罪の忘却


「遅れてすまない!!皆無事か!!!!」

明朗快活な声。
燃えるような髪、炎柱様の志をそのまま写し取ったかのような、清廉な白地に炎模様の羽織。
爛々と輝く双眸が、私達を1人ずつ見据える。
炎柱様の堂々たる姿は、一瞬で私達の心を照らした。皆口々に「炎柱様!」と安堵の表情を浮かべ、私も例外ではなかった。
一人一人捉えていた視線が最後に私に向けられた時、見慣れた炎柱様の瞳に、思わずへたり込みそうになる。
私の手に握られた赤い打掛を見た炎柱様がこちらに向かって歩みを進め、私と獪岳さんの間にずいっと割って入った。まるで、獪岳さんと私の諍いを見ていたかのように。

「鬼については皆知っているようだな!!」

見回した炎柱様に、頷く隊士達。
皆の熱い視線を受け炎柱様は口を開いた。

「鬼討伐は、俺とこの女性隊員で向かう!
ここに来る途中、丙隊士が率いる小隊と遭遇した!!君達と同時刻に入った隊士達で間違いないな?」

「間違いありません!」

仲間は無事だったのかと、小さく湧く隊士達に炎柱様が片手で静止をかけた。

「君達は彼らに合流し、城の外へ生還しろ!!」

「で、ですが!我らも炎柱様のお力に…!」

「その心意気のみ受け取る!!
怪我人を連れ、城の外で待つ隠に手当てを受けさせてやれ!!」

炎柱様の言葉に、己の使命を見出した隊士達は荷物をまとめ、怪我人の隊士に手を貸し始めた。
先程まであんなに恐怖や絶望感に支配されていた表情が、今は使命を果たそうとそれぞれが決意に満ちている。
やっぱりすごいな、炎柱様は。そう思い炎柱様に顔を向けると、見開かれた瞳がじっと私を見つめていた。力強い眼力に少したじろぐと、ぐいっと近づいてくる炎柱様の顔。

「な、なんでしょう…?炎柱様。」

「………匂うな!」

「えっ……」

衝撃的な言葉に思わず固まる。一瞬で熱が集まった顔をじろじろと見る炎柱様。
匂う…?え、臭いってこと!?

「目を閉じていなさい。」

静かに囁かれた声に従うと、ゴシゴシと顔を何かで拭われた。まるで幼児の様な扱いに、またもや顔に熱が集まる。

「全く君は…よもや、あの外堀に落ちたとは言うまいな?」

その言葉に、城に入る前に顔にかかった堀の血を思い出した。
うそ…汚れはもう取れてると思ってたのに…。
うっすらと開けた視界には、優しく笑う炎柱様。
突如、私の顔を拭う炎柱様の腕を誰が掴んだ。

「俺も連れていってください。」

それは獪岳さんだった。恐れなど微塵も知らぬ顔で炎柱様の腕を掴んだまま、ちらりと私に視線を向ける。

「こいつは堀の血を顔から浴びる様な奴だ。
戊の俺の力が必要になる。俺も討伐に参加します。」

「君の実力では死んでしまうぞ!!」

幸か不幸か私と同じことを言う煉獄さんに、獪岳さんの瞳が怒りで見開かれた。だが柱に楯突くほど怖いもの知らずでは無いらしく、「わかりました。」と苦々しく返事をしたのち、静かに腕を離した。
その後、支度が整った隊士達が激励の言葉とともにその場を去って行った。

「なまえちゃん。
任務が無事終わったら、お休みの日に甘味を食べにいきましょう。」

「うん。」

最後にしずえさんがそう言い残し、私と炎柱様だけがこの場に残った。

「友人ができたのか!」

「はい。…初めての、友達です。」

面映さを隠しきれず、頬が緩む。
微笑ましかったのだろうか、炎柱様は優しげな瞳で笑みを向けた。

「良いことだ!戦場で築いた絆は何より深いものになる!切磋琢磨し合い、鍛錬に励むといい!!」

「はい!」

にっこりと笑った炎柱様が、大きな手で私の頭を撫でた。その手は、任務前に背中を押してくださった時と同じくらい暖かかった。






最上階へと移動中、あまりに炎柱様が私を見つめるものだから、堪らず口を開いた。

「あの、何か……もしかしてまだ匂いますか!?」

「よもや!違うぞ!
そういった格好も似合うと思ってな!!」

はっはっはっ!!と笑う炎柱様。「そういった格好」とは、この打掛を言ってるんだろう。
結を解いて流した髪に、この暗闇でも鮮やかに牡丹が咲く赤い打掛。普段、隊服か道着しか着ていないから、華やかな着物姿が新鮮に見えるのかもしれない。

「…ありがとうございます。でも、髪の毛を下ろしてるのは邪魔です。戦う時も絶対邪魔だし、任務終わったら切っちゃおうかな。」

「待て!俺は好きだが!?」

何故か少し慌てる炎柱様に、小さく笑いが込み上げた。
あぁ、だめだ。緊張感が無くて困る。
気を引き締めなければと深く呼吸をしたその時、ビリッと空気が変わった。
鬼の気配と、私たちに向けられた明確な殺意だ。

「……炎柱様。」

「あぁ。なまえ、俺の後ろへ下がれ。」

半歩後ろに下がり、炎柱様の大きな背に半身を隠す。まだ刀を抜いたらだめだ。鬼に私が『姫』だと思わせなければ。

「なまえ、鬼が現れても刀は抜くな。
『姫』を装ったまま、拐われた女性達を探せ。」

「はい。」

炎柱様が私を守るように刀を構えた瞬間、底冷えするような叫び声が、空気を城を揺らした。
声から滲み出る、悲しみ、憎しみの念が身体中の肌を粟立てる。ぐっと踏ん張っていないと体の芯から震えてしまいそうだ。
突然、目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。黒く渦巻いた箇所からにゅっと突き出されたのは、鬼の足。そこから段々と姿を表した鬼は侍のような出立ちをしている。返り血だろうか、血塗れの鎧姿は右腕がなかった。

「女性を拐ったのはお前か!!」

「姫から離れろぉっ……!!!!」

炎柱様の声には耳も傾けず、右腕が生えていたであろう肩口から勢いよく何かが伸びた。
カキィンッ!!
攻撃を受け流した炎柱様の刀から、火花が散る。その僅かな明かりに照らされたのは、下階で散々切った触手だった。でも、鬼の触手はそれよりも何倍も速い。
この鬼が触手鬼の本体だったのか。首を斬っても死なないわけだ。

「拐った者たちをどこへやった!?」

「姫を守るは俺が賜った御役目…!貴様は何をしている!」

「……聞く耳持たずか。」

鬼の怒りをそのまま現したかのように、荒ぶり猛った何十本もの触手がぐわりと鎌首をもたげた。
先端の鋭い爪々が一斉に私達に向けられ、暗い影を落とす。
ちゃき、と炎柱様が刀を構えた。

「炎の呼吸、伍ノ型!炎虎!!」

目にも止まらぬ速さで襲いかかる触手を、燃え盛る虎が咬み千切っていく。
後ろから僅かに見える炎柱様の表情は、普段と何ら変わらない。私だったら、これほど速く強い攻撃なんてせいぜい躱すのが関の山だ。殺されていてもおかしくない。
師の強さに感嘆していると、足元で何かが動いた。する、と床を這う細い触手が足首に巻きついている。切り落としたい衝動に駆られるも、「拐われた女性たちの元へ行けるかも」と思い、刀の柄に添えた手を下ろした。

「炎柱様!」

「よもや!?なまえ!!」

「このまま拐われた人達の所へ行きます!無事を確認したら救助を最優先で動きます!!」

「うむ!任せた!!」

気づけば触手は、足、腰、腕、胸、と身体中を拘束していた。爛々と輝く炎柱様の瞳にひとつ頷きを返し、背後で渦巻く空間へと引き摺り込まれたのだった。





一瞬で消えた戦いの喧騒に、無意識に閉じていた瞼を開ける。

「ここは…」

辺りを見回すと暗くこじんまりとした部屋だった。そして血の匂いが充満している。目を凝らせば、何人もの女の人が床に倒れていた。

「大丈夫ですか!?」

慌てて駆け寄り安否を確認するも、皆事切れてピクリとも動かない。
殺された…?ならば何故拐う必要があった?ここは、どこだ?
浮かぶ幾つもの疑問に頭を捻っていると、背後からまた鬼の気配が。拐われた人達が殺されている以上、もう姫を装う必要はない。刀を抜き振り返ると、先程の鬼が私を見据え立っていた。

「姫!あぁ…姫!!」

一歩踏み出そうとした鬼へ、全力の斬撃を繰り出す、が。全体重を掛けた一撃は鬼の素手により弾き返された。一瞬バランスを崩した私の身体をあっという間に触手が這い上り、がっちりと拘束される。それは僅か数秒の出来事で。
目の前に鬼の顔が現れ、ぐいっと顔ごと鬼の目線に合わされる。

「姫…あの夜の傷を、見せてくだされ…」

着物の襟を引きずり下ろされ、下に着ていた隊服を、頸から背中にかけて破られる。
私に覆い被さるように傷を確認する鬼の、生暖かい息が私の背中を湿らせた。

「あぁ…これだ、この傷よ…。
他の女どもは皆偽物だった……だが、今本当の姫がここに…」

爪の伸びた鬼の指が、私の背中をまさぐった。散々皮膚を撫で回した手が腰へと伸びた時、動きが止まる。

「…ここにも、傷が、ある……誰に付けられた!?
白い背に、俺の付けた傷がただ一つ…!!それが何より美しかったというのに!!!!俺の、精を腹にしまった、あの夜の傷を!!他の男で塗り替えたと言うのか!?!?姫ぇ!!!!!!」

悲痛な声と共に体を縛る触手が一層力を増して締め付けた。指一本でさえ動かせず、圧迫される肺には空気が入らない。ぎりぎりと骨が擦れる音が体内で響く。徐々に染み出してくる恐怖心に、心の奥底から声が聞こえた。

ここで死ぬの?
良かったねぇ、死にたがり
もう無様な「私」を晒さなくていいねぇ
え?なに?死にたくないって??
………でも死ぬよ?殺されるよ??
だって「私」弱いもの、糞雑魚だもの
強いのは私。「私」は弱い
大好きな炎柱様だってここにはいない
だーれも助けてくれない
あっ助けてもらう資格なんて「私」には無いか!
「私」は私だもんね?
私が踏みつけてきた人の命、「私」が背負ってくれるんだもんねぇ!
ならさっさと死ねよ
弱い奴は死ね
役立たずは死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね

「ぁ…ぁぁあああああああああ!!!!」

うるっさいんだよ人の頭の中で!!!!
死ねるか!こんな良くわからん気持ち悪い鬼に殺されて、炎柱様に顔向けできるか!!
弱い「私」に負けないって約束したんだから!
身体中を締め付ける触手を、全力にさらに力を込めて引き千切った。

「姫!!答えてくれ!!その傷はなんだ!!!」

私の葛藤なんて微塵も知らない鬼が、尚も問うてくる。傷がなんだ。私の身体は傷だらけなんだ。あんたら鬼が付ける傷よりも、もっと痛い、人間に付けられた傷なんだよ。

「人生、いろいろあってね…。
あんたがベタベタ触った背中と腰の傷は、奉公先の腐れ婆につけられたもんだよ。」

「奉公…?姫、何を言って」

「私はあんたの姫じゃない!!!!」

一閃した切先が、鬼の首を捉えた。弾き返されることもなく鬼の皮膚を裂く。だが浅い。

「この刀…お前、鬼殺隊士か!!
おのれ!!謀ったな!!!!」

至近距離から一気に触手が襲いかかってくる。
全力で地面を蹴り距離を取りながら避けるも、狭い部屋ではあっという間に壁に追い詰められてしまった。僅かな瞬きすら死角になる素早い攻めに防戦一方となるばかり。攻めに転じようと足を動かせば、大量の触手に足を、腕を取られ、どんどん四隅へと誘い込まれる。
息を吐く暇さえ与えられず、余裕の無い頭では打開策すら浮かばない。
猛攻を受け流していた刀に、触手が巻きついた。それはどんどん量を増していく。
……刀は捨てるか。とにかく動きを止めないと。
引いてもびくともしない刀を反動で押し返した。ぐらりと重心の傾いた鬼の左腕を狙い、刃を突き立てる。そのまま全力で鬼を押し切り、壁に鬼の腕を杭打ちにした。
ぐじゅり、と刀を尚も押し突いて、鬼を壁に固定する。刀に巻き付いた触手も、左腕も封じた。

「はぁっ…はぁっ…」

すっかり息が底をついた肺には中々空気が入らない。身体も重い。心の声が言った通り、「私」は弱いままだ。心の奥底に眠る私なら、簡単に鬼を倒せるのかもしれない。
ぶちぶちぶちっ!!!!
引きちぎる音が聞こえ、顔を上げた次の瞬間。
腹に高熱の穴が空いたような痛みが走り、視線を伏せると、左脇腹を数本の触手が貫通していた。

「あ’’っ…!!」

ずるっと引き抜かれ、崩れ落ちる瞬間、首に触手が巻き付きぐいっと持ち上げられた。
どくりどくりと血が溢れ出ていく感触がする。

「姫は、姫はどこだぁ!?!?」

「ぐっ、もう…とっくに死んだんじゃないの…?
ッ…ヒッ…」

ギチッと締まる触手に喉の空気が逃げていく。引き剥がそうとも爪を立てる隙間すらなく、ガリガリと表面を掻くばかりだ。

「違う!!死んでなど!!俺が、『姫を襲った』と介錯人に右腕を切られた時も…!姫は物見敷にいらした……!!笑っておられたでは…!
笑って……そうだ、それで、腹が立って」

ぐいっと触手に首を引き寄せられ、鬼の顔前に迫る。何かを思い出そうとするかのように、鬼の目が舐めるように私を見た。

「喰った…あぁそうだ…喰ったのだ、俺が。姫を!
あのお方がくれた鬼の力は素晴らしかった!泣きながら赦しを乞う姫と、俺はついに一つになったのだ!!」

叫ぶ鬼の目からは、大粒の涙が滴り落ちる。
首を絞める触手は一向に緩まず、思考は霞み、ただ脇腹の痛みだけが私を現実に繋ぎ止めてくれた。

「違う、俺は…姫のお側にいられればそれで良かったのだ……一つにならずとも、姫を守る御役目さえあれば」

そう言って固まった鬼。もうすっかり涙は止まっていた。虚な目だけが私を穴が空くほど見つめ続ける。霞む思考では数えるのもままならない程の時が流れ、そして一言、「姫はどこだ?」と呟いた。
私を見つめ続けた目に、段々と光が宿り、焦点が定まっていく。
突然触手が首から離れ、どさりと地面に落とされた。傷口を殴打し、血が溢れ出る。激痛が全身を走り身を捩る私に、鬼が覆い被さった。

「あぁ、姫、ここにおられたのか…目許も口許もそっくりだ……姫。」

鬼の左腕に刺さったままの刀。手を伸ばせば届く。痛みに儘ならない身体を叱咤し、刀を思い切り引き抜いた。

「姫…?ぐっ」

恍惚とした目で私を見下ろしていた鬼の頸に、刀を突き刺した。でも硬い。片腕の力だけじゃ、貫通しない。

「あんたは…何回その独白を繰り返してきたんだろうね……?
姫を喰ったことを思い出した途端、また忘れるのか。いいね、罪から逃げられる馬鹿な頭で……」

鬼の首から滴る血が、私の頬を、髪を濡らした。
あぁ、せっかく炎柱様が顔を拭ってくださったのに。また、汚れてしまった。
目前の鬼の顔は苦痛に歪み、哀れなほど悲痛な涙を浮かべ私を見ている。
きっとまだ私が姫に見えているのだろう。
その瞳に怒りが滲み始めた。
口からは飢えた獣のように涎が垂れている。
私も喰われるんだな、姫と同じ末路を迎えるのだろう。
怒りの咆哮を上げた鬼の、剥き出した牙がてらりと光った。
その時だった。

「炎の呼吸、壱ノ型!!不知火!!!!」

突然、破壊音と共に覆い被さっていた鬼が吹っ飛んだ。見知った技だ、聞き馴染んだ声だった。

「……炎柱様」

「怪我をしたのか!?なまえ!!」

崩れた壁から、炎柱様が姿を表したのだった。


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