思議であったと。


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