雑魚の命



城内に足を踏み入れると、ひんやりと冷たい空気が肌に纏わりついた。
左右に長く伸びる廊下のその先は闇に呑まれていて、壁に点々と続く蝋燭が心許なく揺れている。
視覚から聴覚へと意識を移し、耳を澄ますも鬼の気配はない。
先頭を歩く勝浜さんが片手を上げたのを合図に、みんなの足が止まった。

「……ここからは、二手に分かれる。
先程決めた者たちと組め。何かあったら鎹鴉を飛ばすことを忘れるなよ。」

肩を並べていた獪岳さんと私の周りに身を寄せる数人の隊士たち。中にはしずえさんもいるけれど、その肩は小さく震えていて顔は血の気が失せていた。
勝浜さんが率いる組はいくらか気力が残っているが、それも虚勢のようなものだろう。
城に入る前、私たちは城内を探る情報収集組と命尽くまで前に進む突破組に分かれた。
階級上位3人のうち、丙の勝浜さんが情報収集組を、戊の獪岳さんと私が突破組を率いることとなった。隊士の中には突破組に決まり泣き言を漏らす者もいたが、「死神がどちらの組にいるか分からない以上、どっちに入ってもそう変わんねえぞ。」という獪岳さんの言葉にそれ以上口を開く隊士はいなかった。
組の目的はどうあれ、二手に分かれたのは正解だと思う。決して広くはない廊下が続くこの城内で、大人数で日輪刀を振るうのはかえって危ない。

「なまえちゃん……、私、し、死ぬ…かも…!ごめんね!」

ぐいっと私の袖を掴んだしずえさんが息も絶え絶えに声を絞り出した。
暗闇の中で、目の際に浮かぶ涙が光っている。
鬼、そして死神への恐怖が耐えられないほど込み上げてきているのだろう。喉から出かかった安易な慰めの言葉を飲み込んで、震えるしずえさんの手を握った。

「…私が守るよ。私が死ぬまで、しずえさんも皆んなも、守る。」

炎柱様が私に託した「責務」。
「強く、誇り高く、鬼に、弱い自分に立ち向かえ。」
私は命を懸けて全うする。そのために、今日まで厳しい訓練に耐えてきたんだ。
見つめた視線から私の覚悟を受け取ってくれたのか、手の震えが少し収まった。

「頑張ろう、ね?」

今にも落ちそうだった涙を白い指が拭って、微笑みを取り戻したしずえさんが「さすが、戊だね。」と笑った。
落ち着きを取り戻した彼女に胸を撫で下ろし、手を繋いだまま、先に歩みを進めている獪岳さん達を追う。

「なまえちゃんは怖くないの?」

怖い、なんて言えなかった。
鬼がじゃない。
ここに来てから、何人もの隊士の目が私を見つめた時から、ずっと。
この人たちの瞳が、冷たく、鋭く、私の心を刺し殺すその瞬間が怖くて堪らない。
今度こそ、また己の弱さに負けてしまうかもしれない。

「……ちょっとだけ、怖いかな。」

でももう逃げられないから。
きっと炎柱様も、私が挫けない様に責務を与えてくださったんだ。
共に歩みを進める隊士たち。誰もが恐怖を抱きながらも、打ち勝とうと己を奮い立たせている。
私も、私だって。
私は私のままで、みんなを守りきってみせる。もう二度と昔の私には戻らない。







ぎぃ、ぎしっ…。
城の急な階段を踏むたびに、木の軋む音が暗闇に響いた。
二階へと身を乗り出していた先頭の獪岳さんが、指文字で「鬼がいる。」と伝えてきた。一気に緊張感が走り、次の瞬間には始まるであろう戦いに皆が神経を尖らせている。
「続け」の指文字を掲げた瞬間、獪岳さんが地面を蹴った。私もしんがりの最後尾から全力で階段を駆け上がる。
広く開かれたそこには、大きな鬼がいた。
いや、鬼と言っていいのか。
もはや人の形は留めていない大きな化け物が、斬りかかる隊士たちに、おぞましい爪の生えた触手で殴りかかっている。

「きゃ…!」

「しずえさん!!」

爪を避けきれず体勢を崩したしずえさんに、翻った触手が大きく爪を振りかざした、けど。
私の方が速い。
抜刀の勢いそのまま触手を切り落とし、しずえさんの前に立ちはだかった。

「なまえちゃん…!」

「っ!!」

しずえさんに声を掛けようと上げた視界に、触手に高く吊り上げられた隊士が映った。
ぐわりと振りかざされた触手が今にも隊士を床に叩きつけようとしている。
全力で床を蹴り、一気に跳躍した。太い触手が目前に迫る。それを一刀両断したのち、落ちる触手を蹴って隊士を抱え、なんとか着地した。
迫り来る触手を日輪刀で薙ぎ落としながら、たった1人本体に斬りかかる獪岳さんを目で追った。
他の隊士たちは触手のせいで近づくことも出来ないみたいだ。
ぬら、と嫌な汗が背中を伝う。

(戦いづらい。)

(仲間の姿が視界に映るたび、「助けなければ」と体が動く。)

(このままじゃ本体を攻撃できない。)

「弱え奴ァ下がってろ!!!!」

獪岳さんの怒鳴り声が響き渡った。
今まで傷ついてきた類の言葉に、心のどこかで納得してしまう自分がいた。
触手に弾かれた獪岳さんが私の隣に降り立った。

「てめえはいつまでお守りしてるつもりだァ!?」

その通りだ、と胸の内で声がした。
ぎゅ、と日輪刀を握りしめる。

「……見殺しになんてできない。」

その時、奥から2体の鬼が姿を表した。今戦ってる鬼と全く同じ姿形をしている。

「っくそ!」

獪岳さんと私、2人同時に地面を蹴った。
私は新たな鬼へ、獪岳さんは目の前の鬼へ。
目前に迫った触手を両腕で抱え込み、勢いをつけて飛び上がる。そのまま別の触手に飛び移って本体まで走り抜けた。
首だ。首を切らなければ。
日輪刀を振りかざした、その時。

「雷の呼吸、ニノ型…稲魂!!!!」

四方八方に稲妻が広がった。
目の前を雷が走り抜け、今まさに切ろうとしていた鬼の首が跳ね飛ばされた。
がくん、と揺れる足場から飛び退き、大きな音を立てて膝を突く巨大の目の前に降り立つ。
……獪岳さん、雷の呼吸の使い手だったんだ。それにしても、三体同時に倒すなんてすごい。あれ、でも……鬼の体が消えない?
一瞬浮かんだ疑問が、本能の警告となって身体を走り抜けた。

「みんな伏せて!!!!」

振り返った視界に、喜びや安堵を浮かべる隊士たちが映る。彼らに向かって全力で地面を蹴った。

(あぁ、まずい、背中から、背を向けた鬼から、まだ何か感じる。まだこいつら生きてる!!)

伸ばした両手の指先に出来るだけ多くの隊服を絡ませて、思い切り地面に引きずり倒した。
勢い余って彼らの上に倒れ込んだ私の頭上を、何本もの触手が掠める。

「っ…きゃぁああ!!」

しずえさんの声だ!
はっと視線を上げてその姿を探せば、胴体を二つに裂かれた隊士と、そのすぐそばで腰を落としているしずえさんがいた。ドサリ、と下半身がしずえさんに倒れかかった。
壁や柱に沢山の穴が空いている。鬼達から放射状に触手が伸ばされたのだ。それも凄い勢いで。

「しずえさん!」

体を起こし駆け寄ろうとした私の前に、チャキ、と日輪刀が突き出された。
その刀身を視線で伝って行くと、鬼の形相をした獪岳さんが私を睨みつけていた。

「弱え奴は勝手に死ね!!何人いようが役立たずは必要ねぇからな!!」

「何の真似ですか…。」

「何の真似!?ハッ!そりゃ俺の台詞だよ!!
てめぇ、さっきから手抜いてやがるな!?
わかるんだよ、気概が無ぇ!!雑魚の命ばっか守りやがって!!」

雑魚の命。
つい先刻、その通りだと獪岳さんに賛同していた胸奥の声は鳴りを潜め、ただ腹底を焼く様な怒りが燃え上がった。

雑魚の命、雑魚、ザコねぇ。
数ヶ月前だったら、「私」もあんたに雑魚呼ばわりされる側だったよね。
この鬼を倒す方法、戦い始めてから幾通りも脳裏を掠めただろう。
「私」が我を忘れてしまえばこんな鬼、いとも容易く首を切れるだろう。
あんたより私の方が圧倒的に強いんだから。

ざわざわと耳の奥で声が大きくなっていく。
あぁ、だめだ、呑まれてしまいそうだ。

「……考えはあります。鬼、来ますよ。」

再び首の生えた鬼を見上げ、日輪刀を握りしめた。



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