恋とは如何


人がまばらに行き交う通りを、1人の異様な男が歩いていた。
燃え盛る様な髪にものものしい黒い隊服。はためく炎模様の眩しい羽織り。立居姿さえ世間常とは異なるが、かの男を異様と言わしめる原因はその容姿などではなかった。
憤怒に顰められた眉根。額に浮き走る血管。かっ開いた瞳孔は目前のただ一点を睨みつけ、口元は一度でさえ微笑んだことがあるのだろうかと尋ねたくなるほど硬く結ばれている。そして何より男の身体中から放たれる形容し難い怒りの威圧感が、行き交う人々の鳥肌を掻き立てているのだった。
幼子は母の袂に縋りつき、娘は身を震わせて顔を背けて、客を呼び込む店子は息一つ漏らすものかと沈黙を貫いた。
鬼というものがいればまさにこの男のことだろうと誰もが思ったが、否。彼こそが悪鬼滅殺の生き字引たる男なのである。

この男、煉獄杏寿朗はこの怒りを持て余していた。というよりも、腹腸を焼く猛烈な怒りの情に飲み込まれんと理性を保つことがやっとであった。この様な腹の底から突き上げるような怒りは生まれて初めてだったのだ。
先ほどから、宇髄の放った死神という言葉が浮かんでは愛弟子を思い出し、深々と呼吸と共に腹の熱を吐き出していた。
強い人が怖い、と彼女は言った。身が竦んでしまうのだと。全ては己の弱さが招いている、ということもよく理解していた。
だから強くなろうと、俺の血を吐く様な稽古にも付いてきた。幾度俺に打ち負かされようが、地面に叩きつけられようが、決して折れることも不貞腐れることもなく、ただ竹刀を握った。
床につく前には俺のもとへ飛んできて、やれ改善点はないか、ここはどうすればいいかなど熱心に聞いてくる。目を輝かせる彼女と話すのは心地よく、俺もその時間が好きだった。
1ヶ月だ。1日も休まず、任務で疲れているだろうに、翌日には俺の稽古に励んでいた。
それを、何も知らない隊員に死神だのと蔑まれているとは。許し難い。全くもって許し難い。
彼女の真摯に励む姿を思い出すたび、穢されてたまるものかと腹の奥底が燃えた。
怒りと共に地を踏みしめれば、気付かぬうちに己の邸宅へと着いていた。
重厚な門の前で足を止める。
怒りはまだ収ることを知らず腹の中を燃やしたままだ。
この門の向こうにはなまえがいる。
稽古をしているだろうか、それとも千寿朗と家事をしているだろうか。己が死神と呼ばれていることなど知る由もないだろう。
どんな顔をして会えばいい。
煉獄杏寿郎という男にしては珍しく、答えの見つからぬ悩みにため息をつく。
と、その時。
ガチャ、と閂の外れる音と共に、目の前の門が開いた。
ひょこりとなまえが顔を覗かせる。

「炎柱様!やっぱりいた!
おかえりなさい、門の下から足袋が見えていましたよ」

「……よもや!見えていたか!!
うむ、稽古をしていたのだな!」

なまえの汗ばんだおでこに、ぴたりと張り付く前髪がなんともいじらしい。
弟子の首にかかった手拭いで頬を伝う汗を拭ってやれば、照れ臭そうに笑いながら感謝を述べられる。
なまえの笑顔に、とくりとひとつ心臓が鳴り、いつの間にか腹中の怒りは収まっていた。





千寿郎の運んできてくれた湯呑みの淡い湯気の向こうで、なまえはにこやかに今日あったことを話している。
朝稽古をしながら見た朝日が綺麗だったこと。
千寿郎と夕餉の支度をしたこと。
近所の饅頭屋が足の早い菓子を持ってきてくれたこと。
その菓子は、なまえの右手に食べかけのまま収まっている。
話終わり一息ついた可愛らしい唇が、ぱくりと菓子に食い付く様が俺の心をくすぐって小さく笑いが漏れた。

「あっそういえば、面白い話を耳にしたんです。
鬼殺隊の中に『死神』なんて呼ばれてる隊士がいるそうですよ。」

……どっっくん。
耳奥で跳ね鳴る心臓。
ざわざわと肌が粟立つ。
強そうですよね、どんな人でしょうか、なまえの声が鼓膜を滑り流れて行く。

「私も強くなれてるかなぁ。」

見開いた俺の視界に、柔らかななまえの笑顔が映った。
………やめろ、やめてくれ。
それは君を傷つけるモノだ。
そんな綺麗な笑顔で、その名を口にしないでくれ。
ぎゅう、と、鬼の爪を立てられたかのように胸が痛苦しい。
その澄んだ笑顔は、まさか己が死神と呼ばれる張本人だとは露ほども思っていないのだろう。ましてやその名が蔑称などとは。
強さを目指し捨てた過去が今、君の頸に牙を立てようとしている。
固まりなまえを凝視する俺の視線には気づかないのか、小さな唇から流れるように言葉は続く。
そして、俺が己の激情を抑え込んでいる間に話題は庭の花の話に移っていった。
僅かな安堵感が湧き上がるも、いやはや死神隊士の話題をこのまま逃していいものかと脳内で警報が鳴る。

「千寿郎くんも毎朝お水をあげてるみたいで。」

「なまえ。」

「はい、なんですか?」

滾り行き場の無い心のままに愛弟子の名を口にすれば、普段通りの笑顔を向けるなまえ。それが陰る様が脳裏に浮かんで、形すら覚束無い言葉が喉に痞え、そして口を閉ざした。

「…いや、なんでも。」

歯切れの悪い物言いに、なまえは怪訝そうな目を俺に向ける。
死神の正体を伝えるべきか。
真実を知った時、君は今と同じ微笑みなど浮かべられないだろう。人の心の機微に聡い君であればなおさら。
なまえの過去が、今になって現れるとは。
……いや、俺の考えが甘かった。忘れもしない、初めて会ったあの夜。なまえの剣技に目を奪われ、心を震わせたなまえの強さ。あれほどの戦いぶりが噂にならない訳がない。
共に罪を背負おうと固く心に決めたが、その報いがこうしてなまえに迫った今、愛弟子を守る為の手の打ち様を決めかねて、二の足を踏んでしまっている。

「炎柱様…?」

追い詰められた思考を、小さな声が掻き消した。
重苦しい心持ちのまま、つ、と目線を上げれば、心配そうに、けれど真っ直ぐ俺を見つめる鳶茶色の瞳。
死神と蔑まれる者の瞳はこんなにも綺麗なのに。

俺が守らねば。

その一心が湧き上がる。
真実を伝えよう。
どう言葉を選ぼうが、きっとそれは君を傷つけるだろう。悪意をその身に向けられていることに気づけば、今までよりも一層、人を恐れてしまうかも知れない。
だが隣には俺がいる。
君を傷つけるものが何であろうと、俺は君を守るとあの日誓ったのだ。
意を決し、口を開いたその時。

「クァーーーッ!!伝令!伝令!!」

俺の鎹鴉が、障子を突き破りけたたましい声を響かせたのだった。



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